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2008年2月29日

新しいオンガクのために。

080229intoxicate_vol72.jpg自称フリーペーパー収集家のぼくは、街で配布されているさまざまなタダの情報誌をついつい手に取って持ち帰ってしまうわけですが、TOWER RECORDSで配られていたフリーマガジン「intoxicate vol.72」で面白いものをみつけました。

ちなみにvol.72の表紙は3月22日から公開される「マイ・ブルーベリー・ナイツ」という映画のサントラ盤です。ウォン・カーウァイ監督でノラ・ジョーンズが主演。ジュード・ロウも出ています。

B00118YOG6マイ・ブルーベリー・ナイツ オリジナル・サウンドトラック
サントラ カサンドラ・ウィルソン ハロー・ストレンシャー
EMI MUSIC JAPAN(TO)(M) 2008-02-14

by G-Tools

■マイ・ブルーベリー・ナイツ 公式サイト
http://www.blueberry-movie.com/

ウォン・カーウァイ監督の作品では、ぼくは「恋する惑星」「花様年華」「2046」と観ているのですが、独特の静けさとせつなさと耽美がある世界観ではないかと思いました。「花様年華」では、トニー・レオンが大人の雰囲気を醸し出していてよかった。あんな渋い男性になれたらいいのですが。

それにしてもこの表紙、気持ちよさそうですね。無駄に拡大。

080229_myblueberrynights.JPG

あああああ(照)。えーと・・・ちゅーしたくなるのでやめとこう。

さて。表紙もいいのですが、ぼくが気になったのは次のツールでした。YAMAHAがメディアアーティストである岩井俊雄さんと6年の歳月を費やして開発したというTENORI-ON。おおお?これは!

080229_intoxicate_tenorion1.JPG

先日「コントローラーという楽器」で書いたmonomeじゃないですかね。16×16のLEDによって構成されていて、光でナビゲーションされるのも似ている。調べてみたところ、2007年12月、岩井俊雄さんのデモンストレーションの記事をみつけました。CNET Japanの「現在の楽器インターフェースは最適解か?――岩井俊雄氏、TENORI-ONを披露」から引用します。

鍵盤や弦、リードやマウスピースなど、旧来の楽器は入力が発音の仕組みと密接に関わってきた。しかしこうした旧来のインターフェースは、現代の電子楽器にふさわしいものなのだろうか? メディアアーティストの岩井俊雄氏がヤマハと共同で制作した「TENORI-ON」は、この問題に大きく迫ったデバイスだ。

つづいて、次のように解説されています

TENORI-ONは、LED付きスイッチが16×16のグリッドに集合したような形状をしていて、このスイッチを押すことで音が出る。複数のスイッチを押すと次第に複雑な音になっていき、やがてミニマルミュージック的な曲として成立していく。演奏デモ動画はYouTubeにもアップロードされている。メディアアート、あるいはガジェット的にも見えるが、今年9月にはイギリスでは実際に楽器として先行販売が実施され、好評を博しているという。

気になるデモですが、以下YouTubeから。

いろいろなアーティストがデモ演奏したり試用をされているようでした。実は2年ぐらい前から話題になっていたらしいですね。「intoxicate vol.72」の記事には、クラフトワーク、元YMOの3人、コーネリアス、嶺川貴子さん、ジム・オルーク、ビヨークなどが試用しているということも書かれていました。

ちょっと長いのですが、趣味のDTMで打ち込みストであるぼくは岩井俊雄さんについて書かれた次の部分には共感しました。

ライブ後、岩井氏からは6年間に渡ったTENORI-ON制作までの道のりが語られた。話は岩井氏が初期の音楽制作に使っていたヤマハのMSXコンピュータの話から始まる。「テレビ画面上の五線譜に音を並べて入力していた。僕は高校時代にギターなどに挫折したクチで、こうしたコンピュータがあれば、自分でも曲が作れるんじゃないかと夢を抱いた」(岩井氏)。しかし、いざやってみると楽譜の壁にぶつかったという。「とても複雑すぎて、自分で入力できるとは思えない」。その頃に出会ったのが手回し式のオルゴールだった。

そう、ぼくも楽器を弾くことに挫折した人間のひとりです。けれども作品は創りたかった。そこで現在もオルゴール職人のように、DTMのピアノロールという画面で音をひとつひとつマウスでおきながら音楽を創っています。

オルゴールでは紙テープの穴の通りに曲が演奏される。「紙テープの穴は、楽譜よりずっとわかりやすく見えた」(岩井氏)。さらに、これを逆に入れると違うメロディが流れるところに大いに興味を引かれたという。また、紙テープに穴が並んでいる様が抽象絵画のように見えてきたところから、視覚表現と音楽は融合できるのではないかという着想を得たと語る。

