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2006年1月 2日

環境が育てるということ。

弟が運転するクルマで年始の挨拶にまわったあと、温泉の近くの蕎麦屋で昼食をとりました。窓の外には、でっかい蘇鉄が生えていて、観光的には有名らしい。年老いた母は、この近辺の親戚など血縁関係についていろいろと説明してくれたのですが、田舎の血縁関係については、さんざん聞かされてきたせいか(かなり複雑に入り組んでいるせいか)、もうぜんぜん頭のなかに入ってきません。ただ、何気なく挿入された「あのキンモクセイもでっかいねえ」という言葉だけが飛び込んできて、ふとそちらの方を向くとでっかいキンモクセイがあった。芳香剤っぽいなどと言うひともいるのですが、ぼくはキンモクセイの匂いがどういうわけか大好きです。まだ独身の頃に住んでいたアパートは秋も深まると毎朝その香りのなかで目覚める感じで、ものすごく幸せでした。そんなわけで、あんなにでっかい木なら花が咲いたときにはどれほど幸せなことか、とぼーっと考えていたら、それだけでなんだか幸せになりました。

どうしてあんなにでっかいんだろうね、と言ってみると、弟が、温泉など地熱があるからじゃないかな、とのこと。なるほど、温泉といえば人間的には気持ちのいい癒されるものですが、温泉によって癒されるのは人間ばかりでなく、植物的にも(蘇鉄的にもキンモクセイ的にも)同じわけです。温暖な地域で、しかもいつもぽかぽか地熱によって暖められていれば、植物もでっかく育つ。環境というのは大事なものだな、と思いました。

さて、突然仕事の話になりますが、一般論ですが、仕事において「リーダーじゃなくてもリーダーシップは発揮できるだろう」「これはきみはやりがいがある仕事だろう」とスタッフの意向はまったく無視の勝手な解釈をして、仕事を任せるようなマネージャーも多い。しかしながら、この言葉の裏側には、おまえに権限与えると危険だから飼い殺しにしちゃっておくからね、面倒な仕事だからオレは責任もたないけどあとはよろしくね、というだけのことも多い。そんな意図は、部下にはわからないと思っていても結構わかってしまうものです。マネージャーのみなさん、注意してくださいね。

仮にそんなネガティブな環境のなかに長期的におかれたとすると、くさらないで頑張ってください、と激励されたとしても、くさってしまうものです。人間というのは理想だけでは生きていけない。給料だけでも生きていけない。社員は機械ではなくて、心と個々の生活をもった人間である。そんな基本的なこともわからないマネージャーは、面談といえば言いたいことだけを一方的に告げておしまいにしする。お客様との打ち合わせに行けば、打ち合わせの文脈に合わないようなとんちんかんな発言をして、お客様も同行したスタッフも困惑しているのに、気づかない。もっとひどいのは、言ってやった、みたいな誇らしげな顔をしていることもあるようです。EQ(=情動的な能力)に欠けるわけです。

オレがやる、といつまでもマネージャーが君臨していると、その下の人間は育ちません。君臨しているのがリーダーシップである、と勘違いしていると、長期的ならびに全体的には組織は弱体化するものです。トップの王様は気持ちがいいかもしれないけれど、ひとりっこ的なわがままで、積み木を作ったり壊したりするのと同じように組織体制を作ったり壊したりしていると、彼に使えるしもべたちはモチベーションを低下させる。それでもかなしいしもべたちは頑張ってなんとか与えられた使命をカタチにしようとするのですが、最後の最後に、こんなんじゃだめだ!と逆切れされたりした日には、あーあもう二度といっしょに仕事したくないなという気分にもなる。根っこのある植物とは違うので、人間は環境を選ぶことができる生きものです。

組織においてリーダーやマネージャーの役割は、プレイヤーではなくコーチ、脚本家や演出家のように表に立つのではなく裏側からスタッフを支援するのがベストのように思います。もちろん社風や積み上げてきた伝統などによって状況も変わるかもしれませんが、舞台に立つのはスタッフの方がぜったいに活気が生まれる。教師だって壇上から頭ごなしに教えるタイプより、教室の後ろから見守るタイプの方が信頼できるのではないでしょうか。そういう時代かもしれません。

今日読み終わった仕事関連の本のなかには、「育てるのではなく、育つ環境づくりを」という提言がありました。確かにスタッフひとりひとりがきちんと起業家意識を持ち、権限と責任を持って働くことができれば、それほどやりがいがあることはない。組織も活性化する。しかしそのための環境づくりとしては、地熱のようにそうした意識をあたためる土壌が必要になる。

子育ても同じです。まず、あたたかい愛情が大事。これは基盤です。茂木さんの本にも、10歳までは心の安全地帯としてママやパパがなんとかしてくれる、という安心感を持たせることが重要であるということが書かれていました。しかし、一方であまりにもやってやりすぎると、自分では何も考えない、できない子供になってしまう。この辺りの匙加減は、なかなか難しい。

しかしながら、今日は帰省先から東京に戻ってきたのですが、子供たちを見ていると、ああぼくがこいつらに育てられているなあ、と思う。ふたりの息子たちは、ぼくにぽかぽかな気持ちを与えてくれます。家族の地熱のような存在です。ありがとう。

投稿者 birdwing : 2006年1月 2日 00:00

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