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2006年3月25日
PSEの行方。
学生時代や、お茶の水に近い職場で働いていたときには、よく楽器店に行って中古の楽器を物色したものです。ギターやベースはみているだけで何か幸せな気分になったのですが、特にデジタル系の機器は、安価なエフェクターを含めて、じっくりと時間をかけて吟味した思い出があります。買うかどうかはともかく、ですが。
4月から中古家電に販売規制がかかり、PSE(Product Safety,Electrical Appliance & Materials)マークの取得が必要になります。なんとなく面倒なことになってきたな、という気がするのですが、販売店も重い責任を負うことになるため、中古販売店ではいろいろと悩むところが大きいようです。レンタルという手段もあるようですが、やっぱり個人としては手に入りにくい名機をこつこつお金を貯めて購入するという楽しみもあり、自分で所有したいという欲もあるのではないでしょうか。
ビンテージという言葉があり、シンセサイザーに関わらず、ファッションやクルマ、ワインなどさまざまなモノに渡って使われていると思うのですが、それを国が法律で定義しようとしている。なんとなく無理がある気がします。asahi.comの「ビンテージってなんや PSE法で電気街・日本橋も混乱」という記事にも書かれていますが、さまざまな反発の声から「例外」の措置を考えて苦しい対策をしているうちに、余計に混乱を招いている。それにしてもPSEを認定するための試験機器も不十分である、というニュースを聞いたような気もするのですが、準備期間は長かったようですが、いざ実施にあたってさまざまな問題が浮かび上がってきたようです。
坂本龍一さんも、批判しているようですね。15日の古い記事になりますが、CNETにも「はっきり言うと、これは文化破壊--坂本龍一氏らがPSE法に対する要望を発表」ということが書かれていました。
ところで、ぼくはその昔には、ローランドのJUNO-106という入門用のシンセサイザーを持っていました。それほど高価な機器ではなかったと思うのですが、まだ若くて貧乏な時代だっただけに、ローンを組んで大事に使っていたものです。結婚後、使わなくなってしまって、部屋の隅に立てかけておいたところ、何も弾かなくてもぶーんと音が出るように壊れてしまったので、まあいいやという感じで手放して処分してしまいました。けれどもローランドの楽器は、ピアノはともかく、オルガンやストリングスはなかなかよい音だったと思います。そして何よりも部屋に鍵盤がある、というだけで何か雰囲気が違う。
いま、ビンテージのシンセサイザーは、わざわざハードウェアを購入しなくてもソフトウェアで実現できるものも多い。ミニムーグや、DX7、コルグの製品など、往年の名機をソフトウェアで再現したものが数多く出ています。フリーウェアとして提供されているものもあり、これが無料か?とびっくりする。
もちろん音楽を創るという結果論からいえば、別にハードウェアじゃなくてもソフトウェアのシミュレータで十分な部分もあります。マシンのスペックにも依存するけれど、配線コードをつないだりする面倒もなく、パソコン上で制作環境を完結することもできます。けれども、上に書いたように、やはり機械ではあってもハードウェアがもつオーラというか、存在感というものがある。ソフトウェアではなんだか物足りない感じもします。最近ではそれほど感じなくなったのですが、当初はクリエイティブなことをやろうとするとウィンドウズじゃなくてマッキントッシュのマシンだ、というこだわりもありました。なんというか、モノづくりに対するこだわりだやテツガクが感じられると、創作意欲も刺激されるものです。
それはブログに関してもそうかもしれません。はてなで日記を書くとやはり何か刺激されるものがあります。デジタルだから、アナログだから、という区別はなく、ビジョンの掲げられたサービスや製品を使うと、そのビジョンに影響を受ける。幻想かもしれませんが、そういう感覚を信じていたい気もします。
なんとなく悪者になってしまったような感じもあるPSE法ですが、もともとは消費者の安全を守るために生まれた法律だったという認識もあります。電気ストーブに関する事故も一時期多発しましたが、これらの事故の場合、ひとつ間違えると死に至るような危険性もある。電気ストーブと電子楽器というのは、同じ電化製品とくくってしまうこともできますが、どうも違うカテゴリーという気がします。というのは、生活において何をもたらすのか、と考えた場合にまったく別物です。
PSE法についてはちょっとかじっただけなので、きちんと理解していないのですが、危険度の高いものから考えていく、ということはできなかったのかな、と思いました。消費者のシーンを考えずに機能的に実施してしまうところが、お役所的といえばお役所的なのですが。
投稿者 birdwing : 2006年3月25日 00:00
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