最先端の新しいインターフェースの背景にオルゴールがあったのが面白いですね。とはいえ、やはりテクノロジーの背景には、楽器に対する挫折とか、それでも音楽を創りたい熱意とか、そんなそんなさまざまな人間模様があるものです。ぼくはベースといえば多弦よりもやっぱり4つの弦のほうがいいと思うのだけれど、その一方でベースなのか何なのかわからないベースらしき何かも登場していいと思っています。蜂の巣みたいな鍵盤だって面白いと思うし、テルミンのような空間的な操作のインターフェースも楽しい。

ちなみに「intoxicate vol.72」には、「テノリオンとテルミン」というICC学芸員の畠中実さんの記事もあります。

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この記事のなかからまず次を引用します。

つまり、新しい楽器の発明とは「楽器の発明」である以上に、それによって演奏される音楽自体がいままでの音楽を刷新するようなものへと変化させられてしまうものであるという意味で、新しい音楽の発明と同義なものとなる。それは、20世紀初頭の前衛芸術運動であるイタリア未来派の画家ルイジ・ルッソロが1913年に考案した、自動車や飛行機のエンジン音、サイレンなどの音を模した音響を発する騒音楽器「イントナルモーリ」が、ルッソロの提唱した騒音芸術(アート・オブ・ノイズ)を演奏するための楽器であったように、新しい音楽の発明が新しい楽器を生み出し、また新しい楽器の発明が新しい音楽を生み出す契機となり得るということを示唆するものだろう。

興味深いです。画家が音楽を生み出したというところも面白いし、騒音楽器「イントナルモーリ」ってなんだろう・・・あっ。ググッたらあった。松岡正剛さん(おおっ)がキャロライン・ティズダル&アンジェロ・ボッツォーラの「未来派」という本のレビューに書かれています。中盤あたりに「イントナルモーリ」の写真があります。なんかスピーカーのオバケのようなもので困惑。

■松岡正剛の千夜千冊:『未来派』
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1106.html

こういうのって聴く側の立場からすると結構困ったもので、だからアートってやつはわからないんだよね、という率直な感想を持ってしまうのですが、試みとしてはウェルカムな気がします。

ぼく自身も趣味のDTMでお決まりの曲作りに疑問を感じて(もちろん定番のポップスはそれはそれで気持ちいいんだけど)、ノイズをどう組み込んでいくということを考えはじめましたことがありました。その試みの途中でシューゲイザーなどの音楽に出会いました。エレクトロニカとしては、坂本龍一さん関連ですがクリスチャン・フェネスとかカールステン・ニコライ(このひとは建築家でもありますね)などの試みに新しい何かを感じたものです。ただ、カールステン・ニコライに関しては、ほんとうに音が無機質で、そこにはあたたかみが欠ける。

「テノリオンとテルミン」では、次のような見解もあります。

かつて岩井は、池田亮司やカールステン・ニコライのライブ演奏に触れて「肉体性の喪失」という感想を持ち、演奏者の存在が希薄な、音だけを聴くライブに対するものたりなさを表明していたことを思い出す。音楽とは演奏という行為をともなう、人の手の介在およびその技能によってリアライズされるものであるという考え方があるように、つまり《TENORI-ON》は岩井にとってコンピュータのソフトウェアのようなものではなく、それが特別な習熟を必要としないものであったとしても、より身体的な演奏をともなうパフォーマティヴな「楽器」でなければならなかった。

そんな身体性も含めて「手のり」+「音」というようなネーミングになったかと思いますが、ぼくはネットに氾濫するテキストや電子音のようなテクノロジーもどこかで身体性につながるような気がしています。創造性がどこから生まれてくるのかというのはなかなか大きな命題で、そう簡単には言及できないのだけれど、テクノロジーは人間と融合できるという夢(幻想?)を抱いています。

いや自然がいちばん、音楽はやっぱり生音だよ、という見解もあるかもしれないけれど、もしほんとうに自然な音にこだわるのであれば、ギターやベースだって工業的に人間が作り出したものだからアンプを通していてもいなくても自然な生音とはいえない。人間の身体を叩くか声を出して歌うとか、石をぶつけるとか水面をじゃぶじゃぶ揺らすとか、そんなミニマルかつ原初的なパフォーマンスに回帰したほうがいい(なんだかそれも楽しそうではありますが)。けれどもギターやベースも進化しているように、楽器や音楽にもイノベーションがあって進化してテクノロジーと融合していくのも悪くないのではないか。

ハモニカを吹くように、どこかの路地で「TENORI-ON」であるとかmonomeのような楽器をぽろぽろと爪弾く少年がいるような未来。それも悪くないと思うのは、ぼくだけでしょうか。

+++++

TENORI-ON関連のサイトをまとめてみました。

■YAMAHA 公式サイト/DESIGNサイト
http://www.yamaha.co.jp/design/tenori-on/
公式サイトとDESIGNサイトがあります。ちょっとSONYっぽい。音楽業界のSONYを狙っているのかもしれませんが。

080229_tenorion1.JPG

■TENORION開発日誌
http://tenorion.exblog.jp/

080229_tenorion2.JPG

■my.space
おお、ぼくの好きなI am Robot and Proundも使っている。
http://www.myspace.com/tenorion


投稿者 birdwing : 2008年2月29日 23:07

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