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2007年8月20日

視点の切り替え。

仕事が一気に押し寄せてくると、プチ・パニック状態になりませんか?クールに鼻歌混じりで仕事をさばきたいものですが、そうもいかなくて、うきーっというおさるさん状態で取り乱すことも少なくありません。

とかなんとか、冷静に書いている現在がまさにそんな状況で(苦笑)、こういうときには全体を見渡すことも大切だけれど、全体を見渡したばかりに、プレッシャーに圧倒されて眩暈がしたり不安におののくことがあるものです。やらなきゃらならいことはたくさんあるのに、不安がどよ~んと胸を塞いでしまって手が付かない。そんな局面によく出くわします。

そんなとき、逆に全体をみないで、直近のできる仕事に集中した方がいい場合もありますね。

意識的に不安材料をシャットアウトするわけです。場合によりますが、このことによって精神的に随分楽になることもある。ただ、楽になったのをいいことに能天気に構えていると、痛い目をみることもありますけどね。視野の外に追いやったものがある、ということを忘れずにいたほうがいい。

木を見て森を見ず(英語では、can't see the forest for the trees らしい。そのままだ)という慣用句がありますが、森を見て木を見ずということもまたあるものです。全体思考/部分思考という考え方かもしれませんが、先日読んだアフォーダンス理論に書かれていたゲシュタルトからとらえると、部分の集まりが全体ではなく、木が森になったときにそれはまったく別のものともいえる。

理想をいえば、木を見て森を見ながら/森を見て木も見る、という、全体と部分を行き来きする見方ができるといいなあ、と思いました。スケジュールでいえば、一日のスケジュールを確認しつつ、年間の計画も忘れない。組織でいえば、全体の統制を考えつつ、個人のモチベーションも無視しない、ということでしょうかね。どちらかはできるけれども、どっちも、というのはなかなか難しい。

思考の多くは「見る」情報によるところが多いらしく、比喩などの表現を思い浮かべても、聴覚(耳に痛い)や味覚(苦い思い出)の比喩よりも、視覚的な比喩(山を越える)が圧倒的に多い、ということをレトリック関連の何かの本で読んだ記憶があります。

と、考えてみると「見る」のは空間的な何かだけでなく、時間を「見る」こともありますね。ちょっと視点について整理してみます。

■時間の視点

  • 過去を振り返る
  • 現在を見る
  • 未来を見通す
  • 歴史(現在・過去・未来)を見渡す
  • 刹那を切り取る
  • スローモーションで見る
  • 逆回転で見る
  • コマ送りで見る

■空間の視点

  • 遠くを見る
  • 近くを見る
  • 上空から見下ろす
  • 地上から見上げる
  • 顕微鏡で拡大して見る
  • ナナメ右から見る
  • ナナメ左から見る
  • 対象以外(地)を見る

うーん、ちょっと当たり前すぎる気がしました。もっと別の視点がないだろうか。

しかしながら、たとえばひとりのひとを見るとき、時間と空間の視点を組み合わせてみると、いろんなものが見えてきそうです。

映画の手法に近くなるかもしれないのですが、彼女の指先の仕草を注視する、とか、雑踏のなかのたったひとりの人間を見つけ出す、とか。血縁関係の系統図において自分を遡るルーツを追いかける、とか、過ぎ去りし日の自分を現在の自分にオーヴァーラップさせる、とか。

想像力を働かせると、眼前にないものも見える。老人になって海辺で佇む彼を見る、とか、少年の頃に学校にいた彼を見る、とか。いまここにいないひとを見るのは結構楽しい。

仕事もそうですね。企画などをやっていて思うのですが、あるアイディアが飛び抜けてよかったりすると、別のアイディアが「見えなく」なることがあります。輝きに紛れて他のものが見えなくなる。しかし、その妄信が結構キケンだったりもする。

もっと別の何かが見えるんじゃないか、と追求していくことは、コンサルティング的にはオプション(選択肢)を考える発想かもしれません。たったひとつの素晴らしい案によりかかるよりも、ちょっと待てよ?と立ち止まって、可能な限りの選択肢を考察したほうがリスク回避にもなる。

光の影にぽっと別のアイディアが見えてくることもありますね。けれどもそれは急に現われたものではなく、ずっとそこにあったのに見えなかったものかもしれません。アイディアは案外そういうもので、突拍子もないものを探してくるのではなく、眠っている何かの目を覚ましてあげるものだったりする。

美点凝視、という言葉を、まだ入社して間もない頃の社員研修で教わりました。スタッフの欠点や失敗ばかりを見ているのではなく、よいところに注目しなさい、ということだったような気がします。まずいところばかりを見ていると、ネガティブループにはまって毒にやられる。

そんなに綺麗なところばかり見てられないよ、というのがホンネですが、視点を変えるだけで違った世界が見えてくることも多いものです。

投稿者 birdwing : 2007年8月20日 23:23

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