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2010年7月29日

「脳はなにかと言い訳する」池谷裕二

▼book10-11:「言い訳」から得られる未来へのヒント。

4101329214脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!? (新潮文庫)
池谷 裕二
新潮社 2010-05

by G-Tools


「です、ます」調と「だ、である」調を混在させた文体があり、言語学的にはコードスイッチ話法と呼ばれるようです。冷泉彰彦さんの「「関係の空気」「場の空気」」という本で知りました(関連記事はこちら)。80年代以降に使われるようになった用法だとか。実はぼくもブログで「です、ます」を基本としながら「だ、である」を混在させて使っています。無意識のうちにコードスイッチを行っているようです。

池谷裕二さんの「脳は何かと言い訳する」は、「VISA」誌の連載エッセイに加えて、補足内容を口頭で録音、録音テープから起こした文章で構成されています。「VISA」誌の連載は「です、ます」調、そして口述筆記による追加文章は「だ、である」調です。

「だ、である」調の「ストレートっぽさ、パーソナルな感じ」で書かれたエッセイの後に、「フォーマルな、そして厳かな宣言」の「です、ます」調の文章があり、読みながら自然に広がりとリズムが生まれます。この文体の構成は「編集部の提案」だったそうですが(「はじめに」P.7 )うまいなとおもいました。脳をリフレッシュさせて、次のテーマを読ませる動機付けになります。

タイトルにあるように、テーマは脳に関する多彩な見解です。科学的でありながら決して難解ではなく、ぼくらの生活に根ざした内容のエッセイです。

脳科学者がこのようなエッセイを書く「言い訳」について、第一に「科学上の事実」は「本当の事実」とは異なっていることがあるので危険性がともなうこと、第二に学術論文は極めて慎重な姿勢で書くためフラストレーションがたまること、そこで「非科学的幻想に満ちたアイデア」を"空想の集合体"として残したいと考えて書いた、と述べられています。

とてもよくわかるなあ、と感じました。池谷裕二さんとはレベルが違うかもしれませんが、ぼくらも毎日の生活でビジネス的な文章を書くだけではストレスが溜まってしまいます。だからブログなどで発散する。いいんじゃないでしょうか。むしろ、科学的根拠の曖昧な話をいかにも学術的な用語を散りばめて幻惑させるような疑似科学本よりも、きちんと"空想"であるというスタンスを明確にされている点で潔いとおもいました。好感がもてます。

この科学的エッセイは永遠に書きつづけられるものかもしれません(P.374)。

科学的な探求に「フラクタル性」がある限り、研究が完結するということはありません。つまり、すべての科学は"未完成"であると言えます。「現時点では」という意味ではなく、未来永劫にわたって科学は不完全であるといってよいでしょう。

科学的には未完だとしても、この本で語られている内容には、ぼくらの生活の一部と密接に関わるテーマが数多くありました。実践的ではないかもしれませんが、参考となるヒントをたくさんみつけました。いくつか拾って池谷さんの本を再編集してみましょう。

たとえばストレスについての考え方。

ストレスは副腎皮質で作られる「コルチコステロン」というホルモンが鍵を握っているそうですが(P.38)、最近の脳研究ではストレスから脳を守ることが可能だと言われているようです。そのポイントが「慣れ」とのこと。ストレスに慣れることは、一種の「記憶の作用」であり、記憶力が高ければストレスの脅威におびやかされることもない(P.43)。

当たり前のことを言っているようですが、これは重要です。つまり、「馴れ=記憶」なのです。馴れは、ストレッサーを感知しなくなること。つまり、感受性を修復し、それを記憶することが、いわゆるストレスの克服なのです。

ふむ。確かにそうですね。「慣れ」と「馴れ」のように使われている漢字表記の違いが若干気になりますが、それはさておき。新しいことに直面するとストレスを感じますが、「なあんだ、またこれか」とおもうようになればストレスにはならない。たとえば就活の面接も同様かもしれません。圧迫面接的な質問をされると最初は動転するけれど(いまは、そんな質問もないのでしょうか)、場数を踏むと冷静に対応できます。「記憶(経験)」が蓄積されたからです。

別の側面から考えてみます。「恒常性の維持」がストレス克服の強みかもしれないと考えました。(P.110 )。

議論好きな人は、本心から議論が好きというより、自分の意見がうまく変えられなくて、無駄をしてしまっていることが多いように感じます。これについてはフランスの思想家ジョゼフ・ジュベールの名言に譲りましょう。「自分の意見を引っ込めないものは、真理より自分自身を愛している」。
「言い訳」も根本を辿ると、「自己の維持」、「恒常性の維持」への本能ということになってくるのでしょう。人から聞いた情報や意見にすぐになびいてしまうのは、自己崩壊につながるわけです。

