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2006年1月22日

雪が溶けるように。

東京では8年ぶりの大雪だったようです。そういえば8年前には、会社から帰宅するとき、最寄の駅の電車が止まってしまったので、いつもとは違う路線の駅から歩いて家に帰ろうとしたのですが途中で滑って転んで道を見失ってしまい(それほどの大雪でした)、あやうく遭難するかと思ったことがありました。きっと東北や北海道に住んでいるひとにとっては雪なんて当たり前のようなものかもしれませんが、こちらでは珍しいものです。そして大雪だとしても、数日後には消えてしまう。そのあっという間の感じが、サクラが咲くときのような束の間の感じがして、またよいのですが。

ちょうどそんな雪のように、昨年の末あたりから続いていた忙しさがひとつ溶けるように消えてしまって、やっと心も軽くなってきました。子供たちときちんと話をしたり遊んだりすることができて、趣味のDTMにも打ち込むことができる。さらに映画や本を楽しむ余裕があるということは、しあわせなことなんだな、とあらためて思っています。当然なのですが、この当たり前の生活というのが大事なことかもしれません。ただ、忙しさに追い詰められたぎりぎりの緊張した状態があったから、このまったりとした生活のありがたさがわかるのかもしれない。

ときに忙しさにかまけて忘れそうになるのですが、異なった領域を横断して、いろいろと考えを深めていくことがこのブログの目的でした。それはちょうど雪と雪解け、忙しさと余裕のある時間のように、違ったシーンを通じて感じたことを獲得していくようなものかもしれません。きれいなものと汚いもの、善と悪のような両面をみることができる視野の獲得ともいえます。あるいは、ひとつの考え方に対する変奏を追求すること、どれだけ思考を変奏できるか、ということなのかもしれません。

忘れそうなので書いておくと、リセットをかけて書き始めたときに、最初に谷川俊太郎さんの「コカコーラ・レッスン」を引用しました。いま、茂木健一郎さんの「クオリア降臨」を読んでいるのですが、その冒頭「世界を引き受けるために」の章で、茂木さんが沖縄の渡嘉敷島の前で、目前の海をぼんやりと眺めながら世界全体の生命について思いを馳せる部分があります。この部分の文章を読んでいて、ぼくは個人的に谷川さんの詩を連想しました。それはまったくの個人的な「こじつけ」なのかもしれませんが、あることについて考えつづけていると、ときにそんな偶然の出会いがあります。それは息子の発した何気ない言葉と哲学の一部分かもしれないし、映画のなかの台詞と企画書のなかのコンセプトかもしれない。あるいは技術的なブログに書かれていたことと、小説の一節かもしれません。そんな偶然の結びつきをぼくは求めているし、楽しみたいと思っている。

「愉快なこと、美しいことばかりではない。世界の歴史を振り返ってみれば、そこに現れるのは数限りない悲惨であり、不運であり、断腸である。」という茂木さんの一文も、すうっと通り過ぎていたのですが、いまあらためて読み直してみると、ぼくのなかに楔を打ち込むような気がします。というのは「愉快なこと、美しいこと」ばかりではない現実の生活に、ここ数日間どっぷりと浸かっていたからかもしれません。いまちょうど「「スカ」の現代を通り過ぎて」という中間辺りの章を読んでいるのですが、ここに出てくるインターネット批判もわかる、というよりも現実にぼくの抱えている問題として共鳴するような感じです。

というわけで知人からは、ぼくのブログは「行き詰っている」という指摘もいただいているのですが、この行き詰まりを経て、雪が溶けるように(といっても雪が降る前とは同じ風景なのかもしれませんが)、新しい風景の世界に一歩踏み出したいものです。

投稿者 birdwing : 2006年1月22日 00:00

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