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2005年12月25日
団体戦の時代。
8歳の息子(長男)を連れて、映画を観に行ってきました。「劇場版ムシキング グレイテストチャンピオンへの道」で、同時上映は「劇場版超星艦隊セイザーX」です。最近はもっぱら劇場といえば子供を連れて行くことばかりなのですが、子供向け映画とはいえよくできているものが多く、CG映像に唸らされることはもちろん、物語としてもよくできていて不覚にも涙を流してしまうことがある。ドラえもんは狙っているかと思うのですが、クレヨンしんちゃんでじわーっときたときにはさすがにやばいなあと思いました。とはいえ、今回の2作品に関しては、どちからというと途中で睡魔に襲われてしまったのですが。
これは既にもう誰かが指摘されているかもしれないのですが、やはり最近の子供たちの戦隊ものやアニメは、非常に複雑化・多様化しているということを痛切に感じます。まずヒーローにしても、過去の履歴を背負っている。クリスマスプレゼントとして、ちょっと古いのですが欲しがったので「ウルトラマン FightingEvolution Rebirth」というPlaystation2のゲームを買ってあげたのですが、過去のウルトラマンだけでなくティガやアグルなど最近のウルトラマンまで網羅している。これは子供とともに30代~40代男性をターゲットとしているからかもしれませんが、実はウルトラマンに登場する怪獣はぼくよりも息子の方が詳しかったりする。つまり単一のヒーローだとしても垂直的にそのバージョン(というかファミリーというか)を網羅しているわけです。
それだけでなく、興味の幅も広い。うちだけかもしれませんが、ポケモンのカードを集めていたかと思うと、ムシキングに移行したり、デュエルモンスターズになったりする。それぞれ何十~何百種類のバリエーションがあるのですが、勉強はできなくても、その種類だけはものすごく詳しい上に暗記までしている。実はムシキングは、8歳の息子にとってはちょっと幼稚な感じもします。幼稚園の子供ぐらいに人気があるのではないでしょうか。
つまりこれは、データベース的な収集、ともいえるかもしれません。カード自体はデジタルではなくても攻撃力、防御力などの情報は系統化されている。したがって、データベース的な比較ができるため、知らず知らずのうちに思考もデータベース的になっている。
もはやモーニング娘。がどういう構成になっているのか、ぼくには詳細はよくわかりません。彼女たちは多様性というか、アイドルはひとりではないという現象として面白かったのですが、仮面ライダー龍騎の頃には、確かライダーも13人登場していて、ヒーローもひとりじゃなくなってきたな、と感じていました。ところが、今日「劇場版超星艦隊セイザーX」を観て、うーんとまいったのですが、これは全部で18人ぐらいの戦士が登場する。誰が誰だかもはやわからないし、どうでもいいやという感じです。しかもそれぞれが合体ロボットのようなものに乗り込み、最後の方では全員がロボット状態で登場して、ばかでかい2本の頭のキングギドラのような怪獣と戦う。めまいがしました。詰め込みすぎだし、お腹いっぱいな印象です。ただ、ファンの子供たちにとっては、あの後ろの方に隠れているヒーローは誰それで、こんな武器がある、ということを記憶のデータベースから引っ張り出して、言及できるんでしょうね。
ゴジラに登場した轟天号も出てきたりして、その辺はおとうさんのノスタルジーもそそったりするのですが、ヒーローはひとりで、怪獣も一体だった時代が逆に懐かしく感じました。特撮とCGもかなり多用している。もちろんぬいぐるみのなかに入って演じているような映像もありますが、お子さま向けとはいえ、かなり迫力のある映像にもなっている。ゲームにしても映画にしても、こういう映像をふつーに見て育った子供たちは、何をリアルと感じて、何を想像するのだろうか、とふと思いました。
ブログの世界でもLongtail(ロングテイル)ということがいわれます。パレートの法則的では2割の商品が売り上げの8割を占めるという公式がありますが、インターネットの世界ではそれが通用しないようになっている。突出してアクセスが多い20%の少数サイトよりも、ひとつひとつのアクセスは少ないが、残りの80%を占める一般の多数サイトが注目されているというわけです。Amazonの書籍の売り上げなどでも、突出したベストセラーよりも、そこそこの売り上げがあるその他多数の書籍が全体の売り上げに貢献しているらしい。つまりヒーローはいません。細分化された多数の方が重視されるようになってきているわけです。
企業としても、カリスマ的経営者というのはいますが、組織力で勝負するような時代になってきているのかもしれない。団体戦の時代なのかもしれません。しかしながら、うじゃうじゃ現われて戦うセイザーXはあんまりかっこよくないなあ、とぼくは思いました。3人もしくは5人までというのが、ヒーローの正しい姿のような気がするのですが、それはレガシーな古くさい考え方なのでしょうか。
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■劇場版ムシキング グレイテストチャンピオンへの道/劇場版超星艦隊セイザーX」。ちなみにポケモンは映画とテレビなどがうまく統合されているのですが、ムシキングはゲームの世界とテレビのアニメの世界が別物です。ぼくは絵本的なテレビのアニメの世界の方が、いいなあと思うんですけどね。息子は、最初の頃こそ熱中してテレビをみていたのですが、最近は「ポポ(主人公)なんてかっこわるい。あんなどんぐり頭」などと言っています。
投稿者 birdwing : 2005年12月25日 00:00
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