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2007年8月30日

追いつかない現在。

日記的なものではなくコラム的なものを書こうということで、デイリー・コラムニストを宣言してみました。けれども、毎日何かを書くのは難しいようです。ネタを探すのも大変だし、時間を作るのも大変。しかしながら、大変だ大変だといっていてもはじまらないので、

  • 大変だ
  • 忙しい
  • 時間がない

という言葉は(なるべく)NGワードにします。それだけで何か書けちゃいそうなので便利なのですが、その言葉が逃げにもなるので。

書かずにいられない病をハイパーグラフィアというそうで、アリス・W・フラハティの「書きたがる脳 言語と創造性の科学」という本を読んでから、何度かブログでも引用させていただきました。反対の言葉はライターズブロックで書きたいのに書けない。

書きたがる脳 言語と創造性の科学
吉田 利子
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本物のハイパーグラフィアなひとは常に何かを書いているらしく、つまり食事をしていてもメモに何かを書き殴っていたり、本の余白をびっしりと文字で埋めてしまうとのこと。さすがにぼくはそこまで熱心ではありませんが、通勤電車のなかなどで、アタマのなかを電光掲示板のように文字が流れていくことがあります。ああ、このアタマのなかの文字をそのままジャックからアウトプットできれば、と思う瞬間です。

そもそも書くという行為自体が、厳密にいえばリアルではありません。脳内で言葉が生まれて、指先に伝わり、パソコンの文字に入力されたインプットがディスプレイに表示される。たぶんその過程でわずかな遅延があり、タイムロスがある。ぼくは仕事のためにブラインドタッチはもちろん、話すこととほぼ同じ速度でタイプすることができますが、キーボードに慣れていないひとであればかなり時間がかかるでしょう。

この時間、ロスタイムが結構重要な気がしています。

というのはですね、書くために時間をかけると、その間にいろんなことを考えてしまう(笑)。当たり前なのですが、人間、暇があるといろんなことを考えます。もちろん大事なことを考えることもありますが、どーでもいいことに固執することもある。たいてい、仕事においても、どーでもいいクレームや余計な提言をするひとは暇なひとで、忙しいひとはかなりポジティブに瞬間的に判断して、いいんじゃない?やろうよ、とノリもいい。

文章においても、時間があると、まてよ、こんなこと書くとあちらの方面に角が立ちそうだ、とか、ああ、なんだか読み直したら落ち込んできた、ぼくってダメなのねーとか、さまざまな妄想が脳裏をよぎります。で、書くのを止めてしまう。

また、書く対象として、

安全地帯のネタ/危険地帯のネタ

というものがあるのではないでしょうか。

たとえば、こんなもの食べた、こんな本を読んだ、こんなところへ行ったという話題は、安全地帯のネタです。記録に近いので、書いたからといって、あとで落ち込んだり自己嫌悪に陥ることも少ない。しかしながら、あいつに頭にきた、ないしょだけどわたしはこんな人間です、過去にこんなことしちゃいました、のようなカミングアウト系のネタはかなり危険地帯に踏み込んでいる(笑)。

ぼくはどちらかというと、あえて自分からデンジャラスゾーンに飛び込んでいって、あぶなーい、身を伏せろっ!という知人やネットで親しくしている方の声を聞こえないふりして、やだよーん、これ押しちゃうんだもーん、という感じで自爆装置を押して、ちゅどーんと自分もろともブログを吹き飛ばしてしまうようなタイプです。ただ、数年前であれば考えもなく感情のままにエントリーしていたのですが、最近ではかなり考えているんですよね(これでも)。

うまく言えないのですが、演出している、という感じでしょうか。アブナイ自分を演出している、というところもある。だからギリギリのところで危険を回避して、心のバランスもとれるようになってきました。

しかし、クリエイター思考というかアーティスト思考のいけないところなのかもしれないのですが、安定してくると、その安定を壊したくてむずむずしてくる(苦笑)。あっちの地雷は大きそう(ぽっ)という風に、わざわざ自爆のネタを探してしまうわけです。

というわけで半分自爆気味で20分ぐらいで書き殴ったエントリーが「夏の終わりと焦燥感。」だったのですが、このひとまた自爆しちゃうんじゃないかしら?という不安を煽ってしまったせいか、みなさんから心あたたまるコメントをいただきました。すみません。そして、ありがとうございます。

コメントを読んでいろいろ考えていることもあります。ところが、その考えていることが現実に追いつかなくて、書こうかどうしようか迷っているうちに別の書きたいことなどが出てきたりして、とても困ります。

文章を書くということは、終わりのない現実との鬼ごっこなのかもしれません。

トラが自分のしっぽを追いかけてバターになってしまう童話みたいなものでしょうか。とろけそうな暑さは次第に薄らいできましたが、考えすぎて思考のバターにならないように気をつけます。なんとなく思考のバターは美味しくなさそうだし。

投稿者 birdwing : 2007年8月30日 23:31

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