「言い訳」は卑怯であるという見解もありますが、哲学者の中島義道さんもオーストリアなど海外の生活体験から「言い訳」が大事であることを説いていました。海外では自論を曲げずに、子供から大人まで徹底的に言い訳をするそうです。なかには不条理な言い訳もある。

中島義道さんの指摘は文化的な差異かもしれません。しかし、強力な記憶を基盤とすれば、その記憶(経験)に支えられて自分が揺らぐことはない。安定した自分を維持し、ストレッサーを脅威として感じないでしょう。年の功というか年齢にしたがって落ち着きが増すことも「馴れ」のひとつに違いありません。

ところが逆説的ですが、ストレスへの対抗力である記憶力を高めるためには、危険に晒される必要があります。環境の馴れにどっぷりと漬かっていては、記憶力は高められないのです(P.266)。

大自然のなかで生活する動物たちは、常に生命の危険にさらされている。危険を効率よく回避するためには、敵に遭遇した状況や獲物にありつけない道をきちんと記憶しておく必要がある。人の脳にもこうした性質が残されているため、危機感を脳に呼び起こせば記憶力が高まる傾向がある。

具体的には危機とは「頭寒足熱」というように寒さ、そして空腹だそうです。ハングリー精神が記憶に関連する海馬を鍛えます。そして「不安こそが脳の栄養源」と述べられています。合図を出すとエサをもらえたりもらえなかったりするようなサルの研究で、快楽を生み出すドーパミンニューロンの活動は、エサをもらえる状態ともらえない状態が50%の確率のときに最大になったといいます。「どっちつかずの確率で報酬がもらえるときにもっとも快楽を感じた」。つまりこういうことです(P.291)。

「ドーパミンニューロン」は集中力ややる気を維持するのに重要な働きをしている。となれば、実験結果はとても重要なことを意味している。そう、「マンネリ化」は脳には「毒」なのだ。新鮮な気持ちを忘れてしまっては、もう脳は活性化しない。

特にゲイジュツの世界では、マンネリは敵です(P.160)。

ルールを破る面白さ、そこから生まれる躍動感、ダイナミクス、そういったものにゲイジュツの醍醐味があるように思います。

一方で、ストレス解消については、次のようにも書かれています(P.83)。

つまり、重要なことは、ストレスを解消するかどうかではなく、解消する方法を持っていると思っているかどうかです。そして、それ以上に重要なことは、「別にストレスを感じていてもいいんだ」と考えることだと思います。ストレスをあまりに怖がりすぎると、実際にストレスを受けたときに、必要以上に反応してしまうはずです。それよりも、「ストレスはどうせ避けられないものであって、ストレスを受けても、私はいつでも解消できるのだ」と信じていることが肝心なのです。

なるほど。すこし安心しました。ぼくは緑内障もちなのですが、この眼の病気は治らないため、薬で進行を止めながら、うまく付き合っていくしかありません。同様にストレスとも、うまい付き合い方が必要なのかもしれません。身体を動かすことも解消法のひとつ。芥川龍之介のことばも引用されていて納得しました(P.69)。

芥川龍之介が『侏儒の言葉 』の中で、「我々を恋愛(の苦痛)から救うものは、理性よりも多忙である」と言っています。これなどは、「考えていてもだめで、身体を動かして忘れよう」という"体主導型"の重要性を謳っているわけです。

さまざまなストレス解消方法がありますが、アルコールの摂取はよくないようです。池谷裕二さんの実験によると、ネズミを使った調査で電気ショックを与えて嫌な記憶を思い出させながらアルコールを与えると、記憶は消えるどころか逆に強まっていたとか。フラれたはらいせに自棄酒を呑むと、逆に彼女のことが強力に記憶に残ってしまうのかもしれません。会社や家族の愚痴をいいながら呑む酒は嫌な記憶を強化するから慎むべきでは、と書かれています。同感です。お酒は美味しくいただきたいものですよね。

このように現在のぼくらにとって参考になる読み物が満載されています。さらに面白いのは、最先端の脳波を計測する機器や未来の話です。要するに「こころが見えるか」という夢のような科学的な課題についての見解です。

引用されている数々の先端機器のうち、機能的磁気共鳴画像(fMRI)という装置については、個人的にはシャルロット・ゲンズブールのアルバムタイトルで知りました。フランス語ではひっくり返ってIRMというそうですが。


IRM


fMRIは脳の活動を詳細に記録できる装置で、ロンドン大学のターナー博士は「脳はウソをつかない」という言葉を残されているそうです。

コカコーラとペプシコーラを飲んで比較した場合、fMRIの記録ではブランドを明かしたとき海馬などの部位がコカコーラの方に対して大きく反応したとのこと。この装置を応用した「ニューロマーケティング」が注目を集めつつあり、また愛情診断にも使えそうだ、と書かれています(P.152)。

