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2008年11月29日

音楽と読書と、そして。

センサーが解放されていると、あらゆる文章が/音が/匂いが/ビジュアルがこころに飛び込んでくるものです。けれども、時折こころのセンサーが閉鎖された、あるいはフィルターがかかっているような状態になることがあります。だからといって日常生活に支障はありません。淡々と日々は過ぎていくのですが。

それでもしばらくすると急速に閉ざされていた感覚が開かれる。文章が/音が/匂いが/ビジュアルが、ぱあっとぼくのなかに入ってくる。

年齢にしたがって感受性が衰える、ということもいわれますがそうでしょうか。世間一般のそうした考え方にとらわれているひとは、衰えていくのではないかとぼくは思います。とらわれなければ、精神の若さは維持することができるはず。

もちろん若い頃のように、剥き出しのひりひりするような感覚はなくなるかもしれません。それでも年齢を重ねることによって、"感受性の成熟"を迎えることもできるのではないか。つまり積み重ねてきた、あるいはインプットしてきた感覚や智恵が有機的に結合しはじめることが、"感受性の成熟"であるとぼくは考えます。そのためには時間が必要であるし、焦って何かをカタチにせずにじっと耐えることも必要です。

もはや若くはない年齢ですが、ぼくは無駄な抵抗はしません。若いひとと張り合おうとは思わないし、無駄に若づくりをしようとも思わない。けれども美しいものに向き合っていると、自然に気持ちは若くなりますね。どうやらこれは確かなようです。年齢に関わらず、美しいものを排除していたり、斜に構えて批判ばかりしていると、身体はどんなに若くてもこころから老いてしまう。

身体の老化は避けられないものだとすれば、こころの老化だけはなんとかしたい。美しさを美しさのまま受け入れられること。その感覚さえあれば、雨を染み込ませる大地のように、こころはいつまでも世界からの美しさという恵みを享受できるような気がしています。

さて、音楽から遠ざかった場所にいたのですが、久し振りに週末にCDショップで試聴して音を漁ってきました。

ブログを書くときもそうですが、現場から離れていると、感覚を取り戻すのに時間がかかります。最近ほんとうに音楽を聴いていないので、ちょっと当惑しました。なんとなく1曲聴いてはどうもなあ、また1曲聴いてなんかなあ・・・と時間をもてあましていたのですが、そのうちにやっとぼくの感覚にひっかかってくる2枚をみつけて購入しました。

まず1枚目は、School of Seven Bells。インディーズとポストロックのコーナーでみつけました。双子の女性+男性というユニットのようです。マイブラ(マイ・ブラッディ・バレンタイン)のシューゲイザーを思わせる雰囲気とともに、どこか中近東(?)のような雰囲気を感じさせる。けれどもポップです。双子のコーラスが気持ちいい。

B001F6ZGB6Alpinisms
スクール・オブ・セヴン・ベルズ
アート・ユニオン 2008-10-29

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映像ではなくて静止画に音を入れただけですが(苦笑)、YouTubeから「Half Asleep」を取り上げてみます。逆回転風のノイズの処理など、もろに好みです。ヴォーカルの甘いハーモニーは、個人的にはAu Revoir Simoneを思い出しました(感想エントリはこちら)。楽曲の肌触りはまったく違いますが。

■School of Seven Bells - Half Asleep

そして2枚目は、まったく違うジャンルで、菊地成孔さん。今年の夏に行われたダブ・セクステットのライブです。これ、かっこいいなあ。iTunesで購入しようかと思っていたんですが。

イン・トーキョー
イン・トーキョー菊地成孔ダブ・セクステット

ewe records 2008-11-21
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エッジが際立っていて、思考の明晰さのようなものを音に感じました。都会的ですね。などと書いてしまうところがジャズに対しては田舎ものなのかもしれませんが。ディレイや電子音のようなものが、こんなにジャズに溶け込むとは思いませんでした。でも、たぶん嫌がるひとはいるかもしれない。

以下、YouTubeから。ピアノの音をぶつ切りにして連続再生したようなノイズも、演奏に違和感なく溶け合っています。

■菊地成孔DUB SEXTET - Monkey Mush Down

それにしても、どちらのCDも紙ジャケットなのですが・・・貧弱になったなあ。その分コストも下がっているのかもしれませんが、ダウンロード販売が主力になっていく影響を感じました。一方でYouTubeのほうは、高音質・高画質になっている気がしました。

ところで、読書のほうも盛り上がりつつあります。といっても乱読状態です。

つまみ読みのようなことになっていますが、いま集中して読み始めたのは水村美苗さんの「日本が亡びるとき」です。梅田望夫さんのブログのエントリ絡みで知った本ですが、とても面白い。こんなことを書くのは失礼だけれど、文章がうまいですね。そして何よりもきちんとブンガクに向き合っている姿勢が伝わってきて、ぼくの思考というか志を刺激します。

4480814965日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で
水村 美苗
筑摩書房 2008-11-05

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忘れてしまわないようにメモしておくのですが、水村さんの文章のうまさは、その明晰さと少しユーモラスなところにあると思います。これはなぜかと考えたのですが、水村さんが少女時代にアメリカで過ごし、しかし、部屋に閉じこもって日本の文学全集ばかり読んでいた、という稀有な体験に根ざしているのではないでしょうか。この体験は、ロンドンに留学しつつ精神を病んでいた漱石に重ね合わせることができそうです。また、外国文学に傾倒して自ら翻訳もする村上春樹さんに通じる姿勢でもあります。

水村美苗さんの文章のうまさは、英語の論理的な明晰さを骨として、日本語の芳醇な意味の広がりを表現として獲得している、「二重言語」にあるのではないかと考えました。ふたつの文化が交じり合っているところで書かれている。日本の読者のトレンドにウケる表現に媚びているところもないし、かといって文壇に引きこもって偉ぶるようなところもない。このひときっとブンガクを愛しているんだな、ということが伝わります。

文化を語るとき、ある領域内における文化を語るのではなく、複数の領域を横断した視点で語ると、その言葉に思考に幅や新たな視点が生まれます。アメリカと日本を横断する比較文学のような視点もそうかもしれないし、文系と理系の思考を横断することもそうでしょう。また、男性と女性の視点を合わせもつことも同様であるし、もっと突き詰めると自己と他者における限りない往復も然り。それがぼくらの思考や言葉を豊かにしてくれます。

ということから、ぼくも自分を突き詰めるにあたって、垂直的に自分の関心を掘り下げるとともに、水平的にジャンルを横断して、たとえばジャズとポストロック、純文学とビジネス書など分野にとらわれないやわらかさと奔放さで、いろんなことを吸収していこうと考えています。

音楽と読書が面白くなってきました。あとは、映画ですかね。備忘録的に書き連ねてみました。

投稿者 birdwing : 2008年11月29日 23:48

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