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2007年5月17日
予期せぬ事態を活かす。
偶然の間違いや失敗が創造性につながるのではないか、ということを先日書いたのですが、その背景にあったのは、いま読んでいるドラッカーの「イノベーションと企業家精神」でした。
イノベーションと企業家精神 (ドラッカー名著集 5) 上田 淳生 ダイヤモンド社 2007-03-09 by G-Tools |
この本の第3章「予期せぬ成功と失敗を利用する」を興味深く読みました。
といっても現在、複数の本に手を広げすぎていて、ついでに読書に集中できる時間もなく、どの本も中途半端に読みかじっているばかりです。ついでに読んだところを忘れてしまって、再び読み直したりしています。一歩進んで二歩下がるではないのですが、まったく前へ進めません。ある意味、永遠に読むことができてしあわせ、かもしれないのですが(苦笑)。
ちなみにこの本が書かれたのは1985年、ドラッカー75歳とのこと。75歳といえばぼくもじきに迎える年齢ですが(嘘です。笑)、瑞々しい文章と前向きな発想が心地よい。70歳を過ぎて、ぼくもこんな文章が書けるのだろうか。そもそも文章を書く以前に健康かどうかも自信がないのだけれど、できれば、こんな文章を書いていたいですね。内容はもちろん、著者の生き方が元気を与えてくれます。
イノベーションの7つの機会
さて、ドラッカーはイノベーションの機会として次の7つを挙げています。
第一の機会:予期せぬ成功と失敗を利用する
第二の機会:ギャップを探す
第三の機会:ニーズを見つける
第四の機会:産業構造の変化を知る
第五の機会:人口構造の変化に着目する
第六の機会:認識の変化をとらえる
第七の機会:新しい知識を活用する
常識的に考えると、イノベーションの機会の第一としては、産業構造や人口構造の変化ではないかと思いました。けれども、ドラッカーは予期せぬ成功あるいは失敗を第一に挙げている。この発想が新鮮です。
そもそもマネジメントとは、予期せぬことがあってはいけないもので、目標値をきちんと定め、目標値からまっすぐに引いた線上に事業や組織の進路を定め、その軌道を外れないように管理することではないでしょうか。ギャンブル(賭け事)じゃないのだから、運まかせで成功しちゃったとか、思いがけないチャンスに恵まれたとか、いきなり足元をすくわれて失敗したとか、そんなことがあってはならないはずです。不測の事態が起きないように、科学的に予測し、きちんと計画を立て、リスクを回避しつつ利益を追求する。
ところが、ドラッカーは予期せぬ成功と失敗に着目して、その「兆候」を読み取り、分析することが重要であると説きます。
ここでぼくは、そうか!と思ったのですが、たいてい予期せぬ出来事に遭遇したときは、「なんだか偶然においしい(あるいはとんでもない)目にあっちゃったな」という感想で片づけてしまいます。偶然にもたらされた出来事が何を意味するのか、どんな兆候なのかなど考えることはない。偶然でした、として思考停止して、その偶然を体系化したり構造化することはない。
けれども、この予期せぬ成功や失敗からパターンを見出すことがイノベーションを考える上では重要であり、論理的思考だけでなく直感のようなものが求められる。さらに分析だけでは不十分で、「調べるために出かけなければならない」とドラッカーは書いています(P.37)。いわゆるフィールドに赴き、そこで起こっていることを自分の目で確かめる。
予期せぬ機会を逃さない
ところで、この章を読んでいて、笑ってしまったのは次の一文でした(P.21)。
しかも予期せぬ成功は腹が立つ。
ははは。そうだよなあ。たとえば、偶然に隣り合った美人と話をして仲が良くなった話を聞くと、ちぇ、なんだよそりゃーと腹が立つ。しかしながら、これもまた腹が立っておしまい、ということが多い。
けれども、美人の定義、偶然に隣り合う時間的な要因、空間的な要因、心理的な要因・・・などから多角的に分析すると、人生における機会とは何か、という理論を構築できるのかもしれない。でも、理論どおりにやっても美人と仲良くなれるとは限りませんよね。だから人生は面白いのだけれども(笑)。
茂木健一郎さん的に言うと、偶有性いわゆるセレンディピティにつながる話かもしれませんね。
この偶有性について、通常は分析して理論化しようとは思いません。理論化できないから偶有性なのだ、という風に勝手に思い込んでしまっている。きっちりと思考の垣根を作って、そこから踏み出そうとはしないものです。トライしても無駄だと考えてしまう。ところが、無駄とも思える予期せぬ事態をあえて理論化すべきだ、と述べるドラッカーは、実は相当ぶっとんでいるのではないか、と思いました。
予期せぬ成功のエピソードとして、たまたま晩餐会で隣に座った女性から「どうしてお宅の営業マンは、私のところに売り込みに来ないのですか」と話しかけられたことから窮地を脱したIBMの話が引用されていました。
倒産の危機に直面していた1930年代初めのIBMでは、売れ残った銀行用の事務機に困っていた。ところが偶然に話しかけられた女性は図書館の館長で、彼女のところには潤沢な政府の予算があり、彼女の図書館に事務機を納品することによって、IBMは窮地から救われたとのこと。
一般的に考えると、たまたま運がよかっただけじゃないか、で終わる話です。あるいは、営業として自分から声をかけずに声をかけられた機会を利用するのは能力でもなんでもないんじゃないの、という気もする。しかしながら、この話が面白いのは、販売先のターゲットとして想定もしていなかったところに売れる可能性があり、そのチャンスを活かすのも殺すのも何気ないひとことをキャッチするかどうかにかかっていた、ということです。
もし、IBMの創立者トマス・ワトソン・シニアが彼女の言葉を聞いて、彼女が図書館の館長であることを知っても、いやうちには関係ないですから、と申し出を断っていたとしたら、ひょっとしたら今日のIBMはなかったかもしれません。そう考えると、すごい。予期せぬ事態にYesかNoかを選択することによって、分岐される未来の明暗が大きく分かれるわけです。
この予期せぬ(けれども将来に影響を及ぼす)一瞬を感知できるかどうかは、そのひとのセンスによるところもあるでしょう。ただ、常日頃アンテナを伸ばしていると、自然とキャッチしやすくなるようなものじゃないかとも思っています。
明日から、話しかけてくれるひとをぼくは無視しないようにしようと思いました。にっこりと微笑みつつ、お話してみよう。何気ない通りすがりのひとが、実はぼくの人生を変える大切なひとかもしれない。
実は今日のお昼に、定食屋のおばさん(失礼、おばさま)から話しかけられたのですが、あのおばさまはひょっとしてぼくの人生を変えてくれる女性だったのだろうか。
な、わけないな(苦笑)。
投稿者 birdwing : 2007年5月17日 00:00
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