また、「ニューロフィードバック」という装置も面白い。アルファ波を感知して、アルファ波が出たらミニチュアの電車が環状線をぐるぐる回るという装置があったそうです。次のような提案がありました(P.248)。

極論を言えば、小学校で算数や国語を教えるのと同じように、義務教育のカリキュラムの一環として「アルファ波の出し方」を教えるのも、面白いかもしれません。科学的に「自制心」を持たせる訓練ができれば、未来の世界で、犯罪が減るのではないかなどと淡い期待もしています。

「アルファ波の出し方」授業、面白いですね。池谷さんも書かれていましたが、アルファ波でボールを動かして、アルファ波サッカーなどというのも楽しそうです。

「ニューラル・プロステティクス(神経補綴学)」にも可能性を感じました。これは、脳から直接信号を拾って身体能力を補うこと、能力を高めることをめざす分野のようです。事故で全身不随となった25歳の男性の脳に96本のちいさな電極を埋め込み、ロボットの手を操作できるようになったそうです。すごい。

そういえば「潜水服は蝶の夢を見る」という映画を観たことがありました。


潜水服は蝶の夢を見る 特別版【初回限定生産】 [DVD]


この映画は、ELLEの編集長であるジャン=ドミニク・ボビー(マチュー・アマルリック)が42歳のときに突然、脳梗塞で倒れてロックイン・シンドローム(閉じ込め症候群)という病のために全身が麻痺して運動機能を失った、という実話をもとに描かれていました(感想はこちら)。

映画の主人公ジャン=ドミニク・ボビーは、ひとつだけ使うことができる左目の瞼の瞬きによって、看護婦に言葉を伝えて本を書き上げます。ニューラル・プロステティクスが本格的に実用化されたなら、彼のような不自由を抱えた人々にも自由がもたらされるのではないでしょうか。

池谷裕二さんは、生物と人工物を融合させるハイブリッド生命工学に興味があると書かれています(P.359)。いいなあ、素敵だなあ、とおもいました。

最先端の科学者を尊敬します。憧れます。そして、この本を読んで、科学者が想像する未来をすこしでも垣間みることができて、うれしく感じました。

読後にさわやかな風が吹いたような本でした。

投稿者 birdwing : 2010年7月29日 21:10

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2 Comments

かおるん 2010-07-29T21:36

こんばんは。久しぶりです。
池谷裕二さんは私はもちろん息子も大ファン。
著書は以前から読んでいたのですが、昨年息子の高校の特別講座というイベントで池谷さんが講演に来てくれたそうなんです。池谷さんは学者というよりはそのへんのお兄さん、みたいな感じでとても話も面白かったと息子は興奮していました。

この本も読みましたが、引用など読むと忘れている部分も多いようです。議論好きな人の「恒常性の維持」という話などすっかり忘れていて、なるほど!と感心してしまいました。議論好きな人ほど自分の土俵に人を引き込むことばかりに集中して、人の意見を聞くことをしない気がします。

ところで記憶力が高いとストレス耐性がつきやすいのと、嫌なことをすぐに忘れてストレス耐性が高いのと、両方あるような…。科学と同じでいつまでも未完成の脳って、ほんとうに不思議です。

BirdWing 2010-09-25T07:54

大変失礼しました!なんと2ヶ月近くコメントの公開を放置しておりました。言い訳がましいのですが、コメントをいただいたときにお知らせメールを飛ばすようにしているのですが、送信されなかったようです。先程、スパムのコメント(多いのです、これが)をチェックしていて、やっと気付きました。ほんとうに申し訳ありませんでした。

親子で池谷裕二さんのファンっていいですね。いろいろな場所で講演されているようですが、高校の特別講座で講演というのはいいなあ。そういえば「進化しすぎた脳」は、中高生との対談で構成されていました。若い世代に違和感なくとけ込んでしまえる方なのでしょうね。仕事関連の知人で池谷さんに実際にお会いした方がいらっしゃったのですが、非常に聡明で腰の低い方だった、とおっしゃっていました。

自説に拘るのは、他人の批判を受け入れることによる「自己崩壊」を恐れるあまり守りにまわっていることもあり、余裕のあるひとほど、他人の話をよく聞いて、議論が上手という気がします。創造的な会話をするためには、自分も他者も壊しながら新しい世界を構築していく必要があると考えます。

引用については、実はぼくも書き写しながら忘れていることが多々あるんですよ(苦笑)。いま、あらためて読み直して、ほーっとおもっているところです。かとおもうと、ひょんなときに以前読んだ本の内容をおもい出したりして。脳は、ほんとうに不思議です。

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