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2008年10月27日

父に帰る。

しばらくのあいだ父親をサボっておりました。どうしても父親になりきれなかった。ごめんな、息子たち。パパは自分のことでせいいっぱいだったよ。きみたちのことを考えている余裕がなかった。

世のなかのおとーさんたちはどうやって、やりきれない気持ちに折り合いを付けているのだろう。子供ができれば必然的に親としての責任を果たさなければならないのだけれど、だからといって親になれるとは限らないものです。親の責任を果たすことと、きちんと親になることはまったく違う。

アウトドア志向でキャンプに連れて行ったり、休日にドライブしたり。そんな100点満点のパパがうらやましい。ぼくもできる限りよき父親であろうとしたのだけれど、正直に告白するのですが、父親失格でした。見栄を張るつもりもないし、あえて正直に書きます。ここ数ヶ月のぼくは、父親を放棄していたと思う。

子供たちのイベントには毎年のように皆勤賞の出席だったのに、今年は長男の最後の小学校の運動会、次男の最後の幼稚園の運動会にも、ぼくは参加しませんでした。体調がすぐれずに寝込んでいた、ということはある。でも言い訳にすぎない。ボイコットしたのだ、ぼくは。父親であることを。

罪悪感のせいから、というわけではないのですが、土曜日、久し振りに次男くんを連れて、ふたりで新宿でデートしてきました。母親が忙しかったので、どうせならふたりで玩具でも見にいこうか(長男くんは、ぼくはいいよ、とのこと)・・・と言ったら、思いのほかに、ぶんぶん縦に首を振られてしまった。数日前から、パパと新宿に行くんだよね、ぜったいだよね、何買おうかな、ということばかり話していたらしい。それじゃあ、行かなきゃな、と思いました。でも、考えてみると次男くんとふたりだけで出掛けるのは、ほとんどはじめてのようなものです。

あらためて次男くんと向い合うとき、ぼくは一抹の不安を感じずにはいられません。彼の脳の働きを心配してしまう。細菌性髄膜炎という病気で入院したのが、今年の夏のはじめ(エントリーはこちら)、ラッキーボーイの彼は奇跡的に健康を取り戻すことができたのだけれど、気のせいか、どうも話す言葉がたどたどしい。考え込むことが多いし、じーっと上を向いて話すこともある。なんだか以前のように歯切れがない。

やっぱりどこか脳に後遺症が残ってしまったのではないか、と思う。失礼な実家のぼくの母は、以前から知恵遅れのようだったよ、話す言葉が幼稚だった、おまえがきちんと教えないからだ、などと気遣いもなくぼくを責めたのだけれど、馬鹿らしいと笑い飛ばすこともできなくて、ぼくは心配になる。きみの笑顔は、なんだか以前とは変わってしまった気がする。以前はもっと利発そうに笑っていたのではなかったか。薄ら笑いのようなそんな表情じゃなかったのではないか。きみの脳は炎症を起こして壊れてしまったのだろうか。

けれども、壊れてしまったのはきみだけじゃなかったのだ。

きみがうつろな目をして病室で細菌性髄膜炎と闘っていた後半あたり、ぼくと相方、ぼくと実家の母、ぼくと相方の家族と、きみを取り巻くさまざまな関係が、どうしようもなく壊れてしまった。そんなことをここで晒すわけにはいかないからこれ以上は書かないけれど、ある夜、ひどい口論を聞いて長男くんは大声で泣いたことがあった。あの静かな長男くんが声をあげて泣くほど、ぼくらの家族は、そのときに壊れてしまっていた。きみの繊細なお兄さんは、そのことを敏感に感じ取ったのだろうね。かわいそうに。

そうして一見、しあわせそうだけれど残骸のようないまがあります。ぼくは給料を運ぶために、ここにいる。途方もない借りを返済するためだけに。放棄することもできない。皮肉に自分を嗤うだけでしかない。

081026_jinan.jpg

土曜日、次男くんと久し振りに手をつないで歩きました。なんだかしめぼったい。緊張すると汗をかくんだね。父親に緊張しているのか。まあそれもそうだろうな。久し振りだもんね。そうやって新宿で、ウルトラマンの怪獣の人形を2体買いました(にいちゃんにはカードデッキ)。あと2体ほしかったらしいのだけれど、えーもういいよう、今度にしよう、とぼくが言ったら、あっさりと、うん、そうする、と引き下がった。欲しいもののために駄々をこねることがなくて、父としては少し残念だったりします。もっと困らせればいいのに、ふがいのない父を。

