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2007年5月 2日

ashes and snow。

感動というものは、そのとき/その場所においては満たされていても、すぐに薄れてしまうものです。ゆっくり書こうと思ったのですが、日常生活のなかでどんどん失われてしまうので、先に書いておくことにします。

快晴の振替休日、お台場のノマディック美術館でグレゴリー・コルベールの「ashes and snow」の展示を鑑賞に行ってきました。茂木健一郎さんのブログ「クオリア日記」の記事で知ってサイトを見て、おおーこれは行きたいぞと思った展示です。

お台場の大観覧車を見上げつつ、コンテナで組まれた倉庫的な美術館へ。連休ということもあって、かなりのひとが訪れていました。

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非常に立派なパンフレットと小冊子が無料で配られていてすごいなと思ったのですが、解説から引用します。

Ashes and Snowは、写真作品、映像、美術装置、手紙形式の小説が一体となった、現在も進行中のアートプロジェクトです。15年間にわたり、グレゴリー・コルベールは40回以上もの長期遠征を行い、インド・エジプト・ミャンマー・トンガ・スリランカ・ナミビア・ケニア・南極大陸・ボルネオ諸島など世界各地で、人間と自然界の傑作ともいうべき動物との交流を写真や映像に収めてきました。

15年つづいていて、いまも進行中のライフワークということに驚きました。グレゴリー・コルベールはもともとパリで社会問題のドキュメンタリーフィルムの制作からスタートして、芸術作品の分野に転身したようです。はじめての作品展示は1992年のようですが、つづく10年間はまったく作品を発表しなかった。そして、空白の期間を含めた15年にわたる制作活動がいまも継続されている。なかなかできることではありません。

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芸術を究めるためには、孤独のなかで自分に向き合う時間が大切であった、と茂木健一郎さんのブログでは書かれています。以下、引用します。

グレゴリーは、何よりも、魂の
孤独(solitude)が必要だったと
言った。

現代人は、あまりにも多くの
情報に串刺しされて日々を過ごして
いるが、孤独に浸って初めて
わかることがある。

グレゴリーの作品は、動物と人間の
間の共感(empathy)を描く。
グレゴリーの写真の中に表出するような
深い共感も、それに呼応する
魂の孤独があって初めて可能に
なるのかもしれない。

先日、「品格ある人物になりたい」という記事でも書いたのですが、時間に追い立てられたり、さまざまなしがらみのなかで絡み合った生活の中で、ときにはあらゆるつながりを切断してひとりになる。そんな時間も大切です。ぼくもひとりで美術館を訪れたのですが、こういうのも悪くないな、と思いました。

ノマディック美術館の入り口を潜り抜けたとき、わっと押し寄せてきたのはまずはインキの匂いでした。大きな手漉きの和紙に動物たちと人間の写真が焼き付けられていて、すべてがセピア色です。粒子が粗くて、木炭のデッサンのようにもみえる。作品の下には石が敷き詰められていて、大きな写真に囲まれた通路は宮殿あるいは街路樹に囲まれた舗道のよう。この美術館は日本人建築家の坂茂さんによって設計されたとのことです。

大きな写真と3つの映像が展示されているのですが、いずれもアジア系の人物と動物たちが寄り添うように存在するシーンで、人間たちは、ほとんどが目をつぶっています。瞑想しているようにもみえるし、祈りを捧げているようにもみえる。一方で、動物たちは目を見開いている。サルがぱちっと目をあける映像では、こんなにかわいい目をしていたのか、と思いました。涙が溜まっているようにもみえた。

動物と人間の動きにまず感動です。野生の動物たちに演出はできないですよね。彼らに人間の言葉はわからない。けれども、動物たちの動きはまるで演出されたかのように美しい。そして人間の舞い踊る姿と重なることによって、もしかして神様っているのかも?!と思うような、神秘的な世界を生み出しています。世界の広がりも感じる。

写真と同様のシーンが映像にもなっていたので、これは映像から静止画をプリントしたのか、と思ったのですが、そうではないようです。次もパンフレットから引用。

どの作品もデジタル画像処理や合成、字幕などを加えずにコルベール自身がレンズを通して見たままに記録されました。スチールとムービーカメラの両方を使っていますが、スチール写真は独自に撮影されたもので、映像のワンシーンを流用したものではありません。

これは何気なく凄いことです。どうやって撮影したんだろう。

ちょっと官能的なシーンもあって、オランウータンと人間の女性が手を絡めて、たぶん彼女の腕についた水を舐めようとしているのだと思うのだけど、まるでオランウータンが彼女の腕にキスをするようにみえる映像もありました。勝手な見る側の解釈だけれど、自然界における異種を越えた愛情を感じました。ふたりは舟のなかにいるのですが、オランウータンは彼女の手を引いて、舟の先頭のほうへ移動する。言葉はないのだけれど、なんだか、こっちへおいでよ、という声が聴こえそうな映像です。

3つの映像が公開されていたのですが、2つ目の大きめな会場で映像を観ているときに、ああーこれはやばいなと思ったら、感動して不覚にも涙が出てしまった。

確か踊る女性の後ろからワシのような鳥が飛んでくるシーンだったかと思います。音楽もいい。弦の響きが広い館内に響きわたって、特にチェロのような低音がやさしい。さらに2番目の会場では、パーカッション的な激しいビートも使われていて、思わずリズムを解析しようとしている自分がいました(苦笑)。

おみやげに奮発して、ジャバラになったミニ写真集と、「the bird path」といういわゆるパラパラ漫画的な写真集を購入。いずれも1600円。ううう、ちょっと出費が痛いです。DVDを購入すると、いろいろなものがもらえたようですが、1万円だもんなあ。

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ちなみに、帰宅して「the bird path」を息子たちにみせたのですが、すぐに反応したのは次男くんでした。「もういっかいやってみたい」とぺらぺらやるのですが、ぐしゃっと折りそうな感じで、はあああ、それはちいさいけど1600円もしたので大切にしてくださぁい(泣)と父は怯えました。ちょっとリッチな時間を過ごしても、家に帰るとぜんぜんリッチじゃないな。

6月24日まで開催されているようです。ううむ、書き足りないような気がする。ぼくのセンサーは館内でいろいろなことをキャッチしていたはずなのですが。

+++++

公式サイト。このサイトだけでも写真を鑑賞できます。やはりインキの匂いや館内に響く音は美術館に行ったほうがよいと思うのですが、いずれはインターネットでバーチャルな臨場感も可能になるのでしょうか。

http://www.ashesandsnow.org/jp/
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投稿者 birdwing : 2007年5月 2日 00:00

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