« 時間的な配列×空間的な配列。 | メイン | 非線形思考でいこう。 »

2006年10月16日

力を抜くと、進むこともある

力が入りすぎだこれは、と思いました。昨日書いたぼくのエントリーです。力が入った理由はいろいろとあるのですが、いちばんの理由は身体に力を入れたせいでしょう。日曜日、ぼくは四年生にもなって自転車に乗れない息子のために、自転車の練習につきあってあげたのでした。これがまた、大変なわけで(泣)。こいつが自転車に乗れる前に、ぼくがきっと壊れるかもしれない、と思った。

これからパパさん、ママさんになる方のために言っておきたいのですが、やっぱり若くて力のあるうちに子供を育ててほしいです。年を取ってしまうと、体力的につらい。頑張ろうとする気持ちはあるんですけどね。身体がついていきません。

ちなみに息子の自転車はこれです。ブリジストンのクロスファイアージュニアJ07。色はブルーです。なかなか、かっこいい。少年時代のぼくだったら大喜びなのですが、息子はあんまりうれしくないらしい。

061006-CJT.jpg

昨日は併走しながら、「自分で乗ろうと思う気持ちがないと、乗れないよっ!」と言いつづけたため、昨日の日記では「自律すること」なんて言葉が頻出したようです。われながら、とってもわかりやすいひとです。というか、やはり言葉の呪縛というものはあって、何度も口にしているとその言葉が身体に染み込んでしまうようです。ほんとうに足がかっくんかっくんするほど疲れてしまったのですが、身体が疲れていると文章にも疲れが出る。疲れでこわばっていると、文章にも執着があらわれるもので、適当に流して寝ちゃえばよかったなあ、とちょっとだけ後悔しました。そんなわけで昨日のエントリーは恥ずかしいです。

短距離走のアスリートは、とんでもない瞬発力を発揮するものですが、その身体は力とは反してしなやかでやわらかい。かちこちに固まっていると、力は発揮できないものです。リラックスしなきゃね。

ということは昨日の自転車の練習にもいえて、ぼくはまず息子の乗った自転車のハンドルのところを支えて、併走しながら安定すると手を離してみたのでした。ところが、手を離すと、彼は漕ぐのをやめてしまって、漕ぐのをやめると必然的に自転車は傾く。傾いて止まってしまう。手を離されたときの怖さもあったのでしょう。しかしながら「だっから、漕ぐのをやめちゃだめって言ってるでしょうがー!!」のように短気なぼくは切れてしまって、そうすると内気な息子はますます萎縮する。で、乗れなくなる。さすがにぼくも、はぁはぁぜぃぜぃ状態になってしまった。そこで思い出したのは、美容院のにいちゃんが言っていた言葉でした。

美容院のにいちゃんは、あるお客さんから聞いたそうなのですが、「ペダルとっちゃうと、すぐ乗れちゃうそうっすよ。つんつんって足で蹴って練習するじゃないですか。そうするとすぐ乗れちゃうんですって」とのこと。いまからペダルは取れないので、「乗ったまま、足で蹴って進む練習をしよう」とやらせてみました。ペダルがあるのでなかなか難しいようです。それに、そのぎこちない状態では、10メートル進むのにも時間がかかる。でも、さすがに併走する体力がなくなっていたので、つんつん進む彼の後ろからぼくはとぼとぼ歩いていく。そうすると、何度かやっているうちに、すーっと足が離れて進むようになる。

「あっ、いいじゃん、それそれ。じゃあそれで片方のペダルだけ踏み込んでごらん」といってやらせてみると、またこれがぎこちないんだけど、ゆっくりと前に進む。そこでぼくは思いついて、次のように言ってみました。彼がスイミングスクールに通っていることを思い出して、言ってみたわけです。

「水泳と同じだよ。ぱっと蹴ると、水に浮くでしょ?あの感じ」

すると、息子は「あっ」と言って、その後姿からいままでの硬直した感じが消えました。で、すーっと見事に進んだ。ぼくもびっくりしたのですが、息子もびっくりしたようです。

隠喩(メタファ)の力ってすごいな、と思いました。呪文ということが言われますが、メタファこそが呪文なのかもしれない。水泳と自転車乗りはまったく違いますが、前に進もうとする身体感覚としては似ている。そのイメージを喚起することで、硬直していた「乗れない」気持ちが解放されて、できるようになる。

この経験をビジネス(経営)に変奏してみようと思うのですが、コーチングなどのマネージャーの役割もそういうものだと思います。ずっと付きっ切りで併走しなければならない状態では、自転車に乗っている人間(部下)にも甘えが出て、頼ろうとする気持ちから自走できない。手を離せばすぐに倒れてしまう。なんで手を離したのさ!という、文句すら言いかねない。一方で、併走するマネージャーも息切れします。いちいち彼のハンドルを支えて付き合ってなんかいられない。

ところが、併走することをやめて、言葉の力で自転車に乗ることができるようにする(仕事ができるようにする)ことも可能です。このとき、併走しなくていいからマネージャーも楽だし、乗っている本人には自走しているんだという自律精神が生まれる。

経営者にはメタファの力が必要なのではないでしょうか。といっても、あまりにも雲をつかむようなわかりにくい言葉であれば部下を迷走させることになりますが、適切なメタファを用いれば、イメージトレーニング的な効果を発揮できる。ああ、あの感じか、と、その感覚さえ掴めばあとは自走できる。もちろん、自走する意志がなければムダですけどね。パパが支えてくれないから失敗しちゃったじゃん!という部下は、一生自走できない。あなたは上から言われた歯車のような仕事を一生やってなさい、ということになる。

力を抜きつつ、前に力強く進むこと。決して力むのではなく、すーっと当たり前のように前進すること。そんな風に生きてみたいものですが、実際にはかなり汗を振り乱してみっともなかったりするものです。

投稿者 birdwing : 2006年10月16日 00:00

« 時間的な配列×空間的な配列。 | メイン | 非線形思考でいこう。 »


トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://birdwing.sakura.ne.jp/mt/mt-tb.cgi/526