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2006年6月30日

方法論の追求。

身体がだるくて、頭がくらくらして、どうやら風邪をこじらせてしまったのですが、なんとか午前中にお客様との打ち合わせを完了したところどうしようもなくなって、早退しました。早退して家に戻って倒れるようにして寝込み、ようやく夜になって目が覚めたのですが、途中の記憶がまったくありません。記憶をなくすのは酒を飲んだときと、体調が悪いときのようです。どちらも、ふつうではない状態といえば同じなのですが。そういえば医者にも行っていない。やれやれ。

忘れてはいけないと思いつつ、忘れそうなので書いておくのですが、ぼくはいまコーチングというテーマを集中して考えています。なぜコーチングなのか。さまざまな本を読みつつ、私見を交えて考えると、これからは「正解のない時代」になるのではないかと思いました。正解のある時代には、正解への道筋をティーチング(教えること)すれば、誰でも正解へ辿り付ける。ところが、正解のない時代には、正解をみつけるための方法論が大事になる。

お客様の仕事でも、最初から何をやりたいと決まっているのではなくて、漠然と不安や焦りを感じているのだけど、方向が見出せないような案件が増えているように思いました。こういうときに「とにかく方向を決めてください」「方向が決まらなきゃ何もできませんから早くしてください」と追い込んでいっても、何も成果は出ません。「あーもう面倒くさいから来ないでいいよ」ということになる。また、わかったような顔をして「その案件にはこうでしょう」と正解を提示しても、それが正しいとは限らない。状況も変わるし、正解のオプションもたくさんある。

つまり、話をじっくりと聞きながら、客観的に全体像を把握した上で「それってこういうことですよね」とひとつひとつの意義を見出していく。見出したあとで、「ああ、じゃあこうすればいいんだ」ということを、ぼくからではなく、お客様の口から話していただくようにすることが大事ではないかと思いました。つまりぼくは個としての意図や意識を消して、方法論だけを提示し、ソリューションを見出すための媒介となる。参謀的かもしれません。迷っている誰かのゴールを示すのではなく、ゴールへの辿り付き方をいっしょに考える。

息子たちの教育に関しても同様です。ぼくはいままでのやり方をちょっと反省していて、どうしても親という長く生きてきた経験から、上から見下ろした立場でものを語りがちだった。けれどもどれだけ上から語っても息子は成長しないわけで、彼自身が考えようとする意思を持たなければ変わらない。答えを教えるのではなく、「意志」が芽生えるようにすることが大事ではないか。正解を教えるのは簡単だけど、意志を芽生えさせるのはものすごく難しい。

このときに重要なのが、近視眼的に直面している課題をみるのではなく、一歩ひいて、客観的に自分がいままで何をやってきたのか、どこへ向おうとしているのかを考える思考ではないかと思いました。あ、そういう考え方もあるんだ、ということを提示できることが大事です。

点や線のアートワークでしかみれなかった世界を、テクスチャーがはられたリアルな立体の世界としてみられるようにする。目からウロコが落ちた、とか、ぱっと世界が広がった、という表現もありますが、仮想的に閉ざされた思考をリアルに変えられるようにする方法論について、ぼくは考えつづけていきたい。その方法論のひとつとして、コーチングにヒントがあるような気がしています。

投稿者 birdwing : 2006年6月30日 00:00

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