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2006年7月 4日

螺旋状の上達。

文章が上手くなりたいと思っています。以前から文章読本のたぐいを読み漁ったりしているのですが、なかなかこれはという文章を書くことができません。やはりノウハウをどれだけ勉強しても身につかないところがある。文章を上達させるためには、ひとつにはたくさんの名文を読み、気に入った作家をみつけて、その作家の文体を徹底的に模倣することがいちばんかもしれません。あるいは、とにかく文章を書く。下手であろうが恥ずかしかろうが、書いて書いて書きまくる。まず書くことが好きという前提が必要ですが、上達したいと思っていても努力も実践もなければ、進歩というものはあり得ないのかもしれません。

かといって書き殴っていれば上達するかというとそんなこともなく、短い文章であっても、何かを真剣に考えたり感じ取ったりする文章は光るものがある。結局のところ仕事にしても文章にしても、あるいは音楽にしても、最終的には人間性なのかな、と思ったりもするのですが、そうするともはやテクニックの問題ではなく、余計に途方に暮れてしまいます。

文章で飯を食う、あるいはデザインで飯を食っているひと、金儲けのためだけではないけれども自分の好きなことに価値を付加できて結果として収入を得られるようなひとのことを、あらためて尊敬します。企業に属してくだらない同質化のために無駄な力を使ったり、ポジションを一日でも延命するために居座るような努力をしているよりも、自分の力で道を切り拓いているひとの方がどれだけ素晴らしいことか。孤高であっても、自分を磨くことに力を費やしているひとでありたい。それは陳腐かもしれないけれど、たとえばイチローのように。

「安全な場所にいてモノを言うひとがいちばん腹が立つ」という言葉を今日ちらりと耳にしたのですが、なるほどなと思った。結局のところ周囲を見渡してみると批評家か自分では何もしないひとばかりで、ほんとうに覚悟を決めて取り組んでいるのだろうかと思う。傍観者的に批判をしたり自分や他人を解説するのではなく、まっすぐやりたいことに取り組んでいたい。

ほぼ毎日に近い頻度でブログを継続して更新しているのですが、この積み重ねはぼくには無駄ではなく、途方もない助走の試みであるように感じています。ネガティブな思考に陥ることもあったけれど、そのことも決して無駄になっていない。稚拙であっても、そんな道草をすることによって、どこへ向おうとしているのかをはっきりと見定めたような気がします。転んでもまた立ち上がればいいだけであって、走るのを辞めてしまわなければ、どこかへゴールできるものです。

ちょっと今日はお酒を飲んでしまい、頭が働かないのでこの辺にしておきますが(というか、いつもお酒を飲んでいるような気もするのですが)、このブログは3時間も考え込まなければ書けない時期もあったのですが、いまぼくはほとんど30分から1時間の間で書き上げています。もちろん内容がないから早いということもあるのだけど、思考の速度でブログを書けるようにしていきたい。そして、ブログはブログで内容的にも向上させていきたいと考えています。「内容的に向上」というのは、あまりにも曖昧すぎるのですが、一日のなかで何か光るような発想をみつけたい。当たり前の何気ない生活のなかで、ちょっとしたきらめきのようなものをみつけられたらいいと思う。

それは自分のための何かでかまわないと思っています。誰かに評価されるために書いているのでもないし、無理やり気の利いたことを探さなくてもいい。書けないときはお休みにするし、書きたいときはそれこそものすごい長文を書くかもしれない。気持ちのバランスを崩したときはとんでもない暴言をするかもしれないし、ものすごくプライベートな誰にも理解できないことを突如としてカミングアウトするかもしれない。ぐるぐる同じ話題をめぐっていることもあるだろうし、突拍子もないことに首を突っ込むかもしれない。まあ、仕事もそんな風に自由にすることができればいいんだけど。

そうやって書きながら、螺旋状に上昇していけばいいんじゃないかと思っています。だだっ広い野原で、ぶんと投げたペーパークラフトの飛行機が、青空に吸い込まれていくように。そんな感じで書きつづけていたいものです。

投稿者 birdwing : 2006年7月 4日 00:00

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