手をつないで・・・ということで思い出したのだけれど、ぼくが父と最後に手をつないだのは、父が脳梗塞で倒れた病室でした。

家族が揃うまでクスリで延命されている状態で(つまり家族が揃えばもうこの世から消えてしまう瀬戸際で)、クスリのためか手はぱんぱんに膨れていた。その手を握りながら、ぼくは父であることを、ぼくの父親からバトンタッチしたつもりでした。しかし、バトンタッチできていたのだろうか。

ところで、以前にもどこかのエントリーに書いて、未公開の海に沈めてしまったのかもしれないけれど、教師でカタブツの父から、ある日とつぜん、若い頃の告白を聞いたことがありました。

いつだとは聞かなかったけれど、若い頃の父には好きな女性がいて、彼女が住む遠い街まで一緒に電車に乗って送っていったことがある、とのこと。うえええ、どうしちゃったの親父?(苦笑)という感じで、唐突にはじまった告白に息子であるぼくは困惑するしかなかったのだけれど(ほんとうにぼくらはそういう話を一度もしたことがない)、一方でなんだか大人の秘密を共有したような、うれしい気持ちだったことも確かです。おふくろには悪いけどね。

電車に揺られながら、次の駅名を必死で考えている次男くんをぼんやり見つめつつ、パパには大好きな女の子がいたんだよ、いっしょうわすれられないこいをしたんだ、しあわせだったなあ、ママじゃないけどね、と、そんなことを言いたい衝動に駆られて、5歳児にそんなこと言ってもいかがなものか、と思ってやめました。まだ、きみには早すぎる。お酒を飲めるぐらいになったらともに語ろう。

そんな風に時代は繰り返されるものかもしれません。悩んだり迷ったりしながら、やっぱりぼくは父に帰る。きみたちがいるのだから、父親であらねば。ぼろぼろになって疲れ果てて、給料を運ぶだけの存在であっても、父親であることに覚悟を決めなくては。

そういえば、27日は亡くなった父の誕生日でした(ええと・・・確か)。そっちはどうかな。こっちもいろいろだよ(苦笑)。

おめでとう。そして安らかに。

投稿者 birdwing : 2008年10月27日 23:54

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6 Comments

がど 2008-10-29T21:46

ご無沙汰してます。
母親専業となっている現在ですが、なかなか長男くんにとってはいい母でいることができず、逆に頼ってばかりでした。27日、私の誕生日でもありましたが、親として面倒みるというよりは兄ちゃんとはもう少し楽しい時間を作る努力をしてみたいと抱負のひとつにもしてます。
また、ブログはgadochanに引越しして、なぞなぞの回答は「・・・」です。よろしければまた遊びにきてくださいね。(最近愚痴がおおかったので一部に隠すためプライベートモードにしてます)
今後とも宜しくお願いします。

BirdWing 2008-10-29T23:28

がどさん、誕生日おめでとうございます。父と同じ誕生日は奇遇でした。

専業の母親も大変だと思います。けれども息子さんは、がどさんの強力な支援者になると思います。ぼくも長男なのでよくわかるのですが(苦笑)、長男くんとの付き合い方は難しいことが多いことでしょう。でも、頑張ってくださいね。応援しています。

愚痴も構わないと思います。きれいごとばかりを書いていると疲れてしまうし、書くことがセラピーになったり、書くことで前向きにもなれるものです。プライベートモードもいいですよね。書きたいことを気兼ねなく自由に書けるので。

ところで、ぼくは子供の写真を掲載するとき、なるべく顔がわからないものを選んで掲載しているのですが、インターネットは便利とはいえ、どこで誰がみているのかわかりません。だから十分に留意したほうがよいと思います。ええと、そんなわけでなぞなぞの答えをコメントで教えていただいたのですが、伏せさせていただきました。ありがとうございます。

がどさんとは、ずいぶん長くブログでコメントのやりとりをさせていただいていますね。ぼくの場合、しばしばブログをやめたくなってしまうことが多いのですが、できれば末永くいろんなお話をさせていただければと思います。がどさんの決意、素敵だと思いました。お互いにいろんな時期がありますが、ときには遠くで見守るようなスタンスもとりながら、これからも継続してお話をさせてください。

こちらこそ、今後ともよろしくお願いいたします。

かおるん 2008-10-30T17:12

私はここ何日か、うちの旦那さんに言おう言おうと思いながらも心にしまったままの言葉があります。それは「いつも私達のために働いてくれて、ありがとう」簡単で、むずかしい一言ですね。

