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2012年9月15日

これからのマーケティングを考える。

個人的な印象に過ぎないが、数年前と比較して電車のなかで携帯電話の画面をみているひとが少なくなったのではないだろうか。

数年前には、誰もが電車のなかで携帯電話の画面をみながら、メールやSNSやサイトなどを閲覧していたり、指を動かして何かを書き込んでいた。もちろんいまでもそういうひとは見かけるが、圧倒的に少なくなった。では何をしているかというと、本を――電子書籍ではない――読んでいる。だからといって、モバイルの時代が終わったとはおもわない。スマートフォンなどの一時的なブームは過ぎ去って、その利用は浸透段階を迎えているのだろう。

一部のジャーナリストは、マスコミなどで騒がれていたブームが沈静化すると、すぐに「時代は終わった」といいたがる。「TVが崩壊」したり、「新聞が消滅」したり、メディアの終焉を告げたがる。もちろん広告の売上が減少し、一部のメディアは撤退を余儀なくされ規模も縮小したかもしれないが、まだTVも残っている。新聞もある。


4798111147テレビCM崩壊 マス広告の終焉と動き始めたマーケティング2.0
Joseph Jaffe 織田 浩一
翔泳社 2006-07-22

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41666070812011年新聞・テレビ消滅 (文春新書)
佐々木 俊尚
文藝春秋 2009-07

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2004年は「ブログ元年」、2010年には「ソーシャルメディア(マーケティング)元年」といわれていた。ツイッターは爆発的に知られるようになり、フェイスブックもつづいた。しかし、最近では沈静化しているようにみえる。これも同様にソーシャルメディアの時代が終わったわけではない。ソーシャルメディアが浸透化し、メディアの淘汰も含めて使われるようになったからであると考える。

ソーシャルに対する動きは3.11の大震災そして脱原発のデモ以降、止められないものになったのではないだろうか。それは香山リカ氏が『〈不安な時代〉の精神病理』で言うところの「うつ病にかかっている国」を抜け出し、内向的な認知の歪みや視野狭窄をあらためて、外部へ、社会実現のために向かおうとしている傾向にあるからだと考える。

4062881012〈不安な時代〉の精神病理 (講談社現代新書)
香山 リカ
講談社 2011-04-15

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ところで、ソーシャルメディアの時代という表現はともかく、ソーシャルメディアにマーケティングが付加されて、ソーシャルメディアマーケティングといわれるとき、ぼくは何か違和感を抱かずにはいられない。バズマーケティングやコンテンツマーケティングや、いろいろなマーケティングが流行り言葉のように使われてきた。しかし、ソーシャルメディアを使いこなそう試みる「個」人として、ぼくは企業のマーケティングに利用されてしまうのは納得がいかない。抵抗がある。

どういうことなのか考察してみたい。


■ マーケティングとは何か。

基本的な知識から確認していきたい。マーケティングとは何か、ということだ。アメリカ・マーケティング協会(AMA;American Marketing Association)の2007年の定義をまず引用する。「活動」「制度」「プロセス」と表現されている。

マーケティングとは、顧客、依頼人、パートナー、社会全体にとって価値のある提供物を創造・伝達・配達・交換するための活動であり、一連の制度、そしてプロセスである。

Marketing is the activity, set of institutions, and processes for creating, communicating, delivering, and exchanging offerings that have value for customers, clients, partners, and society at large.

1990年の日本マーケティング協会の定義は次のようになっている。

マーケティングとは、企業および他の組織がグローバルな視野に立ち、顧客との相互理解を得ながら、公正な競争を通じて行う市場創造のための総合的活動である。

「総合的活動」という言葉が使われている。また、「市場創造」とあるがこれは「"market(市場)"+"ing (創ること、継続的な商品サービスの提供)"」を日本語として置き換えたものだとおもわれる。経営機能のなかでマーケティング活動の本質を「顧客と市場の創造」であると喝破したのは、ピーター・ドラッカーといわれ、その言葉も背景にあると考えられる(参考:小川孔輔著『マーケティング入門』。)。


4532133696マネジメント・テキスト マーケティング入門
小川 孔輔
日本経済新聞出版社 2009-07-10

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「活動」と呼ばれると幅広い。しかしながら、誤解されやすいのは「広告宣伝活動」(advertising)、「販売促進活動」(sales promotion)のようないわるマーケティング・コミュニケーション、あるいは「市場調査」(market research)がマーケティングと考えられていることである。

