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2006年1月21日

成果をあげるには。

ユキですね。なんだか徹夜の疲れがいまごろになって、どーんと身体に重くのしかかってきました。犬はよろこび庭かけめぐる、という歌詞があったかと思うのですが、2歳の息子は家のなかを走り回っています。ユキなので。

さて、どうしても成果があがらない営業がいるとします。そんな営業はやめちまえ、と言いたくなるのですが、そんな営業にも生活はある。だから頑張ってほしいのですが、成果のあがらない営業には、あがらない法則があるようです。なんとなくわかってきました。そこで3つの法則を書いてみることにします。ぼくもそんな法則に当てはまっていないかな、と省みつつ。

ひとつ。「いい加減なこと」。

子供の宿題をみているときに、ぼくは息子を叱ることがあります。彼は、はやく終わらせてゲームをやろうと思うがために、漢字書き取りの書き順がめちゃめちゃだったり、棒が一本抜けてたり、名前を書いていなかったりする。そこで、「そんないい加減なことやってちゃだめだ。ひとつひとつを丁寧にやりなさい。丁寧にやったあとで早く仕上げなさい」と叱る。

同様に、ただ仕事を終わらせればいいやと思っている営業がいる。いくら概算だといっても見積りを作るときには、ちいさな根拠やロジックにあわせてひとつひとつの数字を積み上げて作るべきだと思うんですよね。とても地味な作業だと思います。こつこつ積み上げていく仕事です。ところが成果のあがらない営業は、感覚的に、こんなもんだろう、と適当に仕上げる。数万円の見積りも億単位の見積りも、同様です。きちんと数字の根拠を組み立てられない営業は、ぼくは信用できない。億単位の見積りが10行ぐらいで終わるのって、いい加減すぎますね。概算すぎです。もちろん時間がないから切り捨てなければならないこともたくさんあるのですが、ちいさな積み上げが大事だと思います。人生って、ちいさな積み上げで成り立っているものです。

ふたつ。「自分にはやさしいが、他人には厳しいこと」。

あるいは「自分では何もできないが、他人のやることには我慢ができないこと」でしょうか。どういうわけか自分で何でもできると思っている。そんなわけで仕事を抱え込むのだけど、そもそも「いい加減」だから、集中力も続かない。たいしたものができない。勉強もしない(というかできない)。実はそれをコンプレックスにも感じているので、他人がうまくやったものには頭にくる(うまくできなくても頭にくる。結局のところ不満ばかり)。いつまでも自分の担当した仕事は完成しないくせに、他人の部分にはケチをつけることになります。

昨日も書きましたが、だから創造的な対話ができないんですよね。他の誰かが、ちょっと面白いアイディアを出すと、いいねーこういうのはどう?と便乗して新しいアイディアを出すのではなくて、むっかーちっきしょーそいつ潰してやる!とアンチテーゼを引っ張り出すことにやっきになる。でも、たいしたアイディアは出てこないわけです。そこで、他のスタッフがかわいそうに思って、その営業が出した案をリメイクしてあげたとしても、他人がうまくやったということだけでそれが気に入らない。要するに根っこがネガティブなわけです。他人のやることは、いちいち気に入らない。どうしてそんなに不満なんでしょうね。というか、ぼくにはその理由がわかります。コンプレックスのかたまりなんです。

みっつ。「政治的なことばかりに注力すること」。

政治的なことは大事です。しかし、そこに注力する前に、まず基本的に「よい提案をすること」「きちんとした見積りを作ること」「全体をしっかり管理すること」が重要ではないでしょうか。日本の企業の営業さんは、政治的なことが大好きです。一見、ひとあたりがよくて気を配っているようにもみえますが、実は「自分の成果のため」やっていることがみえみえなので、なんだかみえすいた嘘を聞いているようで、気持ちよく仕事ができません。上司に気を配ったり、お客様のところでごまをすったり、そういうことには長けている。外資系的な考え方かもしれませんが、ぼくは「まずよい仕事をすること」が第一だと思いますけどね。政治的なあれこれに手をつけるのは、それができてからです。

