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2007年9月22日

リーダーシップについて考えること。

やわらかい話題が多かったので、たまには真面目に仕事の辛口な話を(笑)。

休日にも仕事のことを考えているのかおまえは、という視点もあるかもしれませんが、休日だからこそ仕事について語るのだ、と。なぜなら、仕事をしている最中には目下の進行に夢中であって、全体がみえない。ほっと一息ついた休日に、仕事の全体がみえると思うんですよね。

現在、ぼくは休日出勤や残業に次ぐ残業でかなりハードな状況にあります。趣味の曲作りやブログで夜更かしもしているので(それはプライベートの問題かー)、目のふちにクマができてクマったものです(笑)。でも、自分自身としてはかつてないぐらいに仕事が楽しい。トラブルや難問すらも楽しめている。

いちばんの要因としては、お客様にしてもいっしょに仕事をするパートナーにしても、“仕事を楽しめるひと”とめぐり合い、組むことができたからではないか、と思っています。その素晴らしい偶然のめぐり合わせに感謝したい。そうして苦労ですら楽しめるようないまの仕事を通じて思うことは、やはり

仕事をするのは“ひと”である

ということです。システムではない。理論でもない。もちろん会社組織や技術もあるかもしれないけれど、血の通っていない体制や先端技術からよい仕事は生まれないのではないか。

では、どんなひとがよい仕事をするのかといえば、やはり前向きに考えられるひとでしょう。

別にやたら元気じゃなくてもいいと思うんですよね。物静かで穏やかに笑っているひとでもいい。けれども決して弱音を吐かない。たまには愚痴も言うけれども、次の日にはあっさりと忘れている。誰かに責任転嫁したり、姑息な小技や社内政治に長けていたりしない。失敗もするし、欠点もあるけれども、そんなでこぼこな人格であってもなぜか許せる。職場のちいさな変化にも気付き、声をかけることができ、困っているスタッフを見逃さない。他者の痛みに共感できる。そうして自分から率先してことに当たることができるひと。

ライフハックだとかワークハックだとか、知的な武装はもちろん情報機器のガジェットでがしゃがしゃ武装していたり、あるいは発想論や効率化の手法にやたらこだわったり、取得した意味不明な資格で履歴書を飾ったりしなくても、背筋がすっと伸びていて前を向ける人間であれば、よい仕事ができるのではないか。というよりも、よい人生を送れそうな気がします。たとえ社会的な地位がともなわなくてもね。

ある時期、ソニーなどを中心に学歴無用論という考え方が提示されたこともありましたが、究極の採用の要諦としては人間を測ることができることではないか、と思います。未来も含めてその人材の価値(バリュー)を見抜くことが重要ではないでしょうか。武装されたがしゃがしゃした装飾に目を奪われているようでは、そのひとの本質を見抜いていない。

ということを考えながら、リーダーシップという言葉を最近、仕事のなかで聞き、あらためてその言葉について思索しつつあります。

どうもリーダーシップというと、誰かを支配したり指示したり、管理することがリーダーシップのように考えているひとが多いようです。たいした仕事でもないのに権力を誇示するようなこと、無駄な管理ばかりに時間をさけるひと、(メイワク極まりない存在だと思われていたとしても)誰かの上に立つことがリーダーシップである、というように考える。

でも、ぼくの考えとしては、リーダーシップは個が発揮するものではないか、ということです。孤高のリーダーシップというものを思い浮かべているのですが、人を従わせるのではなく、おのずと人が従いたくなるもの。それがぼくの考える理想としてのリーダーシップです。つまり、そのためには、自分を磨かなければならない。自分を磨く努力を怠る人間に、ひとはついていかない。実力のある個であってこそ、はじめて、ひとはついてくる。

自分の専門性=プロフェッショナルな部分がないのに、組織化して何かをやろうとするひとは、結局のところリーダーというより“手配師”でしかないでしょう。

代理店の営業にはそんな他人の威を借りるタヌキおやじがたまにいて、スタッフの努力があって挙げている実績や数字であったりするのに、何にもしていない自分の手柄のように語ったりする。おまえらに指示しているのはオレだ、オレがいちばん偉いのだ、と胸を張っていたりする。でもスタッフが去ったときのタヌキに何が残るかというと、接待上手でお客様のご機嫌をとる技術、つまりひとを化かす技術ぐらいしかなかったりする(苦笑)。

先日、A+Bという提案の仕事があって、仕事の趣旨からBは不要であるとぼくは判断しました。そこでとある営業から言われたことは「Aって大変じゃないの?」ということです。

何を言っているんだこのひとは、と思ったのですが、どうやらAが大変だからという言い訳のもとにBの損失をAで埋めようと考えたらしい。それって不誠実じゃないですか。お客様に要らないものを押し付けても仕方ないし、大変でもない仕事を水増しして請求するのはどうかと思う。であれば、Cというまったく新しい提案をするか、困難だけれど新規開拓に注力したほうがいい。

そんなことやってるから、あんた売り上げさっぱりなんだろ、とぼくは思った。重ねて訊いてくるので「ぜんぜん大変じゃありません(きっぱり)」と答えておきました。えーと、大変だったんですけどね、多少は・・・。でも、他の部分で提案の余地があるお客様だと思う。そんなところで、ちまちまお金をとっても仕方ないでしょう。努力すべき場所が違う。

リーダーシップとは、自分から率先して何かをやることだ、そしてそこには徳があるべきだ、と究めて当たり前のことをいまぼくはあらためて胸に刻もうと思っています。やはり、ひとあってこその仕事です。

たとえばヨゴレた仕事を率先してやるのは立派なリーダーではないでしょうか。トイレ掃除を自らやるとか、社内の問題から逃げるのではなく誰から言われたのではなくても自分で着手するとか。売り上げが厳しいのであれば、部下におまえらがきちんと働かないからこんな数字なんだと叱咤するのではなく、自らが最も困難なクライアントに営業をかけるとか。

率先してやるひとのパワーには、ひとは従わざるを得ない、と思います。気の流れに引っ張られて、思わずついていってしまう。バイタリティなのかもしれないけれど、体力的なものだけでなく、精神力の若さともいえます。そして、なんとなくそのひとがいるだけで場が明るくなるとか、和むとか、癒されるとか、そんなひともきっとリーダーシップを発揮している。

そんなひとになりたい、とぼくは思っています。なれるかな?思い続けていれば、いつかなれるかも。諦めたら終りですが、諦めなければそれはまだ“成功への途上”であると考えることもできそうです。

投稿者 birdwing : 2007年9月22日 06:16

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