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2006年1月20日

共創感。

ひとは誰でも、自分の話をしたいものです。そして自分の話を聞いてもらいたいと思っている。もちろん、自己主張の少ないおとなしいひとだっていますが、それでも自分をわかってもらいたいという気持ちはある。まったく何も自分から話したくないというひとは、いないのではないでしょうか。無人島で生活しているのではなければ。いや、無人島で生活していても、いずれ島を訪れる誰かのために、文字で何かを記しておくかもしれません。そして自分のさびしさや、楽しかったことなどを残しておきたいと思う。

子供もそうです。うちの息子(長男)はとてもおとなしい性格で、参観日に学校に行くと、こいつ存在を消そうとしているな?忍者か?ニンニンと思うほどです。でも、彼もやっぱり自分の話を聞いてもらいたいと思っているし、話がしたい。学校では静かであっても家にいるときには、ぼくの部屋に何度もやってくるようなときには、どうした?というと堰を切ったように話しはじめることがある。もっと自分からどんどん話してくれるといいんですけどね。

昨日は大きなプレゼンがひとつあったのですが(企画書は100枚弱)、プレゼンというのはプレゼンテーターによって一方的に話をすることが多い。しかしながら、聞いているひとだって、話したい気持ちがむずむずしてくるものです。ぼくだって聞いている立場であれば、一方的に1時間も聞かされているのはつらい。ちょっと口を挟みたくもなる。プレゼンテーターとして一生懸命話していると、説明することでいっぱいいっぱいになって、聞き手の感情まで意識が回らないことが多いのですが、そんな聞き手の気持ちを配慮することも大事です。コミュニケーションというのは、聞き手があってのものなので。

プレゼンは一方的に説明をするもの、という固定観念を捨てると、対話も生まれてくる。そうして一方的な説明よりも、何らかのコメントをしたり、対話があるようなプレゼンは、いっしょに企画を創り上げたんだ、という協同意識が生まれる。共創感、みたいなものでしょうか(どこかのコンサルティング会社が使っているような言葉ですが)。アイディアはひとりで生み出せるものであっても、ビジネスとしての企画は、ひとりで創り上げるものではありません。たくさんのひとがアイディアを持ち寄って、それぞれの責任を果たしながら創り上げていくものです。

昨日のプレゼンでも、途中で「ちょっと余談ですが」といって、お客様にお話を投げかけてみました。戸惑われた感じもあったのですが、きちんと言葉を受け止めていただいて、お話をしてくれた方もいました。そして、そのお話を受けて、ぼくも思いついたことを話してみました。プレゼンテーターの一方的な説明を聞いていると、聞いている方は眠くなってしまうものです。食後であればなおさらです。話している方は気持ちがいいかもしれませんが、聞いている方は辛抱できないことだってある。一生懸命プレゼンしているぼくらとしては困ることですが、仕方がないことでもあります。そんなときに、ちょっと流れを変えるような気配りも必要になる。流れを変えるときだな、と、雰囲気を察知することも大切です。ついで付け加えると、あくまでも流れを変えることであり、話の腰を折ることではありません。

それから、社内はもちろん、外部の協力会社の方でも、ぽん、と投げた言葉に対して、ぽん、と投げ返してくれるひとたちがいる。ぽんぽんやり取りしているうちに、ものすごく創造的な対話ができるようになる。一方で、ぽん、と投げた言葉を、ちっきしょーどかーん、と受け取れないような言葉で投げ返されると、二度と投げたくなくなる。

創造的な対話というのは、気持ちのいいやりとりから生まれるものです。そして、そのためには、受け取る相手のことを考えることが大事なのかもしれません。彼女とデートするときだって、お互いに楽しい時間を過ごそうとする共創感があれば、すばらしい時間を過ごすことができます。仕事上でも、ライバル意識は必要だけど、あまりにとげとげしい競争感だけではうまくいかない。

難しいですけどね。

投稿者 birdwing : 2006年1月20日 00:00

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