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2006年10月 2日

誠実に書く、ということ。

秋たけなわ、運動会シーズンのようです。ぼくも昨日、雨のなかの運動会のことを書いたのですが、コメントをいただいたgadochanさんの日記を拝見して、ああいいなあ、こういうことを書きたかったなあ、と思いました。人間というものは刺激がつづくと刺激に対する反応が弱くなるもので、幼稚園時代を含めて10年以上も運動会に出席していると、次第に新鮮さがなくなってくる。けれども、最初にちいさな息子の運動会の演技をみたとき、思わず泣けてきた。gadochanさんの日記から引用です。

そして組体操。音楽に合わせてかけ声かけたり、踊りながらピラミッドやひこうきとか。なんというか、、感動して泣きそうでしたよ。ここまでできるのか、っていうのはもちろん、にこにこしながら楽しそうにやっているのに心わしづかみです。先生もここまでもってくるのは本当に大変だったと思うけど、子供たちもすごい!

本人たちは、ひょっとすると緊張して心臓ばくばくかもしれないんですけどね。でも笑顔なんです。いいなあ。そう、忘れてはいけないのは運動会の主役は子供たちである、ということです。

ちなみにぼくは昨日、運動会に対する批判めいたことを書いてしまったのですが、文章の怖いところは、批判を書いてしまうとそのすべてがよくなかったのではないかという偏見を作り上げてしまうことだと思います。実際にはですね、雨に降られたものの、よい運動会でした。そしてぼくは感動して、ちょっと涙が出たりもした。

どういう部分が感動的かというと2つあって、ひとつは80メートル走で、クラスのみんなに混じって車椅子の生徒が走るわけです。ぼくはこの場面で毎年のように泣けてしまうのですが、ふつうの生徒といっしょに彼は走る。当然遅れるわけです。かれども走っている彼の近くに応援団が集結してエールを送るとともに、ゴールのテープを切るまで父兄もみんなが待って応援している。こういうシーンにぼくは弱い。

障害のある生徒たちは別の競技で競わせるという選択もあると思います。ただ、そちらの方が差別のような気がしていて、男性や女性の性差もそうだと思うのですが、平等に互いの尊敬をもって対応するということは、どちらかを優遇するのではなく、同じスタートラインに立つことではないでしょうか。

もうひとつは上級生の組み体操なのですが、これも学習障害のある生徒なのか、何か理由があって練習を十分にできなかった生徒なのか、みんなと違った演技をしている生徒がぼくの前にいました。彼らの前にはふたりの先生が付きっきりで、手書きのテロップのようなものに図解した演技を示しながら、「次はこれだ!これ!」のように、自分たちでもジェスチャーを加えながら一生懸命教えていました。もちろんみんなのような高度な演技はできなくて、肩に手を置いたり、腹ばいになったり、そんな感じです。雨がざんざん降って、みんな建物の影に移動しているなか、びしょぬれになりながら生徒も先生も演技をしている。それをみていたら、じーんとした。

ところが、先日のエントリーのように批判に焦点を当てると、そんな感動は切り落とされてしまう。では、すべてを記述しようとすると膨大な文章を書かなければならないわけです。文章を書くためにはテーマを選択する必要があり、選択するということは何かを排除することでもある(くどいですね、最近このフレーズが頻出していますが)。

さてさて。今日、帰宅してみると、長男は作文の宿題で運動会のことを書いたようです。どれどれ、とまたおせっかいな父が見ようとすると、「やだよー」と隠す。それをどうにか入手した父は、読むなりキレました。

というのも、彼の演じた3つの競技順にその感想が書かれているのですが、すべてが「どきどきした」「うれしかった」「よかった」の繰り返しで書かれている。似たような言葉ではなくて、ほんとうにその3語しか書いていないわけです。そこで僕が、

「あのなー、ポケモンのダイアモンド(DSのゲーム)をやりたかったからかもしれないけど、こんないい加減な作文はパパは許せない。なんだこりゃ。マスを埋めればいいってもんじゃないだろう。適当にごまかすんじゃない。演技したのはおまえだけか。見にきてくれたひとはいなかったのか。ひとりで運動会やってたのか。いいか、演技の前に、はちまきを結んでくれたのは誰だ。他の学年の演技で面白かったのは何だ。思い出せ」

というと、彼は久し振りのぼくの剣幕に圧倒されてしゃくりあげながら、15分ぐらいフリーズしていました。運動会には、田舎から出てきたぼくの母を含め、奥さんの父母、そしておばさん、ひいおばあさん(88歳)まで来ていただいていた。さらに転校してしまった先生(息子が低学年のときの担任)もふたり、わざわざ運動会に来ていたのでした。

もちろんそれも重要なのですが、他にも重要なことはあって、「どきどきした」のであればそれはどうしてか、「うれしかった」のは何をやったときなのか、という具体性がぜんぜんなくて、ステレオタイプな言葉で逃げようとしている。そのなんとなく賑やかにして原稿用紙を埋めて逃げる書き方がぼくは許せなくて、「よかったのは?」「2番の難しいところが踊れたとき」「それはどういう動き?」「ばちを左右に振る」など細かに追求していきました。

けれどもそうやって対話しているうちに彼も落ち着いてきて、いろんなことを話せるようになった。タイトルを付けさせたときには、ぼくの予想外の発想があって、それを無条件に採用しました。そして書き上げたものを2度音読させて、よし、すばらしい!と頭を撫でてあげると、にこにこしながらやっと眠りについたようです。いじめるつもりはないのですが、ぼくの剣幕を察知して、奥さんも居間でテレビを消して正座していました。

父親なんてものは所詮、嫌われ役で、ときには厳しくした方がいい。しかしながら、自分は果たしてきちんと文章を書いているかというと自信がなくなります。文章に限らず、手抜きをしないで仕事をしているかどうか。大前研一さんは、とにかく考え抜くひとだったようなのですが、ぼくはといえば、考えているといっても日付変更線が変わるあたりの深夜、ブログを書きながら2時間ぐらい考えているぐらいでしかない。まだまだ甘いのかもしれません。

息子に厳しくした日、息子に言った言葉はそのまま父親である自分に対してはねかえってくるものであり、みんなが寝静まってからひとり反省しているパパなのでした。

投稿者 birdwing : 2006年10月 2日 00:00

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