商品やサービスが売れる仕組みを作るという「営業活動」(selling)に着目すると、マーケティングは「売れる仕組みづくり」と呼ばれる。中小企業の経営者などにはわかりやすく、好まれる表現だろう。しかしながら、売れること、つまり利益を生む活動だけがマーケティングではない。非営利組織にもマーケティング活動はある。

売り手側からの視点からマーケティングの4Pといえば、Product(製品)、Price(価格)、Place(流通)、Promotion(プロモーション)のことをいう。このうち、「広告宣伝活動」や「販売促進活動」は4つ目のプロモーションのことに焦点を絞り込んでいて、広告代理店などではこの部分を扱う。しかしながら、どのように顧客に届けるかというPlace(流通)、要するに「ロジスティックス」(business logistics)もマーケティングの一部である。

One to Oneマーケティングやリレーションシップマーケティングの登場により、「顧客との関係性(リレーションシップ)構築」と「顧客維持(リテンション)」の側面が強調されたことがマーケティングの考え方の転換になったようだ。市場を拡大するのではなく、ひとりの顧客が生涯ある製品を買い続けるような関係性の深さに注目した。

広報活動(PR:Public Relations)と違って、マーケティング・コミュニケーションは費用対効果が重要になる。つまり「売れる仕組みづくり」という言葉が端的にあらわすように、「儲ける」ための活動と捉えられがちだ。売上が増加してこそ、マーケティングの意義があると一般的に考えられている。

ソーシャルメディアのマーケティングを考えるときに納得がいかないのはこの部分で、個人的には、ソーシャルメディア上で流通するのは非貨幣経済的な価値だと考えている。タラ・ハントの『ツイッターノミクス』などを読んで、自分なりに考えてきたソーシャルメディアの在り方である。


4163724001ツイッターノミクス TwitterNomics
タラ・ハント 津田 大介(解説) 村井 章子
文藝春秋 2010-03-11

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利益を追求するマーケティング活動はソーシャルメディア的ではないと感じる。もちろん企業や製品のみえないブランド価値などを付加するものでもあるかもしれないのだが。


■ ランディングページの拡張。

続いて「顧客と市場の創造」というマーケティングの意義から「集客」について考える。特にWebマーケティングの分野を取り上げる。

Webサイトに「集客」するためにSEO(Search Engine Optimization:検索エンジン最適化)やSEM(Search Engine Marketing)という手法が取られてきた。特定の検索エンジンでより上位に表示されるようにキーワードを書き換えたり、メタタグと呼ばれるHTMLの記述を充実させたり、Webサイトの構造自体を見直したりする。

このとき訪問者が最初に訪れるページを「訪問者が着地するページ」という意味でランディングページ(landing pages)と呼び、このページを工夫し、会員登録や商品購入など取引の割合(コンバーション・レート)を高める施策のことをLPO(Landing Page Optimization:ランディングページ最適化)と呼んだ。

しかしながら、サイトの内部コンテンツだけでは集客できない場合がある。そこで、例えばニュースサイトなどで自社サイトの記事を掲載し、そのニュースサイトの会員を自社サイトへ呼び込む手法も取られる。これはランディングページを外部サイトに用いた例といえる。つまり、アクセス数が多いサイト、あらかじめ会員を多数有しているサイトを利用することで自社サイトへの導線とするわけである。

さらにソーシャルメディアの登場により、ブログやSNS、掲示板などで自社の製品などが取り上げられるようになると、そのページをランディングページのように扱い、ソーシャルメディアから自社サイトへの導線を作るようになった。これをSMO(Social Media Optimization:ソーシャルメディア最適化)と呼ぶ。


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このように訪問者が検索などによって最初に訪れるランディングページは、自社サイト内のコンテンツから、外部のニュースサイト、ソーシャルメディアを活用するように、その領域を広めてきた。今後はOtoO(オンライン・トゥ・オフライン)の考え方を重視する傾向もあり、ソーシャルメディアなどの集客を店舗などのオフラインの場にどのような導線を作るかが重視されるのではないだろうか。

