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2006年5月21日

息子たち、そして生活のかけら。

天気がいいので外で遊びなさいということで、息子たちを外で遊ばせていたのですが、家の外でボールで遊んでいた息子(長男)が、隣の家の庭にボールを入れてしまいました。どうしよう?と困っているので「玄関のチャイムを押して、ボールを取らせてくださいって言って、取らせてもらいな」と教えたのだけど、もじもじしている。やはり知らないひとのチャイムは押せないようです。そこで、ぼくがぐぐーっと指を掴んで押させようとするのだけど、ボタンの手前で指が抵抗する。どうしても指が止まってしまう。仕方ないので、ぼくが見本を見せるというか、チャイムを押して隣のひとに挨拶して、ボールを取りに行ってきました。ほんとうは、自分で責任を取ることを教えたかったんですが。

その後、どうやらチャイムを押すプレッシャーに凹んでしまったらしく、「鼻水が出てきた」といって長男は家に戻ったのですが、ちょっと泣いてしまったらしい。泣くことないのに、と思うのだけど、子供というのはこういうことに対しては、ガラスのように繊細なものです。ぼくも遠い昔には、そうだったかもしれない。泣き終わった彼に、「ボールで遊んでいれば、どこかへ入ってしまうことがあるもんだ。それはたいしたことじゃないんだよ。でも、誰かの家に勝手に入るのはよくない。きちんと言葉で言わなきゃだめだ。それも別にたいしたことじゃない。でも、自分から声をかけることが大切」ということを説明してみました。どれだけ彼に届いたかわかりません。ただ、こんな風に面倒がらずに、養老さんの言葉を借りれば子供を「手入れ」していくことが大切かもしれません。

こうした何気ない子供とのやりとりの背景にあったのは、小森陽一先生の「村上春樹論」の影響があったかもしれません。ここ数日の間、読後に感じたことを考察しているのですが、その本のなかで小森先生は、人間は言葉が必要であり、口唇期の子供たちに排泄を教えるのは、キタナイという厳しさの背後に愛情がある、ということを書かれていました。そのとき子供たちは、なぜ?という感情を持つのですが、そのなぜ?に親が答えるときに、社会としてのコミュニケーションの基本がある。そうして言葉を使う生き物として、人間は社会化していく。「すみません、ボールを取らせてください」と他者(隣のひと)に声をかける大切さを、彼に教えてあげたかったと思いました。それはまだ幼い息子にとっては、ものすごく厳しいことだったようです。でも、それを経験させるのが親としての教育かもしれない。と、仰々しく書いていますが、ものすごく当たり前のことです。たいしたことじゃないんですけどね。

長男を少しだけ精神的に追い込んでしまった気がしたので、それからみんなで昼ごはんを食べに出掛けて、午後からは多摩川の土手を散歩しました。さすがにいい天気だったので、みなさん考えることは同じだったらしく、ものすごいひとでした。草野球をしたり、バーベキューをしたり、草に寝転んでひなたぼっこをしている。それでも、川に石を投げたり、レンゲで腕輪を作ったりしたのですが、ちょうどうまい具合に乗馬クラブとちいさな動物たちに触れるアトラクションがあって、そこで息子たちはヤギや羊、ウサギやヒヨコなどを触ったり餌をあげたりしました。

長男は動物が大好きです。まだ3歳だった頃に、リス園に行ったことがあったのですが、何度もひまわりの種をリスたちにあげて、なかなか帰ることができずに困ったことがありました。今日も羊たちに一生懸命にんじんスティックをあげていた。それにしても、動物たちはみんなかなりお腹が膨れていたのですが、大丈夫だったんでしょうか。今夜、食べすぎでお腹が痛くなっていないといいのですが。一方で、3歳の次男は動物よりも、その隣にあったパンチングボールやぼよんぼよんする遊具などで遊ぶのが楽しかったらしい。さすがに格闘技系(身体だけ)だけあって、何度もパンチしたり転がったりして大喜びでした。しかしながら、さすがに喘息のためか、公園に放つと30分ぐらい全速力で走っていたときのような体力はなく、すぐに疲れてしまうようです。元気になってほしいものです。

ちょっと頼りないところはあるけれども、動物が大好きなやさしい長男がぼくは大好きです。だから厳しくもなってしまうのですが、あまり目立たなかったとしても、そのやさしさだけは失わずに大人になってほしいと思います。しかしながら、やさしいだけではなかなか生きにくいのが社会でもあるので、特に精神的な強さの在り方について、いっしょに考えていきたいものです。父親であるぼくも決して強いわけではなく、いまでもよりよい生き方について模索している途中ではあるのですが。

どうしても自分のやりたいことにかまけてしまい、なかなか子供と接する時間も少ないのですが、茂木健一郎さんの著作にあったように、何気ない生活を大事にしながら、形而上的な高みにあるような何かについても、考えたり創作したりしたいものです。どこか遠くに出掛けたわけでもなく、変わったことがあった一日ではないのですが、こんな何気ない「生活のかけら」を大切にすること、そして忘れないように書き留めておきたいと考えています。まずは天気がいいことに感謝し、息子たちの笑顔に感謝したい一日でした。

投稿者 birdwing : 2006年5月21日 00:00

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