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2008年7月12日

おかげさまで。

080712_re.jpg細菌性髄膜炎で息子(次男くん・5歳)が入院していたのですが、おかげさまで10日に退院できました。ブログを読んでいる方にはご心配をおかけしました。あたたかい励ましの言葉もいただいて、ほんとうにありがとうございました。

完治というわけではなく、まだ炎症が残っているため、ときどきひどい頭痛に襲われるようです。1日のうちに何度かアタマを痛がっています。とはいえ抗生剤も効いて、脊髄のなかにうようよ増殖していたインフルエンザは退治できました。後遺症も残らないのではないかと思うので、まずまずの結果ではないでしょうか。よくやった、ラッキーボーイ。

ワリオというか紫ピクミンのような体型だった次男くんは(ゲームを知らないとわからないですね)、ピクトグラムの棒人間のように痩せてしまって痛々しい。今後、栄養のあるものをたくさん食べて、回復してくれることを祈るばかりです。

外出も禁止されているので、結局のところ幼稚園の先生や友達に会えるのは夏休みが終わってからということになってしまったのですが、仕方ない。人生そんなときもあります。というか5歳のきみの人生は、はじまったばかりなので、ゆっくりいきましょう。とはいえ、病室でママがいないときに暴れて号泣して、看護婦さんに激怒されて病室を変更されたぐらいのツワモノなので、以前にもまして甘えん坊になった性格は、なんとかしたほうがいいと思うのですが(苦笑)。

一方で、ぼくは地に足のつかない3週間でした。いまだに6月がつづいているような感覚があり、ものすごく長い時間を過ごしたかと思うと10分も経っていなかったり、あっという間に3時間を過ごしたり、破滅的に心が壊れていて処理機能が低下して考えがまとまらないのに、その半面シャープに研ぎ澄まされた感覚もあったりして、自分でありながら自分ではない状態でした。

あらためて気付いてびっくりしたのが、この3週間、ほとんどオンガクを聴いていなかったということ。かろうじて、いつだったか日曜日、病院からの帰り道、ラーシュ・ヤンソン・トリオの「HOPE」というアルバムを聴いてピアノの音が胸に染みまくったのですが、iPodをどこへ置いたかもわかりません。デイバックのなかに突っ込まれたままのこともあれば、部屋の片隅に放置されていたこともありました。音楽がなければ生きていけないぐらいの必需品であったぼくには、あり得ないことです。

Hope

おかしなテンションがあり、日々をいっぱいいっぱいの状態でやり切っていた感じです。オンガクに喩えると、変拍子というかポリリズム的なビートに翻弄される毎日でした。やっと生活のリズムが元に戻りつつある手ごたえを感じているのですが、客観的にみて冷静に毎日を過ごしていたかどうか、自信がありません。

ただ、非日常的な毎日だからこそ気付くことはたくさんありました。ぼくは家で長男くんと父子ふたりの生活をしていたのだけれど、長男くん(11歳)のめざましい成長にわずかながら気付くことができました。まだ子供だと思っていたのに、大人のような考え方になりつつあります。

眠る前に、国語の授業の「ぼくの世界、きみの世界」という教材の話を聞いて、親子でテツガク的な対話ができたのは、辛い毎日のなかでも楽しいひとときでした。ふだんは彼と別々に寝ているのですが、次男くんの入院中は隣りで寝ていたので、そんな話もできました。

「ぼくの世界、きみの世界」という教材は、西研さんという哲学者がわかりやすく哲学の入り口のようなものを解説されているエッセイのようで、同じチョコレートを食べても、甘いという感覚がきみとぼくとでは違う、ぼくとは一体なんだろう、どうすればきみと分かり合えるのだろう、というようなことを述べられているようです。この話が長男くんは好きらしい。国語の授業でいろいろと考えて、テツガクに興味を持ってしまったとのこと。

さすがぼくの息子というか、血は争えないな、と感じてうれしかったのだけれど、ぼくもこういう話は大好きです。電気を消した布団のなかで、共感、多様性、世界の認識の仕方(アフォーダンスなど)、構造化など、彼と1時間ぐらい話をしました。たぶん11歳のちいさな頭には理解できなかったと思うのですが、明日学校だからもう寝よう、と言っておきながら、もっと話したくてうずうずしていたのは、何を隠そう父であるぼくのほうだったかもしれません。