とはいえ、これらのランディングページによる集客のネックは、いずれもが「待ちの姿勢」であることが考えられる。広告のように企業から配信するものではない。押し付けがましい広告の信頼度が低下し、ソーシャルメディアによって賢い消費者が生まれたせいではあるが、企業にとっては消費者を製品に導く施策を「管理」しにくい時代なのである。


■ LTV(顧客生涯価値)の考え方。

マーケティングの目的として「集客」を確認したが、ドン・ペパーズとマーサ・ロジャーズにより提唱されたOne to Oneマーケティングやリレーションシップマーケティングで重要とされていたLTV(顧客生涯価値)の考え方を振り返ってみたい。ソーシャルメディアは、集客よりむしろ顧客を維持し、継続的に価値を醸成していくことに意義があると考える。


447850119XONE to ONEマーケティング―顧客リレーションシップ戦略
ドン ペパーズ マーサ ロジャーズ Don Peppers
ダイヤモンド社 1995-03

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この考え方が登場する以前は、市場の顧客をどれだけ獲得するか、ということが重視されていた。しかし、One to Oneマーケティングやリレーションシップマーケティングの登場により、ひとりの顧客にどれだけ自社製品を買わせるか、ファンにさせるかということが重視されるようになった。要するに、顧客の維持(リテンション)である。

市場の拡大を縦、時間の推移による顧客の購入頻度を横に軸を取ると、従来のマーケティングでは縦の拡がりを重視したことに対して、One to Oneマーケティングやリレーションシップマーケティングでは横の継続(維持)を重視する。顧客指向であるともいえる。

ところがこのマーケティングがうまくいかなかった理由は、池田紀行氏の『キズナのマーケティング ソーシャルメディアが切り拓くマーケティング新時代』の言葉を借りれば、「キズナ」を形成できなかった点にあるだろう。


4048685619キズナのマーケティング ソーシャルメディアが切り拓くマーケティング新時代 (アスキー新書)
池田 紀行
アスキー・メディアワークス 2010-04-09

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どういうことかというと、システムに任せて、定期的に個別にカスタマイズされたメールを配信すれば、関係づくり(リレーションシップ)が構築できるかというとそうではない。かえって冷淡で、煩わしく感じさせるだけである。システムではなく、ほんとうに企業と顧客の信頼を構築するような人間的なつながりがないと上手くいかない。

多くのシステム会社がOne to Oneマーケティングやリレーションシップマーケティングを謳いながら、実は定期的なメール配信システム、問い合わせの自動化システムを押し売りしていた。システムにはほんとうの意味での「リレーションシップ」はない。人間的なつながりとはどういうことかを無視して、システムに依存しても関係づくりは実現できない。

よく言われることだが、近所の八百屋さんのほうが理論は知らなくてもOne to Oneマーケティングやリレーションシップマーケティングを実践している。ひとりひとりのお客さんの名前を覚え、何を買いたがっているかを熟知し、今日の取れたての野菜をおすすめをする。Amazonのようなレコメンデーション(推薦)機能は便利だが、どうしても機械的な印象を受ける。

その弱点を突破できなかったところがOne to Oneマーケティングやリレーションシップマーケティングの限界であり、企業のマーケティングがソーシャルメディアに推移した理由であると考えられる。


■ インバウンドとアウトバウンド。

企業と顧客の関係づくりという意味で、「インバウンド(inbound)」と「アウトバウンド(outbound)」と呼ばれる関係性のベクトルを整理したい。最近では「インバウンドマーケティング」という言葉も使われるが、早急にマーケティングを論じるのではなく、古くからあるコールセンター(またはメール機能に特化したコンタクトセンター)で使われた用語を振り返ってみる。

一般的に、コールセンターで「インバウンド」といえば問い合わせ対応だ。顧客からの製品に対する問い合わせ、質問、クレーム対応を含めて窓口として電話・FAX・メールアドレスなどを設置する。そしてデータベースに格納した顧客情報と照会して、最適な回答を迅速に提示する。一方でアウトバウンドといえば営業活動といってよい。自宅にインターネット回線の開設や保険などの売り込みの電話がかかってくることがあるが、そうしたものはアウトバウンドコールと呼ばれる。


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インバウンドの問い合わせ窓口が飽和したからとも考えられるが、一時期、アウトバウンドコールをマーケティング活動として請け負う会社が多くあった。要するに営業のアウトソーシングである。成功報酬型の仕組みもあった。つまり、アポイントを取った数によって依頼先から費用をいただき、アポイントを取った顧客リストは依頼先の企業に伝える。