一方で、ほんとうに心からスタッフを労ってくれる営業もいます。自分の仕事は終わっているのに、まだ企画の詰めに奮闘しているぼくのために残っていてくれて、「今日はクルマで来ているから、途中まで送っていきますよ」と声をかけてくれる。どこが違うか、というとなかなか難しいのですが、人間性でしょうか。気配りはとても大事なのですが、その根っこがどこにあるか、ということのようです。

ところで、この3つのポイントをすべて裏がしてしまえば、よい営業の条件になります。「きちんと論理と根拠のもとに予算を積み上げて、お客様の信頼を築くこと」「自分には厳しく、他人にはやさしいこと」「まず何が重要であるかを考えて、余計な周辺に注力するのではなく与えられたミッションをこなすことに集中すること」。

どんなに頭がよくても、オレサマ的な自画自賛ばかりで能力向上を怠ったり、ひとのせいにして自分を甘やかしたり、ネガティブなドクにどっぷりと浸かっていたなら、数年後にはもう使いものにならなくなる。不満にまみれた産業廃棄物になるような気がします。ぼくも気をつけなければ。

数字を扱っているせいでしょうか、営業には奢り高ぶったひとが多いようです。クリエイティブな部門に対して、おまえらを食わせているのはオレだ、どうだまいったか、という感じがある。だから勉強もしないし、誰かに何か言うのはいいとしても、言われるのは頭にくるらしい。おまえに指図されたくないんだよ、指図するのはオレだ、と。自慢話は大好きだけど、ひとの話は聞こうとしない。でも、ほんとうに営業ってそんなに偉いものでしょうか?そんなにすごいのかな?

謙虚にいきたいものです。成長には謙虚が大事です。

ぼくは前職で代理店さんの下で働いていたことがあるのですが、営業はとにかくそんな高飛車なひとばかりでした。虫けらのようにぼくらをみていた(たぶんお客さんの前では、ものすごく腰が低いんだろう)。しかし、マーケティングの部署は、まったく違いました。ものすごく紳士的で、言葉遣いも丁寧で、しかも仕事がめちゃめちゃできる。徹夜してもまったく平気な顔で、じゃあこれからプレゼンなので行ってきます、なんてことをさらりと言う。前向きで明るいんです。さらにものすごく誠実でほがらかで、いま思うといまひとつな仕事をしていたぼくらのような虫けらに対しても、敬語を使って話かけてくれました。そのときからぼくには代理店の営業に対する反感と、マーケティングに対する憧れが生まれました。紺のスーツを着て、あのかっこいいマーケッターにいつかぼくもなるのだ。そう思いました。

ほんとうに仕事ができるひとは、仕事ができることを自分で言ったりしません。仕事ができるひとは謙虚であり、寡黙であるような気がします。

人間はいくつになっても向上できるものだし、成長できる。もちろん環境は大事だけれど、会社が何もやってくれないからだめだ、という問題でもない。いろんな不祥事の渦中でもありますが、そもそも会社というものは、ぼくらを守ってくれるものとはいえないものになってきたのかもしれません。だとすると、会社に過度の期待をしても仕方がない。ぼくらはぼくら自身の生き方をみつけなければならない。自分で自分を守るべきです。そして自分の人生がしあわせで豊かなものであれば、それがいい。

おこがましいかもしれませんが、かつてぼくが代理店のマーケッターに憧れたように、ぼくは誰かの憧れになっているだろうか、目標となるような仕事をしているだろうか、そんなことを厳しくチェックすることにしました。子供は親の背中をみて育ちます。少なくとも、ふたりの息子たちにとって、パパの背中はかっこいいなあ、と思われるようになりたいものです。実際は、徹夜で疲れてよれよれなんですけどね。とほほ。

投稿者 birdwing : 2006年1月21日 00:00

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