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2010年1月 5日
動画のゆくえ。
音楽や映画が好きなので、ブログにはYouTubeからの動画をいくつも埋め込んでいます。ところが最近ちょっとYouTubeに困惑気味です。
まずひとつめ。一部の動画の再生中に、再生画面の下部にポップアップで広告が出るようになったこと。
数秒放置するかクリックすれば消せるのですが、そういう問題ではないでしょう。たとえると、リビングのテレビでニュースをみているとき、最も大事な場面でテレビの前を子供が怪獣の玩具を持ってうろうろするようなものでしょうか。ああっ、みえないよう、気が散る、どけっ!と言いたくなります。
動画再生後に表示されるのであれば仕方がありません。邪魔にもなりません。しかし、ブログの狭い埋め込み動画の画面をさらに狭くしてどうする。広告収益が大事だとはいえ、このビジネスモデルはいかがなものだろうか。というのは、せっかくの広告が「邪魔もの」と認識されてしまい、広告の商品やサービスに反感を抱くことさえあり得るのではないか、と考えるからです。実際、短気なぼくは、お気に入りのPVを観ている最中に土足で踏みにじるように広告が表示されたとき、その広告主に敵意を抱きました。
そしてふたつめ。これはいまに限ったことではないのだけれど、著作権侵害の名のもとに急速にコンテンツが削除されていること。
覚え書き的にブログに動画を埋め込んでメモしていることもあるので、あのPV久し振りにみたくなったなーとおもって自分のエントリで動画をみようとすると、ほとんど再生できなくなっています。仕方がないとはいえ、その数が多すぎです。書いたエントリを修正しようにも、動画がないと何のことやらわからない記事になってしまうこともある。だから修正できません。
「このコンテンツは削除されましたが、タイトルに類似する動画はこちらです・・・」のように、動画再生後のレコメンデーションのようなリスト表示がされるといいのに。しかし、コンテンツを勝手にアップロードされた企業が、芋づる式に類似コンテンツを発見して削除するようになるかもしれませんね。だめかー。
著作権は大事です。著作権を守ることは正しい。正義です。
けれども素直な気持ちでは、何かが納得いかない。邪魔なポップアップ広告同様、「○○○○の著作権侵害の申し立てにより、削除されました」、とコンテンツを制作管理しているメーカーやプロダクションの名前が表示されると、あの会社が圧力かけて削除させたんだな、仕方ないけどさあ、せっかくの楽しみが奪われちゃったよ、もうちょっと広いこころで許可できないものかね、というネガティブな感情がわずかに芽生える。ぼくだけかもしれません。こういう社会の規律や常識に逆らった被害妄想的な偏屈な思考をする人間は。
インターネットの新しいサービスが加速度的に拡大するときには、かならず何かしら「ヤバイ」ものがあります。だからこそ先鋭的な刺激を求めるひとたちに喝采をもって受け入れられます。しかし、それがメジャーになれば、法的に放っておけなくなることも出はじめる。
しかし、残念でならないのは、せっかくの素晴らしいコンテンツを口づてに拡げる可能性のある場が、規制のもとに次々と潰されてしまうことです。
音楽や映画のコンテンツを提供する側は、個人がアップロードした動画を「商品」として侵害されたと考えるのではなく、「プロモーション」に貢献してくれたと考えられないのでしょうか。YouTubeにアップロードされた動画は、これっていいよ、おすすめだよと、プロモーション費ゼロ円で多くのひとに紹介しているわけです。
どうぞどうぞ、ご自由にお使いください、ウチの商品をみんなに知らせてくださいね、と前向きに考えて、寛容に振るまえないものかな。法務のがちがちなアタマでは柔軟な発想は無理かもしれませんが、音楽業界や映画業界が不振だとすれば、ファンの勝手なアップロードだとしても、宣伝費を削減し、購買のチャンスを増やす策のひとつになるとおもうのですが。
ちなみに個人的な体験を語ります。
先日のエントリにも書いたのですが、急速にヴァイオリニスト宮本笑里さんのファンになり、YouTubeで「東京et巴里」のPVを何度も繰り返しみました。
この曲、アレンジが秀逸だとおもいます。
フォークトロニカ風に逆回転のフレーズなどもあって電子音と生音であるヴァイオリンが融合し、さらにフランス語の歌詞、というところがいい。
しかも、サビに重なるヴァイオリンの旋律は、ラヴェルのボレロです。そうか、イントロではパッヘルベルのカノン的なアレンジがされていて、どこかで聴いたことがあったメロディだとおもったけれど、ボレロだったか、ということで図書館でラヴェルのCDを借りてきました。すると、まったくクラシックのど素人的発見で恥ずかしいのですが、ボレロが同一の旋律を15分間も繰り返す斬新な曲だということを知って、びっくりしました。
そんな脱線もしつつ視聴しているうちに、これはやっぱり買うしかないでしょう、DVDで大きな画面で観たい、ということで、宮本笑里さんの「break」を買ってしまいました(照)。
break(DVD付) 宮本笑里 SMJ(SME)(M) 2009-03-18 by G-Tools |
ダウンロード音源ではなくCD/DVDで所有していたい世代なので、アルバムが手元にあるのがうれしい。何度も繰り返し聴きながら、ヴァイオリンと電子音の相性はなかなか難しいな、とか、ピアノとヴァイオリンだけの「東京et巴里」もいいな、とか、いろいろなことを考えています。
まんまとYouTubeによるCGM的なマーケティングに嵌まったわけですが、ブログの黎明期から言われていたように、こういう購買に向けた導線はいまだにありだとおもいます。
ただし、メディアの観点からもうすこし考えてみます。
この子は誰だ?と気になったとき、AISASの法則などもあるように、まずインターネットを使ってGoogleで検索するでしょう。しかし、検索時にオフィシャルサイトにダイレクトに誘導できれば、YouTubeなどをCGMとして使う必要はありません。オフィシャルサイトが「メディア」になるからです。公式なページで動画を配信すればいい。
また、テレビやラジオの露出が増えれば、その導線からのファン獲得も可能になります。CGMによる効果は全体からみればわずかなので、駆逐してしまっても問題はないでしょう。あるいは、許可なく勝手にアップロードされたコンテンツを排除することによって、オフィシャルサイトの重要性を高め、宮本笑里さんのブランド価値を守る、という意図も考えられます。そんな戦略的な判断があったのかもしれません。
とはいえ、YouTubeにチャンネルを持つのは費用がかかるにしても、もうすこしゆるく著作権を考えてもいいんじゃないのかなあ、とおもいました。統制も必要だけれど、視聴者に親しみを抱かせるような目にみえない企業姿勢も資産となり、大切です。そのためには多様な視点を検証する必要があります。ぼくのように、コンテンツ削除をネガティブにとらえるひねくれものもいる。
ともかく宮本笑里さんはブログもかなり人気のようです。これからもヴァイオリンで素敵な曲を奏でていただいて、たくさんのひとに聴いていただけるといいですね。ファンのひとりとして応援しています。と、同時に彼女の動画をもっと気軽にみることができるといいのに、と切望しています。
投稿者 birdwing : 2010年1月 5日 07:58
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