彼と将棋をやってみたのですが、強くなってしまって全然勝てない。「小学六年生」の雑誌に将棋のマンガが掲載されているらしく、それで守りの手などを研究してノートにまとめています。穴熊(詳細はWikipediaの穴熊囲いを参照ください)という守りの手を打たれて、え?え?なんだそれは?と思っているうちに負けてしまった。ちなみに穴熊とは玉将(王)が隅に配置されて周辺を金などで固める陣形のようで、鉄壁の守りを作りつつ着実に駒を取っていくという手法が、いま彼の得意の戦術のようです。悔しいのですが、出たとこ勝負の感覚的な攻め方のとーさんは息子に勝てません。

入院自体は辛いことなのですが、チャンスととらえることもできる。繰り返される毎日の日常的な生活のなかでは、気付かないことにもたくさん気付くようになります。そして入院している本人よりも、その周辺の家族のあり方であるとか、ぼくの人生にとってほんとうに重要なものは何だろうということを考えさせてくれた3週間でした。

子供が入院している非日常の毎日から日常の毎日へ変わりつつあり、そのときに感じたことは薄れてしまいつつあるのだけれど、大事だと感じたことをできる限り維持しながら、ふつうの毎日に戻ろうと思っています。なんでもないふつうの毎日が、いちばんしあわせかもしれない。

気が緩んだせいか土曜日の朝起きると耳が痛くて、病院に行ったら中耳炎と言われてしまい、今度は父であるぼくのほうがムコダインという抗生物質のクスリを飲むはめになったのですが、薬を飲んだらすっかりよくなりました(早めの対応が大事です)。

ついでに洗濯機がぶっ壊れたり、とんでもないカミナリと雨もあったりしたのですが、そんな日々の断片をまたブログで書き連ねていきたいと思います。無駄に長文ですが、暇な時間に読んでいただけるとありがたいです。あらためて、よろしくお願いします。

+++++

■西研さんのホームページ

http://www007.upp.so-net.ne.jp/inuhashi/index.htm

投稿者 birdwing : 2008年7月12日 23:00

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2 Comments

かおるん 2008-07-15T00:26

退院、おめでとうございます!
この記事を読んで私もほっとひと安心しました。無事に乗り越えられた様子で、よかったです。次男くん本人はもちろんお母さんお父さんも頑張ったよね。
今回のような話を聞くと、子供は元気でいてくれるだけで十分親孝行だなーと心から思います。おいしいごはんも、あたたかく気持ちのよいお布団も、健康だからこそ。当たり前のことなんて、本当はひとつもないんだなと。

BirdWing 2008-07-16T19:41

かおるんさん、コメントありがとうございます。返信が遅くなり失礼しました。

結局、退院の翌週には今度は長男くんが高熱を出して3日間、倒れてしまいました。いろいろと見えないところで家族のひとりひとりに負荷がかかっていたようです(ぼくも中耳炎なんて、なったことがない病気になるし)。

親としては子供に、少しでも賢かったり、スポーツができたり、才能があったり、そんなことを期待してしまうものですが、究極の状態に置かれると、生きていて健康で笑顔であればそれでいいと思いました。そして、かおるんさんが書いているように、当たり前のこと、ふつーのことも、実はぐらぐらと揺れる不確実性の上に存在していて、ちょっとでもバランスが崩れると一気に変わってしまうものです。平凡なありきたりな毎日が、いちばんしあわせなのかもしれません。悩んだり喧嘩したり・・・という嫌なことがあったとしても、生きていて健康だからこそあり得ることであり、しあわせだなーと。

いまここにない最悪の状態を過剰に思い描いて不安になったり、心配せずに、ここにあるしあわせをきちんと享受していくことが大切かもしれませんね。あるいは、辛さを辛さとして受け止めること。逃げたくなりますが、正面から辛さを受けとめると、ずいぶん違います。

そんなことを学びました。結果として、よかったのかな。まだ油断はできないのですが、いろいろと貴重な経験をさせていただきました。

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