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2008年11月30日
奇跡のシンフォニー
▼cinema:音楽という手紙でつながる絆。
奇跡のシンフォニー [DVD] フレディ・ハイモア, ジョナサン・リース=マイヤーズ, ケリー・ラッセル, ロビン・ウィリアムズ, カーステン・シェリダン ポニーキャニオン 2008-10-22 by G-Tools |
モーツァルトのような天才ではないぼくが憧れてやまないのは、世界のあらゆるものを音楽に翻訳できたら、という夢想です。「海の上のピアニスト」という映画では、船上のバーに現われるひとたちを次々と音で表現していく天才のピアニストが登場しましたが、そんな風に視覚的なイメージを音で表現することができたら、どれだけ楽しいことか。
凡人であるところのぼくは、趣味のDTMで、そのときどきに感じたことを打ち込みのDTMとして表現しようと試みているのですが、表現や技術の限界からどうしてもうまくできません。イメージと音の間には大きな隔たりがある。だから世界のあらゆるものをモチーフとして泉のように音楽が自然に沸いてくる才能に、ほんとうに羨望を抱いてしまいます。
「奇跡のシンフォニー(原題はAugust Rush)は、孤児院の11歳の少年オーガスト・ラッシュことエヴァン(フレディ・ハイモア)が主人公です。彼は、ロックバンドのヴォーカリストである父ルイスとクラシックのチェリストである母ライラが一夜の運命的な恋に落ちて授かった子供ですが、ふたりは周囲の反対から引き離され、エヴァンはライラには死んだことにされて、孤児院に預けられてしまいます。しかし、音楽家であるふたりから生まれたエヴァンには、世界のあらゆるものを音楽としてとらえることができる才能があったのでした。そして、いつか自分のなかの音楽が両親に導いてくれると信じていました。
ばらばらになった3人ですが、それぞれが一緒になりたい想いを諦めきれずにいて、エヴァンは親に会うために孤児院を抜け出します。その彼がニューヨークで彷徨いながら辿り着いたのが、子供たちをストリートミュージシャンとして演奏させて金を巻き上げるブローカーのような"ウィザード"と呼ばれるおじさん(ロビン・ウィリアムズ)の家でした。ちなみに、その部分でイメージが重なったのは、ぼくがいま読んでいる途中のポール・オースターの「ミスター・ヴァーティゴ」という小説の冒頭です。
ウィザードの家で、彼は生まれてはじめて手にしたギターを弾きはじめます。彼が使っているギターはGibson SJ-200。ここで天才エヴァンは、コードも奏法もわからずに、独学で、とんでもない方法で弾きます。ぼくは、うわーっと思った。この奏法はタッピングではないですか。
日本では押尾コータローさんのアルバムで聴いたことがあるのだけれど、ギターを抱えずにパーカッシヴに弾く方法は、以前ぼくがブログの「すごい技術」というエントリで取り上げたエリック・モングレインというギタリストと同じ奏法でした。どこかギターというよりも鉄琴のように打楽器として弦を叩いて、ハーモニクスをたくさん使ったきらきらした音色になります。美しい。
さらに彼は、教会で出会った黒人の女の子の家で生まれてはじめてピアノをさわります。楽譜について教えてもらうと、女の子が学校に行っている間にものすごいスピードで作曲をはじめて、さらに教会でパイプオルガンを弾きこなしたりします。驚いた神父さんが、彼をジュリアード音楽院に入学させると、理論をあっという間に学んで授業の間に狂想曲を書き上げる。そんな彼の作品は、オーケストラで演奏するようになるのですが・・・。
ロックミュージシャンの父と、クラシックのチェリストである母から生まれて開花したエヴァンの書き上げた曲は、ロックとクラシックが融合したような音楽でした。この宇宙のあらゆるものにはハーモニーがある、というようなことを、たくさんの子供のミュージシャンからお金を巻き上げて暮らしているウィザードは言うのですが、エヴァンの曲もまた父の遺伝子と母の遺伝子の調和として生まれました。そして、ライブハウスでもなくコンサートホールでもない場所で、世界に向けて奏でられます。それは父親と母親に「僕はここにいるよ」と告げる「手紙」でもあり、どこかにいる両親に届くように、彼はたくさんのひとに聴いてほしかった。儲けるためではなく、才能ではなく、彼の音楽はたったふたりに向けたメッセージでした。
個人的な話としては、ちょうど日曜日、部屋のなかを片付けていたらヴァン・モリソンのCDが出てきて、このアルバムを聴いたあとで映画を観たところ、彼の「ムーンダンス」という有名な楽曲がルイスとライラの出会うシーンで使われていたりして、偶然の符合にびっくりしました。
ファンタジーというか音楽をめぐるお伽話であり、けがれのないエヴァンの音楽に対して、神童の才能に喰らいついて金儲けを企てるウィザードの汚さの対比とか、恋人であるルイスとライラ、あるいは母ライラと息子エヴァンのすれ違いのせつなさとか、ありがちなステレオタイプの物語ではあるのですが、使われている音楽もすべていい。日曜日の夕方、映画に仕掛けられた泣きどころに思いっきりはまってしまった。泣けた(涙)。号泣しながら観終えました。
やっぱり音楽っていいなあ。異質なジャンルが融合するときの創造性ってすばらしいなあ。そして技術や才能だけでなく、「ここにいるよ」というエヴァンが作品に込めたメッセージがこころに染みました。フレディ・ハイモアの無垢な少年ぶりに浸りたい、少年好きのひとにもおススメです。11月30日鑑賞。
■YouTubeからトレーラー
■公式サイト
http://www.kiseki-symphony.com/
投稿者 birdwing : 2008年11月30日 23:49
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