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2009年1月28日

開通記念は、ぼやきで。

引越しのため自宅でネットができなかったのですが、午前中、工事の立会いをして、やっと光ファイバーによるネットが開通しました。

充電式のドリルで、ごりごりきゅいーんという感じで壁に穴を開けてケーブルを通して、電話口のようなコンセントを設置。作業をしてくれたのは、引っ越す前にこの家に住人が使っていたネットの後片付けをしてくれた同じ担当者で、髭の生えたにーちゃんでした。下見から丁寧にアドバイスや相談をしてくれるので、なかなか好感触の業者さんです。

今回のモデムは無線LAN付きなので、以前に使っていた無線LANのルーターが無駄になりました。WiiやDSを使うために再度設定をしなければ。

試しにPCを立ち上げてネットにつないでみたのですが、Sleipnir(通称、ぷにる)というブラウザのタブに、ブログの原稿として書こうと思っていたYouTubeのページが残っていて苦笑。最後のエントリを書いたときに、このページをみていたのだった。そのまま残っていました。以前住んでいた家の回線より遅く感じるのは気のせいでしょうか。久しぶりのネット接続にマシンが悲鳴をあげているのかもしれません。買い換えたいなあ、PC。

とにかく長かった。思えば12月から1ヶ月あまり、自宅にネットがない断絶の日々がありました。ネットカフェで時間(=料金)に追われて、せわしなくブログを更新していた日々が懐かしい。延長すると15分単位で100円などお金がかかるので、落ち着いて更新もできませんでした。納得がいかずに再度カフェのはしごをしたこともありました。USBメモリを忘れたこともありましたっけ。

ネットがないと、どうなるか。まず早寝になります。ネットジャンキーな頃には、3時から4時の間に就寝していたこともあったのだけれど、ネット断絶後には遅くても2時、早いときには10時に就寝となりました。それでも4時に起きてDTMに夢中になっていた日もあるので、不規則な睡眠はぼくの悪い癖なのかもしれません。きっと長生きはできないですね。

ただ、とあるメールだけは、どんなに寝ていても届いたのがわかった。ひょっとしてテレパシーがあるのか?と怖くなったほどです。いまメールが来たかもしれない・・・と思ったときに、PCはネットにつながっていないので携帯電話でチェックすると、予想通り必ず届いていました。メーラーにはタスクバーに常駐して、ポップアップでメールの到着を教えてくれる機能がありますが、その機能が身体のなかにもあるようでした。それほどまでにネットはぼくの生活や身体に溶け込んでいたのでしょう。残念ながら、いまはテレパシーもなくなりましたが。

PCをネットにつながずにローカルで原稿を書いていると、どんどん長文化していきます。公開のためにはネットカフェに行かなければならないため、推敲を繰り返すので、文章の精度は高まるかもしれません。仕上がりとしては丁寧になります。でも、勢いはなくなる。どちらかというとブログのよさは勢いに拠るところが大きいと思うので、さくっと書いてさくっと掲載したほうがよいのかもしれません。

さぁ、ゆっくりネットをしよう、と思って会社から帰る途中、携帯電話で呼び出されて、寒いなか路上にて電話で話をすることに。楽しい話であればともかく、薀蓄とか、自慢とか、ぼくに対する批判が多かったので閉口しました。

多少、酔っていたのかもしれない。あるいはストレスが溜まっていて、ぼくと話をして発散したかったのだろうと思いますが、一方的にかけてきて、不愉快なことを語られるのは正直なところ困った。ご飯も食べていなくて、家は目前なのに、近所をぐるぐる回りつつ震えながら話をしました。まあ、すぐに切ればよかったのだろうけど。

ぼくは読みたいものを読みたいと思うし、聞きたいことを聞きたい。そうして、話したいことを話したいと思っています。

しかし、すべては相手あってのことです。聞きたくないことを話されても困ることでしょう。ぼくだって聞きたくないことは、できれば聞かないでいたい。話したくても話せないことだってあります。時間や場所など、TPOによって制限されることもあるでしょう。

いま外です、と言っているにも関わらず延々と配慮なしに一方的な電話をされるのなら(しかも、ぼくにとって面白くない話であれば)、あまり話したくないなあ、というのが本音でした。何か書きものをされているようですが、同様にして押し付けられたら読みたくないなあ。それがどんなに面白いものであっても、読む前に抵抗を感じてしまう。

ただ、ぼく自身も同じように不躾なことになっていないか、ということを反省しました。ブログであれば、読むか読まないかの選択を相手に委ねることができます。特にぼくの場合には、読んでくれ、と声高にアピールしていないし、ごく少数の信頼できる知人にしかブログの存在を教えていません(しかし、これがまずかったか・・・と思うことがたまにある)。検索エンジンには引っかからないように控えているぐらいです。

でも、メールは違う。相手にとってはしんどい状況下で、たたみかけるように厳しいメールを送るような場合、かなりの負荷をかけてしまいます。まず読まなければ、というプレッシャーがあるだろうし、次にお返事を書かなくては、という風に追い込まれていく。内容が相手にとって面白くないものであればスパムに近い。迷惑きわまりない。

どちらかというと信じるがままに猛進して押すばかりで控えることを知らない性格のぼくですが、相手の状況を配慮して、自分の気持ちを抑えて、引くべきところは引くことにしよう(けれども引けないところは、きっちりと堪えよう)。ということを最近強く自戒しています。

感情の抑制、あるいはコントロールができない場合には、そうもいかない事態が多くありました。けれども、それは自分の未成熟さ以外の何ものでもない。相手によいことだから話そう、という前提はもしかすると余計なお世話なこともあるだろうし、自分のなかのわだかまりやストレスを解消するために話すのであれば、最低だ。楽しい関係を維持するためには、黙ること、語らないことも必要です。妥協する、のではなくてね。

というわけで、冷え切ったこころで帰宅したのですが、ネットにつないでほっとしました。

仕事では日を追うごとにハードな状況に置かれている今日このごろ。どんなものであれ、ほっとひといきできる時間があるのは大切です。嫌味な言葉が飛んでくることもありますが、スルーでやり過ごすことにして。

体調が悪くて弱っているときなどには、毒を吐いたことばに必要以上にやられてしまうことがあります。こころも身体の一部だから、身体が弱っているときにはこころもやられてしまう。インフルエンザも流行っています。気をつけましょう。

投稿者 birdwing : 2009年1月28日 23:59

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