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2009年1月22日

就任演説、翻訳とレトリック。

アメリカ史上初の黒人大統領が就任しました。実はオバマ氏の就任前に、こっそり買った本があります。CNNで報道された生い立ちや過去のスピーチの原文+対訳を掲載、音声をCDに収録したこの本です。

425500451X生声CD付き [対訳] オバマ演説集
CNN English Express編
朝日出版社 2008-11-20

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黄色のバックに赤い文字の表紙は視認性は高いかもしれませんが、いまいちデザインのセンスが悪いなあ、と思うのですが。それはさておき。

インターネットで検索すれば、原文や対訳はもちろん、YouTubeなどで実際の演説の映像もみつかる時代です。わかっていたのですが、自宅のネットが引っ越しのために開通していなかったこと、値段が1000円だったこと、たまたま1000円札がポケットのなかにあったので、自宅近くの本屋で購入。

内容がまとまっているのがうれしいですね。英語は苦手なのですが、説得力のあるスピーチはどういうものかということを考えながら聴くと、耳を傾けることができます。確かにスピーチはうまい。

冒頭で、オバマ流スピーチのレトリックとして、津田塾大学准教授の鈴木健さんが次の3つの特徴を挙げています。

①「実演」(enactment)
②「再現」(repetition)
③「イデオグラフ」(ideograph)

「実演」(enactment)とは、「話している内容の証明として話し手自身が機能する技巧」だそうです。「ケニアからの黒人留学生とカンザス州出身の白人女性との間に生まれたオバマ」は、自分自身のことを「人種の融合の象徴」として引き合いに出すことによって、多様性を肯定しながら人々が力を合わせる重要性を説得したようです。要するに、わたしがアメリカだ、というような主張なのでしょう。たしかに自分のことを比喩として取り上げながらアメリカのことを話すと、親近感が沸くだけでなく同調できます。

「再現」(repetition)は、「同じ構造の文を繰り返すことで、リズムを整え、聴衆に内容を理解しやすくする効果」。「イデオグラフ」(ideograph)は「覚えやすくインパクトのある言葉やフレーズを、政治的スローガンとして用いる技巧」とのこと。「希望(hope)」「変化(change)」そして「アメリカの約束(American Promise)」というキーワードが多用されたようです。あとはお決まりの「Yes,we can.」でしょう。

このレトリックは、政治だけでなく、企画提案などのプレゼンにも使えるかもしれません。もちろん技巧だけうまくなっても、人間性がともなわなければ、ほんとうに相手を説得することは難しいと思いますけどね。

就任式の日、最近巡回しているブログでもスピーチが取り上げられていました。小飼弾さんがスピード重視で原文と翻訳をアップされていました。ブログならではのスピードです。朝日新聞のニュースサイトも早かった。翌日には内田樹さんが原文と訳を掲載しながら所感を述べられていました。

訳文を比較してみます。というのは、「翻訳夜話」という本だったかと思うのですが、柴田元幸さんと村上春樹さんが、レイモンド・カーヴァーとポール・オースターの短編をそれぞれ翻訳していて、同じ英文でもこんなに違う雰囲気になるのか、と面白かったからです。

4166601296翻訳夜話 (文春新書)
村上 春樹
文藝春秋 2000-10

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学者であり本を書くひとの翻訳(内田樹さんのブログ)、ギークでありブロガーの翻訳(小飼弾さんのブログ)、メディアの翻訳(朝日新聞のサイト)ということで比較してみます。英文は内田樹さんのブログから引用させていただきました。

For us, they packed up their few worldly possessions and traveled across oceans in search of a new life.

■内田樹さん訳

私たちのために、彼らはわずかばかりの身の回りのものを鞄につめて大洋を渡り、新しい生活を求めてきました。

■小飼弾さん訳

我々にとって、それはろくな荷物ももたず、新たな生活を求め海を渡ってきた人々です。

■朝日新聞訳

私たちのために、彼らはわずかな財産を荷物にまとめ、新しい生活を求めて海を越えた。

For us, they toiled in sweatshops and settled the West; endured the lash of the whip and plowed the hard earth.

