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2008年2月27日
個体と所属する意識。
「マイノリティ・リポート」という映画を先日のエントリーで取り上げたのだけれど、映画のなかで人間の個体を識別するような場面があったことを記憶しています。ずいぶん前に観たので曖昧ですが、道路を歩いていくと「○○さん、こんにちは。××の製品はいかがですか?」のように壁の動画広告から呼びかけられる。電子チップのようなもので個体が識別されて、それぞれ個別に売り込むような近未来型の広告です。
たまに洋服を買いに行って店員さんに呼びかけられるのだけでも鬱陶しいのに、ポスターに呼びかけられたら嫌だな、と思ったことを覚えていました。しかしながら、よく考えてみると現在でも携帯電話は個体識別情報を持っています。位置情報サービスと組み合わせて、そんなことを実際にやろうとしていた動きもあったような気がします。そんな広告をやられたら、ぼくは即効でサービスを解約したくなりますけどね(苦笑)。
ペットには個体識別のICタグを埋め込んだりすることがあるようですが、さすがにまだ人間では研究段階のようです。バイオテクノロジーやナノテクノロジーのような技術開発が進展すると可能になるのでしょうか。どこへ行っても追跡されるので、タグなんか埋め込まれるのは困りますよね。
個体を識別する場合には、付随的にその個体が“どこに所属しているか”という情報も付加されるはずです。個体の所属する組織などの個人情報がデータベース化される。
紐付けをあまりにも過剰にやりすぎると監視社会のようなものになりますが、生きていると好むと好まざるに関係なく所属しなければならない組織あるいはコミュニティのようなものがあります。たとえば、次のようなものでしょうか。
所属といっても絶対ではなくて、変えようと思えば変えられるものではあります。でも、拘束力は強い。準ずるものとして、次のようなものも考えられます。
どこに加入しているか、などという感じ。さらにゆるいものとしては、次のような感じでしょうか。
いま3段階のグルーピングのレベル、あるいはコミュニティのようなものを挙げましたが、ひとによってはどのグループに所属するかという意識の強さが違うものです。意識に強弱があるというか、優先順位があるというか、重要度のグラデーションがかかっている。
たとえば、大和魂に惚れこんで日本人であることに誇りを持っているひとの場合には、国籍に対する所属意識が高い。逆に、この企業で一生働きますという場合には企業が重要、学歴重視であれば卒業した大学の重要度が高くなります。その仲間意識が強くなる。
終身雇用制が崩壊した(って言い切っちゃっていいのかな?)現在、学歴や企業はそれほど強い力を持っていないのかもしれませんが、それでもまだコミュニティとしてのつながりは強いのではないでしょうか。目にみえないけれども連帯感や拘束力のようなものがあります。
ただ、そんな個体と所属組織についてぼくが考えておきたいのは
コミュニティは静的ではなく、動的に生成変化するものである
ということではないか、ということでした。たとえば日本といっても歴史のなかでさまざまな変化がありました。ゴーイング・コンサーンと呼ばれ、永続することが前提である企業であっても、時代に合わせて変わっていく。表面的にはとっつきにくいコミュニティであったとしても、将来的にはまったく変わってしまうかもしれないわけです。ひょっとすると「あなた(誰か)」が参加することで、化学反応のようなものが起きて、まったく違う組織になってしまうこともある。
だから面白いんですよね。
同質のものだけを求めるコミュニティはかなり脆くて、実は異質なものを迎えるコミュニティのほうが活性化していくものです。異なるものを排除する組織は短期的には居心地が良くなるかもしれないけれど、長期的には弱体化するのではないか。というのは新しい風が吹かなくなる。
26日に久石譲さんの「感動をつくれますか?」という新書を読み終えました。このなかで久石さんは、日本人はカテゴリーを重視する民族であると指摘されています。カテゴリー(あるいは所属意識)を尊重するあまり、ブレイクスルーが生まれにくい。お互いに牽制あるいは空気を読みすぎて、悪いと思っていても悪いことを指摘できないし、これはいい!ということも大きな声で言えないわけです。協調性を大事にすることかもしれないけれど、なあなあになる。
マズローの欲求段階説(解説はWikipedia)では、5段階のうちの3段階目が「親和(所属愛)の欲求」とされていて、それぞれの段階が満たすことによって上位の段階に進むことができるような解説であると認識しています。ただ、ぼくが思うのは自分探しと同等にコミュニティ探しにやっきになることもありますが、過剰に所属意識を求めると依存的な傾向が強まり、自律できないような気がする。
もちろん日本には数々のイノベーションを生み出してきた企業もあり、すべての日本人がそうだとは言えないのだけれど、ぼくはコミュニティを逸脱するような生き方もあっていいと思うし、またそういう人材をフォローしたり受け止めてあげるような社会があってこそ、創造的な何か=イノベーションが生まれるのではないか、と期待もしています。
コミュニティに所属することによって、長期的には大きな影響をもたらすものです。環境が個人に及ぼす影響は大きい。国や企業のような大きな器もそうですが、家族や夫婦ものちいさな社会も同様。
ただ、所属という考え方は絶対的なものではなく、変えられるもの、選べるものであるという意識も必要ではないでしょうか。選択するのは他でもない自分です。たとえ辛くても、自分が選んだ人生であればなんとかしようとも思う。誰かに委ねたときに、思考停止や戦意喪失して自主的に動けなくなるものです。
仕事も組織も、実は自分で選べるんだ、と思うとちょっと楽になる。がんじがらめに身動きできなくしているのは、ひょっとすると自分の意識のせいなのかもしれません。
投稿者 birdwing : 2008年2月27日 23:10
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