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2006年6月29日

立体化するための視点。

ひとつのことが気になり始めると徹底的に追求してしまうようで、一方、同時並行的にさまざまなことが気になったりします。さらにいえば熱中していたものに対して冷めるのも早い。移り気なのでしょうか。そんなわけで広げたまま収集のとれない事柄がたくさんあるのですが、徹底的な追及=深耕と、同時並行的な広がり=拡散をうまくバランスを取りながら、いろんなことを考えられるといいと思っています。

ブログで立体的な思考の獲得をテーマとして掲げたので、一年を通して長期的に関心をもとうと思っているテーマは「立体」と「思考」です。実はものすごく深いのではないかと最近思いつつあります。そして短期的にいま関心をもっているのは、「コーチング」です。なぜ?という感じもするのですが、ぼくのなかではこのふたつは結びついています。しかしながら、風が吹くと桶屋が儲かるのような遠さがあるかもしれません。

さまざまな本を読んでいると、どうしても「立体」と「思考」というキーワードの項目が目に入ってしまうのですが、「立体」と「思考」になぜこだわるかというと、リアルな世界をどうすればリアルのままとらえることができて、アウトプットとして思考のなかの立体を再現できるか、ということに関するこだわりなのかもしれません。深澤直人さんの「デザインの輪郭」という本から、以下の部分に刺激を受けました(P.248 )。

迫力あるものを写し取るということは迫力も描くということで、迫力のある絵を描くこととは違うと思ってきた。誇張ではなく、リアルであることに興味があったのかもしれない。立体を意識して描くということが正当な教えであることはわかっていて、世界は立体であるということを、疑うことなく意識して今までやってきた。しかしその教えと反対の考えを最近知るきっかけを得て、幼い頃から感じていた世界の捉え方も間違いではなかったことに気づいたのである。

ここで、ジェームズ・ギブソンの「アフォーダンス(affordance)」について説明されます。

論理の詳しい説明は省くが、極端な言い方をすれば、私たちが見ている世界は立体ではなく、異なるテクスチャーでできたパッチワークのような平面の世界であるという論理である。今見ているものの後ろに背景があるというのは誰も疑わないことであるが、別の見方をすれば、今見ているもののテクスチャーのとなりに背景となるテクスチャーが続いてある、ということでもある。そのテクスチャーのコンポジションは、人が動くことによって変化するということで、その変化によって立体を認知している、ということなのである。

長々と引用してしまったのですが、アフォーダンスについては以前から耳にしたことがあったのですが、聞いていたのだけど頭のなかをすーっと通り過ぎていたようで、ここにきてこの言葉の意味が一種のリアルさとともに納得できました。リアルと思っていた現実は、実は脳内のなかの現象であって、立体に「似てみえる」ことが大切だということです。学校の演劇の大道具のように板に描かれていたものであっても、平面かどうかは関係なく、それがリアルであるという定義をすればリアルになる。そして登場人物が動かなくても、自分が動けば世界は動く。動くことによって世界はよりリアルに、立体化していく。そうして自分の視点を移動させれば、世界を変えることができる。

若干、危険なものを感じつつも、世界は自分と対象の関係性によって成立していること、視点を変えると世界も変わるという発想は、なんとなく面白そうな気がしました。

コーチングについても書こうと思っていたのですが、長くなりそうなので別の日にします。4冊も本を買い込んでしまいました。コーチングには関係ない本もあるけれど(イチローの本です)、間接的にこれが関わってくる。無理やりこじつけているような気もするのですが、読む本がすべてつながっていくので困ります。書店の神様が意図的にぼくに本を選ばせているような気がする。そんな神様がいてくれたら、本屋さんも大繁盛です。ある意味、口コミよりも強力なマーケティング手法ですね、神様マーケティング。

風邪でしょうか、喉が痛い。ゆっくり休んで治します。

投稿者 birdwing : 2006年6月29日 00:00

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