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2005年12月 6日

痛みは何のためにあるのか。

喘息で入院した息子(次男2歳)は、どうやら2週間ぐらいかかりそうです。やっと点滴の針が抜けたのですが、まだ酸素が足りない。もういい加減に家へ返してくれませんか、といいたくなるのですが、医師としてはこの状態で返すわけにはいかない、とのこと。家に残されている長男もすっかりしおしおになってしまいました。遊び相手がいないので、張り合いがないようです。また、父親の前では萎縮する子なので、母親には「もうお弁当は嫌だ」とこぼしているようです。田舎のおばあちゃんに支援に来てもらったので、食生活に関してはちょっとは改善されることでしょう。

はじめての入院なので動揺もしたり、悲しみも感じたのですが、客観的には病棟のなかでいちばん元気なのはうちの次男だと思います(そしていちばん泣き虫で甘えん坊なのも)。周囲を見渡すと、力もなくテレビをただ一日中見ている子供や、立ち上がってもいい時期なのに寝たままの赤ちゃんなどが入院しています。けれども、その子供たちのママさんは、実は20代の若いママさんが多いけれど、付き添いで看病しているのに、ほんとうに明るい。病院の近辺に部屋を借りて、もう3ヶ月も看病している方もいて頭がさがります。もちろんときには先日の日記に書いたように静かに泣くようなことや、きっと見えないところでは悲しみに暮れているのかもしれないけれど、前向きに看病している姿を見ていると、母は強い、ほんとうに偉い、すばらしい、と思う。うちなんかはまだ軽い入院であり、そんなことでじたばた騒ぐべきではない、と自粛しました。

ちょうど発達未遂の18歳の娘を軟禁した40歳の母親の事件が大きく報道されていますが、つらいかもしれないけれど、子供を信じて、前向きに育てていってほしいと願うばかりです。幼児虐待の事件も多いけれど、よのなかの親たちはそんな親ばかりではない。子育ては誉められることの少ない過酷な仕事だと思うのですが、明るく頑張っている親たちもいる。どうすればそういう悲しい事件を減らすことができるのか、考え込んでしまいました。

喘息に関して言うと、親戚など周囲に喘息の人間がいなかったため、喘息に対する理解がほとんどありませんでした。10月に次男が苦しがって救急車を呼んだときには、一度は腸重積といわれた。これも知らない言葉で、あわててインターネットで検索したのだけれど、腸のなかに腸が入り込むような症状で時間が経つと危険であるとのこと。そこで青くなって、再び病院に行ったのですが、そのときには喘息であると診断されました。しかし、いま喘息に対する知識があるかというとあまりない。お医者さんにお願いするのはもちろんですが、喘息とは何かということを、父親としてもう少し理解していこうと思っています。

ところで、喘息の映画として思い出したのは「モーターサイクル・ダイアリーズ」です。これは若き日のチェ・ゲバラの無鉄砲な行動を描く映画で、友人ふたりとおんぼろなバイクに乗って旅に出る。ところが彼は喘息もちで、ときどき発作が起こって、苦しさにのたうちまわりながら携帯用の吸入器で発作を止めようとする。自由とは何か、解放とは何か、ということを考え続けていて、アマゾン河に飛び込んで向い岸まで泳ぐなんてこともする。けれどもその熱い気持ちには打たれるものがありました。

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幼い頃に喘息もちだったけれど、その苦しさを乗り越えて偉大な人物になったひとも多いようです。ある方から教えていただいたのですが、スケートの清水宏保選手も喘息だったようで、グラクソ・スミスクラインのサイトで喘息の体験談を語っています。

点滴の針を打つときの母親を呼ぶ悲痛な声と、泣き喚いて変わってしまった息子の顔が忘られません。けれども、その苦しさや痛みを乗り越えて、偉大な人物になってほしいとぼくは思います。きっといまの苦しさや痛みはそのときのためにあるのだと信じていたい。

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■喘息に関する啓蒙サイト。情報ありがとうございました。
http://zensoku.jp/index.html

投稿者 birdwing : 2005年12月 6日 00:00

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