朝から晩まで休みなく毎日働く、ただそれだけでも尊敬なのに、そうして得たお金のほとんどを自分と子どものために運んでくれる。これって、奇跡に近い喜びなんだってことに、最近ふと思い当たりました。
だから本当はそれをちゃんと伝えたいのだけれど、何となくできあがってしまった日々のリズムの中でこんな臆面もない感謝の言葉は言いづらくて、誰も困ることではないことに、なんとなく困っています。

私がありがとうと言えなくたって、うちの旦那さんはお給料を運んでくれるでしょう。でも、誰からも感謝されないというのは、ときに寂しく、辛いことですよね。私が私の日々の仕事に対して同様であるように。

birdwingさん。家族にお給料を毎月運ぶ、これは本当に素晴らしいことだと思う。それだけでもう十分なお父さんだ!もしかして家族がそのことに感謝の気持ちが足りなかったり、心の中にあるその気持ちを伝えてくれないとしても、それを続けていけるなら、さらにすごいことです。なぜなら、何かを無条件のうちに引き受けるというのは、本当の意味の大人でなくてはできないことだから。

ちょっと、とんちんかんだったかもしれませんが、これを読んで私もやっぱり旦那さんに伝えなきゃなーと思ったのでコメントしてみました。

BirdWing 2008-10-31T04:53

かおるんさん、コメントありがとうございます。思わず微笑んでしまいました。言わなかったとしても、かおるんさんの気持ちは伝わると思います。旦那さんはしあわせですね。そういう労いの言葉ひとつで、ずいぶん救われるものです。

言葉にしたほうがいいとは思うのですが、気がかりなのはタイミングです。いきなり「いつも私たちのために、ありがとう」と告げられると・・・旦那さんとしてはちょっと引くかもしれない(笑)。うーむ、ごめんなさい。ぼくの場合は引くなあ。その後にとんでもない要求が待ってませんか?みたいに勘ぐる気がしますが、ぼくたち夫婦の冷め切った関係のせいかもしれません。言葉にするのは、記念日とか、ちょっとしたイベントの日がいいかもしれないと思いました。

かおるんさんのコメントから、あれこれ考えたことを書いてみます。ほんとうはエントリーを立てて書こうと考えていたこともあるのですが、この機会にコメントに書いてしまいます。長文になるかもしれませんがお付き合いください。

> 誰からも感謝されないというのは、ときに寂しく、辛いことですよね。私が私の日々の仕事に対して同様であるように。

これはすごくわかりました。そうなんですよね、旦那も大変ですが、家庭を守る妻もまた大変です。

うちの相方と口論したときに拍子抜けしてしまったことがありました。それは「わたしが毎週どういう気持ちで空き缶を出しているのか、わかってるの??」という言葉でした。何か別レベルの話をしているときにいきなり日常の詳細を突きつけられて戸惑ったのですが、次の週、「あのさ、今日はぼくが空き缶、ゴミの日に出すから・・・」と言って出してみたところ、予想外に大変でびっくりした(苦笑)。おいおい、こんなにぼくはビール飲んでたっけ?缶おおすぎ、みたいな。

ゴミ出しひとつにしても大変なんですよね。これはもうアタマで考えるよりも、お互いの役割を入れ替えて体験してみるしかないと思います。そうではないと共通認識は持てない。冷静になれないときはお互いを責めることしか考えていないので、逆の思考ができない。家事をやってみないと家庭を守る大変さがわからないように、働いてみないと給料を運ぶ大変さはわからないかもしれません。

それからもうひとつ。ぼくは仕事で遅くなると11時すぎに帰宅して夕食をとることもあるのですが、一応、相方はご飯を作ってくれて置いてあり、寝ちゃっている。ところが、せっかく作ってもらったのに申し訳ないのですが、冷めちゃっていてあまり美味しくない。

特にぼくにとって美味しくないのが冷めたオムライスなのですが、先日、休日にみんなで夕飯にオムライスを食べたら美味かった。「あれー。オムライスって出来たてのあったかいときは美味いんだ・・・」と率直なひとりごとを言ってしまったら、苦笑されました。

ぼくは決して相方の料理をないがしろにしているわけではなくて、冷めたオムライスを持て余しているだけなんですが、それはうまく伝わらない(ほんとうに不味いんだってば、冷めたオムライス。レンジであっためたとしても救われないのだ。まあいいか)。ついでに、みんなが寝静まったあと、くたびれ果てて背中を丸めながら、ひとりで暗いキッチンで食べるから美味くないのでしょう。これもきっとわかってもらえないだろうなあ、と思っています。