■内田樹さん訳

私たちのために、彼らは過酷な労働に耐え、西部を拓き、鞭打ちに耐え、硬い大地を耕してきました。

■小飼弾さん訳

我々にとって、それは搾取に耐え、西部へと渡り、鞭に耐えつつ硬い大地を耕してきた人々です。

■朝日新聞訳

私たちのために、彼らは汗を流して懸命に働き、西部を開拓した。むち打ちに耐え、硬い土を耕した。

For us, they fought and died, in places like Concord and Gettysburg; Normandy and Khe Sahn.

■内田樹さん訳

私たちのために、彼らはコンコードやゲティスバーグやノルマンディーやケサンのような場所で戦い、死んでゆきました。

■小飼弾さん訳

我々にとって、それはコンコード[独立戦争]、ゲティスバーグ[南北戦争]、ノルマンディー[第二次世界大戦]、そしてケサン[ベトナム戦争]で戦い命を落とした人々です。

■朝日新聞訳

私たちのために、彼らは(独立戦争の)コンコードや(南北戦争の)ゲティズバーグ、(第2次世界大戦の)ノルマンディーや(ベトナム戦争の)ケサンで戦い、命を落とした。

Time and again these men and women struggled and sacrificed and worked till their hands were raw so that we might live a better life. They saw America as bigger than the sum of our individual ambitions ; greater than all the differences of birth or wealth or faction.

■内田樹さん訳

繰り返し、これらの男女は戦い、犠牲を捧げ、そして手の皮が擦り剥けるまで働いてきました。それは私たちがよりよき生活を送ることができるように彼らが願ったからです。彼らはアメリカを私たちひとりひとりの個人的野心の総和以上のものと考えていました。どのような出自の差、富の差、党派の差をも超えたものだと見なしていました。

■小飼弾さん訳

よりよき生活を求め、犠牲もとわず争いそして働いてきたこれら男女のことです。彼らにとってアメリカは単なる個人の集まりより大きく、生まれや富や思想の違いよりも大きかったのです。

■朝日新聞訳

彼らは、私たちがより良い生活を送れるように、何度も何度も奮闘し、犠牲を払い、手がひび割れるまで働いた。彼らは、米国を個人の野心の集まりより大きなもの、出自の違いや貧富の差、党派の違いよりも偉大なものだとみていたのだ。

部分を抜き出したのですが、冒頭が「For us」の構文が3回繰り返され、先程の技巧でいうと「再現」(repetition)というレトリックになります。たたみかけるように繰り返すことで、意識のなかにイメージが折り重なっていきます。さすがだ。

訳文に優劣をつけるのはいかがなものかと思いますが、個人的な好みでいうと、ぼくは内田樹さんの訳に軍配を上げます。文章がこなれていて、やわらかくて読みやすい。著作全般にも感じられる印象ですが、しなやかに考えられるひとだと思う。

ブロガーの翻訳はどうでしょう。小飼弾さんの訳文は早かったのだけれど、残念なことに雑です。意図がわかりにくい(じゃあ、おまえが訳してみろといわれたらできませんが。すみません)。

海外の技術翻訳に、この日本語ってどうだ?と首を傾げる文章があります。申し訳ないのですが、悪い意味で、とても技術者らしい翻訳だと思いました。たぶんこういう書きかたをしているから、情報機器などのマニュアルって伝わらないんですよね。英語はもちろん、技術のことばを初心者にわかりやすく"翻訳"できていない。どうしても技術者・開発者は俺様視点で書くから、読み手に対して冷たい印象があります。でも、まあギークということで(意味不明)。

同様に朝日新聞も報道的な文章で味気がない。要旨はその通りかもしれませんが、読んでいてこころは打たないなあ、これでは。ただ、メディアによる報道はそういうものだと思うので(主観や感情を排して伝えることが重要)、これもまた仕方ありません。

