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2006年2月15日
総表現社会の通貨。
ふだんは地下鉄を利用しているのですが、体調も回復したので昨日は新宿までぶらぶらと歩いて帰ってみました。ほんのかすかですが、新宿御苑のあたりで春の匂いを感じた。懐かしいけれども、少しだけかなしい。そんな空気です。行き交う雑踏のなかで通り過ぎてしまって、その匂いもすっとなくなってしまったのだけれど、やわらかな感触だけがぼくに残りました。春も、もうすぐそこまで、です。
さて、梅田望夫さんの「ウェブ進化論」という本ですが、第4章の「ブログと総表現社会」を読み終えました。いろんなことを考えさせられます。期待感が膨らんでわくわくしたり、アイディアが次々に浮かんでくる。ぼくはこの気持ちを肯定したいと思うし、進化するウェブにコミットしていきたいと考えています。
表現したいひとたちがいる。そして表現できるツールがある。ブログは表現のために有効なツールであり、さらにインターネットを通じて小説や音楽や絵画や映画などを発表できる。このことによって、すべてのひとが何かの方法で自分を表現する社会が訪れる。すごい社会です。21世紀に生きていてよかった、と思いました。
とはいえ、まだまだ未完成な社会といえます。だから、ちいさな息子たちをはじめとした次世代の方には、もっとこの環境を使いこなしていってほしい。そのための基礎となる考え方や、いろんな試行錯誤や、トラブルを回避する方法や、表現するためのノウハウなどを、ぼくはみずからの身体をはって体験しつつ残していきたい。梅田さんの使っている「総表現社会」は、クリエイティブな仕事に携わりつつ、さらに趣味のDTMで音楽を創って楽しんでいるぼくには、はてしなく魅力的でした。
ところで、ぼくの考えですが、総表現社会の通貨は、「コメント」や「投票数」であったり、あるいは創った音楽などでは「ダウンロード数」になるんじゃないか、と思いました。
このバーチャルな「通貨(コメント・投票数・ダウンロード数)」だけでも、ぼくらはかなり豊かになれる。何が豊かになるかというと、モノではなくココロが、です。
実際に、ぼくはmuzieというサイトで趣味でこつこつと作ったDTMの作品を公開しているのですが、わずかですがダウンロード数が増えてきました。アフィリエイトプログラムのように、クリックするとちゃりんと小遣いが増えるわけではないけれど、この数が増えるとやっぱり嬉しい。聴いていただいた方、ありがとうございます。ものすごく感謝しています。
もちろんぼくはサラリーマンとして働いているのだけれど、このバーチャルな「通貨」によって確実に豊かになっている気がしました。さらにこの通貨を流通させるために、他のアマチュアの方の曲を聴いてダウンロードしたり、投票しているわけです。自分が豊かになった分だけ、ひとも豊かにしてあげたい。もちろん競争が発生することもあります。個人的にはそこそこ稼げば十分と思っているのだけど、がっちり稼ぐためには(音楽的な機材や能力開発のための)投資も必要だし、一種の政治的なノウハウも必要になります。
とはいえ、ジャーリストにしてもミュージシャンにしてもアーティストにしても、プロと呼ばれるひとたちはアマチュアと競合するものではなく、これからも残っていくんじゃないでしょうか。ぼくはそう思います。つまり、現実的な通貨で儲けたり食っていきたいひとはプロになる。一方で、現実的な通貨によって最低限の生活はキープしつつ、さらに豊かな生活をしたいひとはバーチャルな通貨を流通させて、ココロを豊かにする。その選択は自由です。個人のスタイルのチョイスにすぎない。それが成熟したネット社会という気がします。社会自体の構造が変わる予感もある。
パーソナルアイデンティティ(P・I)という言葉もありましたが、ブログやインターネットによる総表現社会では、複数のペルソナ(仮面)を持つひとも多くなります。会社ではぱっとしないサラリーマンだけど、趣味の音楽ではプロ顔負けでたくさんのファンがいる。喫茶店を経営しながら、実は数百万のアクセスを誇る有名ブロガーである。女子大生なんだけど、株の世界ではプロも一目置くネットトレーダーとしてブログを通じて超セレブな存在になっている。これはインターネットが普及していた当時から言われていたことだけれど、それがさらに加速するのではないでしょうか。
ということを考えたのは、今朝、3歳の次男をだっこしながらNHKの「ピタゴラスイッチ」という番組をみていたところ、おとうさんの歌(タイトル忘れました)という曲があったからです。おとうさんは会社ではかちょうさん、お店ではおきゃくさん、電車のなかではじょうきゃく、けれども家に帰ってくると、ぼくのおとうさん、というような歌詞でした。
当たり前といえば当たり前なのですが、リアルな世界でも場所というコンテクスト(文脈)によって、おとうさんもさまざまに変わります。女性も同様だと思います。夫に対しては妻だし、子供に対しては母親、会社勤めをしていれば上司や部下、そして当然のことながらオンナでもある(というか、あってほしい)。ネットの登場によって顕在化していますが、考えてみれば特別なことではありません。
思えば学生時代にポスト構造主義を学んだとき、テキストは引用の織物であるということ、あるいは関係性というキーワードも出てきたような気がするのですが、人間をひとつのテクストとみなしたとき、関係性によって重層的に重なり生成しつつ解体を繰り返すようなものなのだな、ということをあたらめて考えました(考えすぎかもしれませんけど)。
人間には、いくつもの側面があります。陽だまりのようにあったかい部分もあれば、じめじめと湿ったダークサイドもある。いままで閉じていた、いわゆる脳内のひとりごと的な部分まで開放できるのが、総表現化社会としてのネット社会です。脳内のひとりごとは開かれることによって、ネットのなかで自生的秩序にしたがって、つながったり淘汰されたりしていく。そうしてインターネットの「あちら側」が人類の大きな脳になる。
リアルとバーチャルを統合するのは難しく、それぞれの側面を統合すべきか、それとも別々に分離すべきか、書くべきか書かない方がいいのか、まだ見えてこない部分も多いのですが、変化の途上であることも含めてネット社会はますます面白くなっていきそうです*1*2。
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*1:書きたいことがたくさんあったのですが、うまく書けませんでした。残念。最初にアップしたときには誤字ばっかりでした。失礼しました。あらためて見直して修正しています。まだ誤字があるかもしれないのですが、とりあえず勢い重視でアップしました。とはいえ、きちんとトラックバックしたり、これはと思う内容の日記は、校正や下調べもしっかりしないとダメですね。反省。2月16日追記。
*2:また誤字をみつけてしまった。修正しました。とほほ。言い訳になってしまいますが、この日、3時間しか寝ていなかった。朝イチで打ち合わせでした。睡眠は大事だと思いました。2月17日追記。
投稿者 birdwing : 2006年2月15日 00:00
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