ところで、かおるんさんも読んだという、姜尚中さんの「悩む力」ですが、最近、枕元において、眠りにつけない夜にはときどきランダムに開きつつ、いろんなことを深く考えています。第7章に「「変わらぬ愛」はあるか」というところがあるのですが、そのなかで次の部分に頷きました(P.142)。

相手に対して熱烈な愛情を持ちつづけるのは不可能に近いことで、その温度が下がったとき、多くの人が寂しさを感じるでしょう。しかし、それは愛のありようが変わっただけであり、愛がなくなったわけではないのです。

たとえば、どんなに気持ちは冷めてしまって、愛している、好きだという言葉を言わなくても、おれはおまえたちのために給料を運びつづける、という覚悟も愛かもしれません。あるいは、二度と会うことはないかもしれない大切なひとがいて、誰にも真相は語らないし(息子にはちょっとだけほのめかすかもしれない)、自暴自棄になることもないのだけれど、そのひとへの想いを墓場まで維持しつづける、という忍ぶ気持ちも愛かもしれません。だいすきだー、あいしてるー、らぶ(はあと)という状態だけが愛ではない。「愛のありよう」は変わるものであり、いろいろなスタイルがあり、残り火のように静かに燃える愛もある。

しかしですね、あらためて考えるのは、昔の男は強かったのではないかな。そして昔の父は威厳がありました。どんなに辛いことがあっても、しんどい、死にたい、などと言わずに、歯を食いしばって耐えたように思います。いまの男は簡単に愚痴を言ったり、弱音を吐きすぎる。そして女性は、そういう弱っちい男にやさしすぎる。いや、やさしくてうれしいのだけれど、甘えてはいけない。というか、ブログなんかがあるから、簡単に弱音を吐いてしまえるんですよね。ちょっと黙ろう。辛いときには書かないようにしよう。

強くなりたいです。そして、強い父親になりたい。

とはいえ、かおるんさんが旦那さんにあたたかい言葉をかけてあげたいという契機に少しでも貢献したのであれば、この内面を晒しすぎなエントリーも少しは役に立ったのかな、と思いました。

ええと、それからふと感じたのは、かおるんさんは実は大学時代のリアルな知人であり、お互いに相方がいて子供がいるという状況自体にぼくはどうも現実感がないのですが、まさかこんなところでこんな話をするとは、大学時代には想像もつかなかったなあ、ということでした(苦笑)。面白いけど不思議な未来になってしまったものだ、と思いました。

うわ。超・長文コメントで失礼します。朝だか夜だかわからない時間に、おじいさんのように目を覚ましてしまったので、つれづれなるままにコメントを書いていました。かおるんさん、これからもよろしくお願いします。

ああ、今日で10月も終わりですね。

胡瓜 2008-11-09T23:09

あたしも未公開の海に沈めてしまってる話があります(笑)
と、言うかそれは今も現在進行形で我が家に降りかかってる
問題でもあります・・・・。
そう遠くない未来に、こんな事があったよーと笑い話に出来るのか
それとも、現在進行形で重々しい内容になるのかは
全く想像も出来ませんが(笑)

しかしながら、弱音を吐けない性格も困ったものです(笑)

BirdWing 2008-11-10T08:23

胡瓜さん、コメントありがとうございます。

そうですか、胡瓜さんにも未公開の海に沈めてしまったエントリがあるんですね。内容がわからないので、いつか笑って話せる日が来ますよ!という無責任なことはいえないし、どれだけ時間を経たとしても、封印してしまいたい辛さというのはあると思います。ただ、最近ぼくが思うのは、逃げてしまったり目を瞑ってしまうと、同じような辛さのバージョン2.0みたいなものが追いかけてくるのではないか、と。気を紛らわせることも、根本的な解決にはならないような気がしました。

そんなわけで、徹底的に向き合うのがいいのではないか、などと考えています。乗り越えられるにしても、乗り越えられなかったとしても。

胡瓜さんは、辛いときこそ明るく振る舞ってしまうタイプだと思います。ぼくも似たようなところがあるのですが、辛いときは弱音を吐いてもいいのではないでしょうか。もちろん弱音を受け止めてくれるひとに対して、こころを開くべきだとは思いますが、周囲は敵ばかりではない気がします。

状況がわからないので、勝手なことを書いてすみません。頑張ってくださいね。でも無理はしないようにしてください。

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