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2007年9月 3日
折り紙のテツガク。
息子の自由研究が終わってほっとしているのですが、今度はとーさんの自由研究が始まってしまいました。今回、長男くんの夏休みの研究テーマは折り紙飛行機だったのだけれど、理屈っぽいぼくは、折り紙についていろいろと考えはじめています(苦笑)。そんなこと考えてどーなるの?という感じですが、自由研究なんだから終わりにするのも続けるのも自由でいいではないか、と。そんなわけで考えたことを書きとめておきます。
何の雑誌だったか思い出せないのですが、駅のスタンドで、折り紙が子供たちの脳力を育てる、というようなタイトルを読んだ気がしました。ありがちな見出しです。さすがにその短絡的な効果はどうかな、と思うのですが、あらためて折り紙文化とは何だろう、ということを考えてみたところ、次の5つの視点が浮かんできました。試しに考察してみます。
① 2次元から3次元を生み出す創作であること
たとえば絵画も遠近法によって、2次元のキャンバスに3次元的な立体の空間を生み出します。けれども、折り紙は一枚の紙が、折っていく過程のなかで立体に変化する。このダイナミックに変わる過程が面白くて、一枚の紙が飛行機にもなれば動物にもなる。素材から立体的な世界を生み出して、しかもそこには何もゴミが出ない、という効率さもあります。
② 丁寧な仕事をするためのエクササイズであること
きっちりと頂点に合わせて折る、半分に折る、という几帳面さが求められます。この几帳面さは、古来からある日本人のモノづくりの基本だったのではないでしょうか。と、そこで、まてよと疑問が浮かんだのですが、世界に折紙がないのだろうか、と。ネットで調べてみるとありました。なあんだ。これはさらに面白そうなので、またいつか詳しく調べてブログに書いてみたいと思っています。
というわけで残念ながら日本独自の文化ではないようなのですが、息子と折り紙飛行機を作って思っていたのは、折って開く、しるしをつける、という準備的な仕事が多かったことです。この準備的な作業は、その過程ではそれが一体何になるのかわからない。けれども後になってから、しるしの意味が生きてくる。
このときにしっかりと折り目をつけておかないと、きれいに出来上がらないんですよね。準備して、カタチにする。それは仕事はもちろん、料理にも言えることでしょう。趣味の絵画や音楽だってそうかもしれない。そんな丁寧な仕事をするためのエクササイズになる。その規律をぶっ壊したい気持ちもありますけどね(笑)
③ 工夫・改善・創造ができること
既成のラジコンであれば、必ず飛ばなきゃ欠陥商品です。飛ばないラジコンはクレームの対象になります。ただ、自分で作った折り紙、そして折り紙飛行機は、飛ばなければ、なぜ飛ばないのか、と考えさせられます。折り方が悪いのか、飛ばし方が悪いのか、それとも風向などコンディションが悪いのか。自分で作ったのであれば誰を責めるわけにもいかない。自分で考え、工夫や改善をして、こうしたらもっとよく飛ぶんじゃないかと新たな発想をする。これが大事です。
ブログやネットのマッシュアップ、自分でガジェットを作るなどの行為は、新しい時代の「折り紙」になるのかもしれないですね。そんな文化を内包している気がします。
④ コミュニケーションであり、伝承であること
そもそも折り紙の展開図なんてものは古来にはなかったような気がしていて、親から子供へといっしょに折って伝承していったのではないかと思います。うちの親父が教えてくれた紙飛行機は、へそヒコーキだということがわかったのですが(なんか、かっこ悪いぞ、へそヒコーキ)、そのほかにも折り方は忘れてしまったのだけれどイカヒコーキなども折ってくれた気がします。つまり、達人の技と同様に、折り紙もひとからひとへ、ともに折ってみせたり折ったりしながら伝わっていったのではないのか。
そうじゃないよ違うよ、とか、おおうまく折れたじゃん、とか、その作業工程を共有できる。そんなコミュニケーションツールである、という点も見逃せません。
⑤ 折る行為は、パターンの組み合わせであること
きちんと分類していませんが、Wikipediaの折り紙のページにも書かれているように、折り紙は、山折、谷折、ちょっと難しいところだと中割折りなどの折り方と、三角形に折るのか、四角形に折るのか、半分に折るのかなど、どのように折るかというパターンの組み合わせだと思います。これが理解できていないと、展開図をみただけでは折り方が想像できないのだけれど、一度分かってしまうと、ああ、鶴のあの部分の折り方ね、と結構わかったりもします。パターン認識を鍛える上で、かなり意義があるのではないか。
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ということをつらつらと考えてみたのですが、そんな難しいこと考えずに折りなさい、折れば楽しいからいいでしょう、という気がしてきました(苦笑)。折り紙の意味を再発見するのも創造的な活動のひとつではないか、と無理やりこじつけて終わることにします。
投稿者 birdwing : 2007年9月 3日 23:59
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