アウトバウンドコールは当初、数を重視していたが、その後は内容を重視するようになった。つまり短い時間の電話で切ってしまうのではなく、なるべく長い時間通話して、競合の状況、快諾がいただけないのであればその理由など情報収集と既存顧客のアフターフォローなどを行うスタイルに変わった。ヒアリングを充実させたという意味ではリサーチ業務に近づいたといえる。

とはいえ、インバウンドは企業の外部から内部に向けた受身型、アウトバウンドは企業から外部に対する能動型という印象は否めない。そしてアウトバウンドは押し売り営業という印象がある。そのことを確認しておく。


■インバウンドマーケティング批判。

最近よく聞くようになったのが「インバウンドマーケティング」である。米国では一部で盛り上がっているようだ。コールセンターのインバウンド/アウトバウンドの対比から考えると、押し付けがましくなく謙虚であるような印象も受けるが、マーケティング活動としてはいくつもの落とし穴があるのではないか。列記して考察してみたい。

1)「get found(見つけられる)」では遅すぎる。

インバウンドマーケティングで核となるコンセプトは「get found(見つけられる)」といえるだろう。SEOなど検索で真っ先に見つけられることと同様、法人や消費者から見つけられることを重視している。しかし、見つけられるまで待っていていいのだろうか? もちろん、そのための施策は行うとしても。

見つけられるためには、まず企業からの「アウトバウンド」による情報提供が必要である。さらに言及するならば、マーケティングにおいて4Pのうちのプロモーションが優れていても、製品やサービス(Product)が優れていなければ情報は「見つけられない」。広告代理店などにとっては手の打ちようのない問題かもしれないが、重要なのはプロダクトである。

ゲーミフィケーション(gamification)というゲームのメカニズムをマーケティングに使う試みも注目されている。楽しい体験をさせることによって顧客に製品やサービスを印象付ける。だが、楽しければ顧客は満足して製品やサービスを購入するほど愚かではないだろう。楽しい体験は楽しかったと認識するとして、やはり製品やサービスを購入するためには賢く吟味するはずだ。

したがって、認知手段のマーケティングとして考えるならば「get found(見つけられる)」という消極的な姿勢自体は弱すぎる。著名な企業であればブランドが確立しているので、押し付けなくても見つけてもらうことができるだろう。しかしながら、まだブランドが確立していない、これから新商品やサービスを展開していく企業としてはこの「待ち」の施策は効果的ではない。

有効な企業もあるかもしれないが、まず「インバウンド」による待ちの姿勢自体が注目されない恐れがあることを指摘したい。

2)ソーシャルメディアは「媒体」ではない。

「get found(見つけられる)」のためにインバウンドマーケティングが活用するのがソーシャルメディアのようだが、従来のメディアのターゲット層が合わなかったり、適切なサイズがないからインバウンドマーケティングを使うという代替的な発想には疑問を感じる。どういうことかというと、すべてが「広告(advertising)」の発想を基盤にしているが、ソーシャルメディアは広告媒体、マス4媒体という意味での「媒体」ではないからだ。

繰り返すが、ソーシャルメディアは貨幣経済的な価値ではなく、非貨幣経済的な価値があるものだと考えている。したがって購入することもできなければ、予算をかけるというものではない。

メディアという用語が使われているため、新聞・ラジオ・テレビ・雑誌というマス4媒体とインターネットは同じ尺度で語られがちであり、電通などの媒体調査などでも比較対象になっている。しかし、インターネットのうちペイドメディア(広告)やオウンドメディア(自社メディア)は別として、ソーシャルメディアはまったく別の性質を持つのではないだろうか。

古きよき広告時代にしがみついているようなアドマンに進言したいのだが、もう広告が権威を保っている時代ではない。キャッチコピーやイメージばかりの広告は信頼されていない。一度、古い広告的な発想をリセットしたほうがよい。ソーシャルメディアの価値は、オールドメディアの枠組みではとらえられないものに変わっている。その現実を直視できなければソーシャルメディアを存分に活用できない。

