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2006年3月11日

そして、ふたたびブログの海へ。

春らしいぽかぽかした日になりました。とても眠い。ぐうぐう眠ることができる。怠惰かもしれないけれど、人間も含めて眠ることができる生き物たちはしあわせです。お昼寝している犬もしあわせそうです。睡眠時間を削りに削って趣味に没頭したり、仕事に追いまくられて徹夜する日もありますが、寝るときゃ寝る。誰がなんといおうとも寝る。春はいいなあ。しあわせに眠ることができて。

さて、この一週間。批判すること、引用することに疑問を感じて、自分は創造する側でいたい、湖から飛び立つ最初の一羽でありたいと考え、でもそんな偉そうなことを言ってもほんとうにできるのかよ?何をやるんだ、と突っ込みつつ、自分に何ができるか、ということをうーんと唸りながら考えた後、掌編小説を3編だけ書いてみました。稚拙でしようもない物語ですが、小説を書くのも面白いなとあたらめて実感しました。一方で、創造することとは何か、どうして現前にないみえないものをひとは見ようとするのか、総表現社会はどこへ向うのか、ということを考えてきました。

他人のブログに感化されやすいぼくは、この試みの間、極力他人のブログはみないようにしていたのですが、その体験を通じて、自分が何を求めていたのか、どこへ向おうとしていたのかを再確認できたような気がします。加えて、自分を制御する仮想的なココロのシステムを構築する、ということも考えることができた。この仮想的な自分がこれからやろうとすることを客観的に把握して、さらに創造的で豊かな何かをもたらしてくれるように祈りたい。

というわけで、ブログをみることを解禁にします(自分へのご褒美。よくやった)。といっても、ちょっとだけ禁を破ってみちゃったんですけどね。

たとえば山にこもって、久し振りに下界におりてくる。そうすると、あらためていろいろなことに気づく。といっても山伏ではないので、山にこもる人はいないでしょうが、体育会系では合宿で山にこもることがあるので、そんな状況を想像してください。都会の喧騒から離れて山のなかで生活して再び都会に出てみると、いろんなことが新鮮です。ああ、人間ってこんなにたくさんいたものなんだ、とか。女の子はやっぱりきれいだな、とか。その感覚を大事にしたい。わけもなく意地になってただ一日を埋めるためにブログを書きつづけるなら、しばらくは休んでみるのもいいかもしれません。

ところで、一方でブログ以外のものも、いろいろと吸収しようと思っています。久し振りに、雑誌をたくさん購入しているのですが、プレジデント3.20号はまさに「「考え方」革命」という特集で、大前研一さんが構想力や右脳と左脳の話などを書かれていて面白い。実は気になりつつ読んでいなかった雑誌で、答え合わせみたいな感じなのですが、ぼくが考えていたことと重なる部分もありました。どうやら間違っていないようだ、ということがわかりうれしかった。また、「devil's advocate(悪魔の使徒)」という反対意見を言うことによって議論をするやり方や、「ソクラテスの会話」という架空の役回りで議論する方法などは参考になります。最後の部分は心に留めておきたい文章です。プレジデント3.20号「9割の人は「頭の使い方」が間違っている」という大前研一さんの文章から引用します。

相手の立場に立ってモノを考えるのは、イマジネーションが巧みでなければできない。想像力、空想力から一段昇華した「構想力」というのは、そういう訓練をしなければ開発できないものだ。
思考方法、思考能力で進歩しなければ、先進国では二一世紀を生きていけない。だからすべての時間、頭をフルに使うべきである。

ついでに、かなり前のものなのですが、茂木健一郎さんのブログ「茂木健一郎 クオリア日記」で、mediaCLUBKINGのTALK dictionaryを知り、坂本龍一さんと茂木健一郎さんの対談をポッドキャスティングしてiPodで通勤途中に聴いていたのですが、こちらもなるほどなあ、という感じでした。坂本龍一さんの言葉ですが、ピアノには88鍵しかなく、結局のところ88鍵でできることしかできない、じゃあ新しいことって何だ、ということを考えられていたそうです。茂木健一郎さんも、若いうちは前衛的なことをやりたがるのだけど、どんなに前衛的と思ってやっていたことだとしても何かの影響を受けている、まったく新しいことなんてできないんだ、とお話されていました。つまりすべてが何かの引用的である、引用であることからは逃れられないのかもしれません。

ぼくは自分の掌編小説をクリエイティブ・コモンズのライセンス下においてみましたが、ぼくの書いた作品も何かの影響を受けているはずです。完全にオレのオリジナルなものだ、とはぜったいに言えない。自分で別の作品を意識している部分もあるし、無意識のうちに時代の意識を織り込んでしまったものもある。息子の言葉をそのまま拾っている部分もある。そもそも作品を創るということは、すべてマッシュアップ的であります。一方で、著作権については、そこから利益をあげるビジネスモデルで成立している企業があり、そのお金で生活しているひとがいる以上、一概にフリーにすべきだとは言えないと思うのですが、もう少しゆるやかな制度があってもいいかもしれません。

自分のなかでブログおよび引用の解禁。ふたたびいろいろなひとの意見を参考にしつつ、考えつづけていきます。

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■茂木健一郎さんのブログ。放送スケジュールや書かれた記事などの情報の合間に、著書では読めないリアルな茂木さんの言葉があり、そのクオリアに思わず、にやりとするブログです。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/

■mediaCLUBKINGのTALK dictionary。なんとなくポッドキャスティングを聴く身体になっていないので落ち着かないんですが。
http://www.clubking.com/news/

投稿者 birdwing : 2006年3月11日 00:00

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