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2006年4月20日

揺れる、ということ。

ここ数日、夢のなかで強風に煽られてばかりいました。風が強い夢をよくみます。どういう意味でしょうね。意味はなくて、風が強い日の記憶を夢にみているだけかもしれません。と、風のことを考えていたら、ちょっと風邪をひいてしまったらしく喉が痛く、若干熱っぽくもあり、くらくらするようになりました。

たいてい、喘息の次男を救急病院に連れて行くと、ぼくの方が風邪をもらって帰ってきてしまう。深夜なので疲れもあるかと思うのですが、どうやらぼくは、お子さま向けの風邪に対する抵抗力が弱いようです。お子さま向けとはいってもさすがに救急病院にやってくるだけの風邪です。あなどれません。以前には、小児科でもらってきた風邪で3日も寝込んだことがありました。今日も薬を飲んではやく休むことにしましょう。とかいいつつ、薬を飲んだ後でお酒を飲んでしまっていますが。

風邪ばかりではなく、やはり寝不足と疲れもあるのですが、どうもくらくらして揺れているような気がする。昼間に仕事をしていても、なんだか揺れる。ぐらぐらです。まずいことになっちゃったな、早退するにもまだ仕事が終わっていない。とはいえ、こんなに揺れるのは重症だぞと思ったら、地震でした。やれやれ。

ときどき、自分が揺れているのか、世界が揺れているのか、わからなくなることがあります。ついでに言うと、身体が揺れているのか、心が揺れているのか、わからないこともある。心も身体の一部であり、やはり揺れることがあるようです。それを動揺というのではないかと思うのですが、美しいものに揺さぶられることもあれば、美しくないことに揺さぶられることもある。揺さぶられることのない強固な石のような意思を持ちたいと思うのですが、なかなか達観できないものです。

音は波動なので、音に揺さぶられることもあります。心地よい揺さぶられ方もあれば、心を乱すような揺さぶられ方もある。けれども、心を乱すような揺さぶられ方をした後では、静寂が心地よい。ああ、この静けさを味わうためにあの不快な音があったのか、と思うこともあります。

若い頃にはぐらぐら揺れる感情のメーターがうっとうしいものでしたが、次第に感情のメーターが錆び付いて動かなくなってしまう年齢になりました。落ち着いた、といえるのかもしれません。とはいえ、たまには揺れてみようか、とも思います。ゆらぎ、などという言葉も思いついたのですが、不規則に揺れることが、アンドロイドではない人間らしい感情の在り方のような気もしています。

投稿者 birdwing : 2006年4月20日 00:00

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