内田樹さんのブログでは、この演説がなぜ説得力があるのかを次のように解説されています。以下の考察に、やっぱり内田樹さんの視点は鋭いな、と舌を巻きました。引用します。

よいスピーチである。
政策的内容ではなく、アメリカの行く道を「過去」と「未来」をつなぐ「物語」によって導き出すロジックがすぐれている。
「それに引き換え」、本邦の政治家には「こういう言説」を語る人間がいない。
私はいま「日本辺境論」という本を書いているのだが、タイトルからわかるように、日本人というのは「それに引き換え」というかたちでしか自己を定義できない国民である。
水平的なのである。
「アメリカではこうだが、日本はこうである」「フィンランドはこうだが、日本はこうである」というようなワーディングでしか現状分析も戦略も語ることができないという「空間的表象形式の呪い」にかかっている。

うーむ。考えてみると、ぼくが試みた3人の翻訳を比較する試みも「それに引き換え」的な「空間的表象形式の呪い」にとらわれている思考かもしれない(苦笑)。

自立したアイデンティティより、関係性を大事にしますね、日本人は。自分はこう思う、ではなくて、あのひとがこう言っていたから私もこう思う、というように、誰かの主張を借りてくることによって自分の主張の根拠とします。基本的に引用がうまい。決して悪いことではないと思うのだけれど。

ついでにこれも。

「過去の日本」はどうであったのか、「未来の日本」はどうあるべきなのか、という「時間軸」の上にナショナル・アイデンティティを構想するという発想そのものが私たちには「ない」からである。

オバマ大統領の演説に説得力があるのは時間軸による統合があるからで、日本の場合は空間軸に配置した発想で考えるのでまとまりがなくなる。範列(Paradigms)と統辞(Syntagms)という言語学的な用語を思い浮かべたりしたのですが、ひょっとすると英語が音の配列からなるリニア(線的)なことばであるのに対して、書き言葉において日本語は意味の広がりを持つ範列的な言葉だからかもしれないな、などとぼんやり考えました。学問的にきちんと裏づけはありません。思い付きです。

ちょうど麻生首相の言葉が「ぶれる」ことについて批判がありましたが、時間軸による統合がないから「ぶれる」わけですね。

過去にAと考えた→現在はBと考える→したがって、未来にはCを選択するだろう、というロジックの強い流れがない。というよりも各施策を貫くコンセプトあるいはメタの思考がないから、言っていることに「ぶれ」が生じるのかもしれません。報道をウォッチしている限りですが、どうしても日本の政治家は目前の施策のことしか考えられないようにみえます。

ただ、さらに考えを進めると、時間的な統合による説得は、ロジックとしての強さはあるのですが、一方で盲目的になり、排他性をもつ危険性があると感じました。オバマ氏の演説はアメリカの国民にとってこそ有効だけれど、その結束力がゆえに他の考え方を排除する印象もなきにしもあらず。

内田樹さんの指摘通り、日本人には時間軸の統合による説得力のある言説は苦手かもしれません。一方で、多くの言説を見渡したきめ細かな配慮は得意です。それを強みにすれば、よいのではないでしょうか。ロジックの弱さがあるかもしれませんが、全体を配慮できる思考も悪くはないと思います。やさしさ、ともいえるかもしれない。ただ、これからの国際社会のなかでは時間軸によるロジック負けてしまいそうな気もする。やさしいだけでは、だめか・・・。

理想としては、時間の統合に空間的な範列の視点とを取り入れることで、多角的な考え方ができるようになるのでは? 個人的には、タテ(時間軸)とヨコ(空間軸)の糸を織ったような思考ができるといいと思っています。概念的ですが、そんな思考の獲得を求めて、いままでブログを書いてきました。これがまた、難しいことなんですけどね。

投稿者 birdwing : 2009年1月22日 23:59

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