« 聞こえるキャンペーン。 | メイン | 団体戦の時代。 »

2005年12月24日

信じること、を信じること。

まずはとりあえず、メリー・クリスマス!!

都心とは離れた方向へ子供たちへのプレゼントを買いに出掛けたのですが、都心とは反対方向にもかかわらず、クリスマスを街で過ごそうとするひとでいっぱいでした。カップルも多い。しあわせそうです。女の子がみんなきれいに見えるのはぼくだけでしょうか。

子供たちには、2段階のプレゼントを用意しました。まずは、パパ・サンタからのプレゼント。どこかに出掛けたぼくを待ち受けていた息子たちに、これはパパからのプレゼント!と渡して目くらましをしたあとで、こっそり本物のプレゼントは部屋に隠す。そして、本物のプレゼントは今日の深夜に枕元に置く予定です。

というのは、8歳の息子が「ねえ、サンタってほんとうにいるのかな。ほんとうのことを言って、ママ」ということを言い出しました。彼はずーっとサンタのことを信じていて、いまでも信じているようですが、若干の迷いが出てきたようです。ちなみに、彼はサンタを確認しようとして、眠いのを我慢して起きていたことがあったらしい。睡魔と闘いながら、プレゼントを置くサンタを確認したとのこと。その話を聞いて、若干ぼくは焦ったのですが、で、サンタはどうだった?と訊いてみると「意外に若かった」とのこと。ぼくであることがばれていなくてほっとしました。どうやら彼はまだサンタを信じているようです*1。

大人の社会では、そんな風に純粋に何かを信じることができなくなってきています。一般論ですが、ふつうはマネージャーというのは高い志を抱いていて、自分よりもスタッフのことを気遣い、人格者である、とそう信じている。そんな人格者であれば、自分を捨てて力になりたいと思うものです。しかしながら、そんなマネージャーは企業にはいません。優秀な人間が辞めてしまって、そのあとを継ぐひとがいなくなったとしても、「辞めちゃったんだからしょうがない」なんてことを平気で言うし、自発的に何かを考えてやろうとしたり向上心のある人間に対しては、成功すれば上司である自分の手柄にしてしまうし、失敗すれば「おまえが勝手にやったことだから」ということを平気で言うものです。頑張ってくれ、という言葉を信じて部下が深夜まで働いたとしても、うまくいかなくなれば「いやーおまえが勝手にやったんでしょ?」なんてことを言う。凹むよりもまず人間不信になります。やがてストレスで身体がおかしくなる。で、健康を害した人間に対しては、「健康管理を怠ったきみが悪いんでしょ?」なんてことをまた平気で言うものです。頑張った人間が損をする。給料は据え置きのまま責任ばかりが増えていく。それがほとんどの会社では?

これも一般論ですが、そんなマネージャーはどこかから引用した自分の言葉ではないフレーズをさも自分の言葉のように使って、日のあたる場所にいる。現場とは遠い抽象的かつ安全な場所です。その日溜りから「いままでオレが何度も言ったのにやらない」とスタッフを無能と決め付けて批判するけれども、意欲のある人間を潰して転職などに追いやってしまえば、そりゃあ残された人間は誰もやらないでしょう。やらせなかった自分は棚に上げて、責任は全部他人のせいにする。そんな姿勢を見ていれば、残った人間は二度と何もやらなくなる。おいしいアイディアだけいただきで、スタッフのことは考えもしない。いつまでもスタッフは日の当たらない場所にいることになる。そんなマネージャーに見習って、他人には協力しない(でも協力は仰ぐ)、リードしないが批判はするリーダーなどというしょうもない輩も出てきます。

その一般論に対してぼくが考えることは、信じることも自由だけれど、信じないこともまた自由である、ということです。純粋に信じていたとしても、裏切られることが多いのが大人の社会というもの。みんなに幸せをもたらすサンタクロースばかりを信じていられない。であれば、信じて傷つくよりも信じなければいい。信じないというよりも「見切る」だけでいい。砂漠のような場所に花が咲くことを信じて種を撒き続けるよりも、花が咲くような環境をみつければいいし、花が咲かない場所からは立ち去ればいい。選択は個人の責任において自由です。

しかしながら、サンタなんてほんとうはいないんだよ、と言ってしまうことは簡単ですが、ぼくは夢をみていたいし、その夢を重視するところで生きていきたい。基本的には信じていたいんです、どんなに不条理な世界であっても。しかし信じることによるリスクの大きさも分かっている。だから夢を消耗させてしまうような環境であれば、いままでの安穏とした環境にリセットをかけるようなことも必要ではないか、という気がしています。じっと幸せを待って餓死してしまうよりも、幸せのありかを求めて動いていた方がいい。そういえば「チーズはどこへ消えた?」という本もありました。

クリスマス・イブとしてはシリアスな話題ですが、夢を見るということがどういうことなのか、あらためて考えました。もうすぐ2005年もおしまいです。クリスマスを家族たちと楽しく祝いながら、一方で自分の未来について静かにそしてシリアスに考えました。

ところで、昨日の夕方、耳がおかしくなり、家族の話す声に全部ぴーという音が入るので、会話が放送禁止状態だと冗談でSNSに書き込んだところ、4人の方からそれは突発性難聴なので早急に病院に行くべきだ、じゃないと手遅れになる、というアドバイスをいただきました。実は笑い事で済まされるような病気ではないらしい。ストレスから突発性難聴になりかけたようですが、睡眠を十分にとったところ、若干よくなったようです。くだらないことをストレスに感じて身体を壊すことほど、くだらないことはありません。家族のためにも、まずは自分を守らなければいけない。あらためてそんなことを考えたイブでした。

+++++

■啓蒙本は、若干斜に構えて読んでしまうところがあります。もっと純粋に読むことができるといいんですけど。

459403019Xチーズはどこへ消えた?
Spencer Johnson
扶桑社 2000-11

by G-Tools


*1:現在、25日の深夜1:20。待機中のサンタでしたが、そろそろサンタ発動としましょう。さっき長男の枕元をみたら、「サンタさん、ありがとう」という手紙とともに、せんべいが置いてあった。おおいい子じゃ、せんべいをいただくとしよう。ばりばり。と、いうところでサンタみつけた!というシナリオでしょう。ふっふっふっ。そうはいかないのだよ。でもお腹すいたから食べちゃいそうだ。1:31サンタ任務完了。おせんべい、いただきます。うまい。

投稿者 birdwing : 2005年12月24日 00:00

« 聞こえるキャンペーン。 | メイン | 団体戦の時代。 »


トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://birdwing.sakura.ne.jp/mt/mt-tb.cgi/822