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2005年11月12日
そらってなに?
と、2歳の息子に訊かれた。答えられなかった。
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ぼくにはふたりの息子がいます。長男は8歳で、どちらかというと(というよりもかなり)おとなしいタイプ。ほっぺたもぷよぷよしている。幼稚園の入園式で、園児入場のときに、ひとりだけ母親に手をひかれて入園したのが彼でした。そんなわけで、うちの奥さんを幼稚園の先生だと思っていた親も多かったらしい。自分の考えを言うのが苦手で、誰かが何かしてくれるのを待っている。ただ、ぼくもそういうところがあるので、どちらかというとぼくの遺伝子を受け継いだかな、という感じです。顔つきに関しては、これはもう奥さんゆずり。
次男は2歳で、こちらは格闘技系のカラダをしている。とにかく固い。ぼくは土曜日、たいていクリーニングを出しに行きながら、彼をベビーカーに乗せて公園に連れて行くのだけど、ベビーカーからおろすやいなや30分ぐらいはただ走り回っている。走っているだけできみは楽しいのか?と思うのだけど、走り回っている。とはいえ走るフォームがめちゃめちゃで、左右にタコ踊りしているようにみえてとても変。そんなわけで豪快によく転ぶ。大丈夫かなあ、幼稚園に入ったらきちんと走れるようになるのかな、と心配です。顔は上戸彩もしくはサトエリという印象で、親戚などの評価では、パパにそっくりだ、とのこと。ちなみにぼくはぜんぜん上戸彩にもサトエリにも似てないんですけど。
どちらもぼくのいちばんの宝物です。
そうして彼等にいろんなことを教えてもらっています。
彼等はぼくの大切な宝物であると同時に、人生の教師でもあります。仕事に忙しかったり、趣味に没頭したりで、奥さんとしてはもっと子供に接する時間を増やしてほしい!と思っているかもしれないけれど、ぼくはいつでも子供たちのことを考えている。考えるようにしています。そうしてもちろん父親として何が教えられるのか、わずかだけれど人生の先輩として、よりよく生きていくためにはどうしたらいいのか、というメッセージを(彼等に伝わるように、わかりやすく)伝えていきたい。
そのことが逆に仕事にフィードバックするときもありますね。仕事は仕事、家庭は家庭、趣味は趣味。そんな風にデジタルに切り離すことも大事だけれど、ときには公私混同することで、新しい認識が生まれることもある。
とにかく、同じ人生を生きているという意味で、親子は同等です。同じ生命、同じ人間、という意味でも同等。ちょっとだけ人生を長く生きていてもぜんぜんわかっていないこともあれば、2歳の息子が深い真理をつかんでいることもある。だから面白いんですよね、人間って。ぼくは子供たちが大好きです。
ぼくの父親が脳梗塞で倒れて、もう意識が戻らない、薬で延命するしかない、ということになったとき、ぼくは薬でぱんぱんに膨らんだ手のひらを握って、バトンタッチしたからね、ということを心のなかで父親に話しかけた。もちろん答えはなかったのだけど、過去から未来へつづく長い人間という種のリレーのなかで、そうしてぼくは父親になった気がします。子供が誕生したときではなくて、父親を失ったときに父親になった。子供が生まれたときに父親になればいいんだけど、自分のことにせいいっぱいでまだ不完全な親だったような気がします。そんなものです。これからパパさん、ママさんになろうとしているみなさん、安心してくださいね。誰だって親になるのは、はじめての経験であり不安なものです。
いまでも父親見習いなのかもしれないのだけど、父親らしくなれるよう、頑張りたい。子供たちとの関係づくりのなかで、いいことも悪いことも体験しながら、父親に成っていくつもりです。
投稿者 birdwing : 2005年11月12日 00:00
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