ソーシャルメディアはメディアバイイング、「媒体」を買う発想ではどうにもならないものであり、だからこそ価値があるのだ。

3)「個」客は管理できない。

広告は管理できた。インターネット広告は費用対効果を数値で把握することができた。しかし、ソーシャルメディアを形成する「個」は基本的に管理できないものである。企業に飼いならされるようであれば、ソーシャルメディアを担う「個」とはいえない。企業や製品の広報的検閲から逃れて、自由に発言できるからこそソーシャルメディアなのである。

アドボカシー・マーケティング(Advocacy Marketing)という考え方がある。目先の利益を考えずに顧客にとって有益であることを優先させる手法である。ときには競合先の企業の製品やサービスやおススメすることもあるという。しかしながら、それが結局は企業の利益に貢献するという点で、どこか計画的なものさえ感じさせる。

炎上させれば「集客」はできるが、その手法で集めたひとびとはネガティブな意見に反応する野次馬ばかりで、法人としては行うべき施策ではない。一方で、面白いものは話題を集めやすいが、だからといって購入に結びつくとも限らない。広告はもちろん、バズやバイラルなどの口コミですら簡単に信用しないほど顧客は賢くなっている。

いっきに良い製品やサービスの認知度を上げることは、ソーシャルメディアといえども不可能だ。良い製品やサービスはじわじわと浸透し、継続的に支持されていくものである。時間のかかるファンの熟成に耐えられない企業はインバウンドマーケティングを維持できない。早急に結果を求める企業には向いていない。

従来のインターネット広告のように即効性のある効果を期待し、顧客を管理できると考えている企業にはインバウンドマーケティングは向かないだろう。また、それだけの資金や体力のない企業にも向かない。したがって、インバウンドマーケティングはエンタープライズ(大手企業)向けかもしれないが、従来のマーケティング手法との違いを見出すことは難しい。


■それぞれのミッション。

考察してきたことをもとに、これからソーシャルメディアを利用する個人、企業、そして広告代理店が何をミッションとしてマーケティング活動を行えばよいのか、自分なりにまとめてみた。

まず、ソーシャルメディアを利用する個人。企業に飼いならされてはいけない。企業のマーケティングの道具となって、わずかな報酬や利益のために自由に発言できる権利を放棄してはいけない。ソーシャルメディアの時代には、個人が自律してそれぞれが考えたことを発言できるものだ。企業の思惑にとらわれずに、良い製品やサービスは良いと、悪い製品やサービスは悪いと、確かな視点で評価するチカラを持っていたい。

次に、ソーシャルメディアを利用しようとする企業。ソーシャルメディアは「管理」できないこと、また導入すれば大きな効果が得られる「魔法の杖」ではないことを認識すべきだ。さらに、ほんとうにマーケティングを考えるのであれば「プロモーション」の手法にこだわるのではなく、注目に値する自社の「製品・サービス」を生み出すことが重要。「価格」や「流通」を刷新するものであってもいい。プロモーションの斬新さで消費者や顧客を誤魔化すことはできない時代である。

マーケティングは経営活動の一環であるという認識を持つ必要がある。ソーシャルメディアは、市場拡大より顧客の維持(リテンション)に向いていて、その活動を通してじわじわと顧客は広がっていく。中長期的な視点が必要だ。

最後に、ソーシャルメディアを利用しようとする広告代理店。欧米から輸入したシステムや考え方が有効な時代はもう古い。借り物の施策だけでは効果的な提案ができない。使いまわしの企画書ではクライアントも納得しない。システムを導入させたいがための提案も見抜かれる。「ぼくらが新しい広告を作っていこう」という意気込みだけの精神論では何も変えることができない。広告的な発想を潔く捨てて、自律的な思考力が重要になる。

WebプランナーがWebサイトのことだけを考えていればいい時代も終わった。OtoO(オンライン・トゥ・オフライン)のコミュニケーションを考える企業も輩出している現在、オンラインからオフラインまでのプロモーション全般を見渡せるコミュニケーション・デザインが求められている。可能であれば、クライアントの経営計画やビジョンを理解し、経営者と同じ視点からプロモーションを俯瞰できる人材が求められているとおもう。


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こうしたそれぞれのミッションを踏まえたうえで、ソーシャルメディアを使う個人、企業、広告代理店が協業できれば、これからのマーケティングは活性化するのではないだろうか。概論にすぎないが、そんなことを考えている。

投稿者 birdwing : 2012年9月15日 10:27

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