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2008年1月16日

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プレゼン資料のYouTube。

会社でいちばんよく使うツールは何かと考えてみると、第1はメールだと思うのですが、ぼくの場合には第2あたりに登場するのがPowerPointあるいはExcelでしょうか。表計算ソフトであるExcelについてはご存知の方も多いのですが、PowerPointはあまり知られていないかもしれません。

PowerPointはプレゼンテーションソフトです。といっても、最近では学生もゼミの発表などで使うこともあるらしい。以前、伊東乾さんの「東大式絶対情報学」を読んだときに、PowerPointの使いかたなどが書いてあった気がしました。


4062133717東大式絶対情報学
伊東 乾
講談社 2006-03

by G-Tools


最近ではパッケージソフトを買わなくても、Gmailに登録すればGoogleドキュメントにワードプロセッサ、スプレッドシート(表計算)はもちろん、プレゼンテーションツールが用意されています。無料でそれらのツールを使うことができます。しかもオンラインで。便利になったものだ。

ところでPowerPoint。ぼくは馴染み深いツールなのですが、結構このアプリケーションが好きです。

Microsoft Office PowerPoint 2007Microsoft Office PowerPoint 2007


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by G-Tools

何が好きかというと自由度が高い。ワープロのように使うこともできるのですが、白紙のページに自由に文字を配置できるので、とりあえずキーワードを平面上に置いて、発想をひろげることができる。KJ法のように、書き出したキーワードをグループごとにまとめていくようなことができるわけです。マインドマップ的なつながりがあると便利なのかもしれませんが、ちょっとした発想ツールにもなる。

また、グラフィックツールとして考えると、最近では統合されてしまったとはいえIllustratorのような自由度があるとともに、アウトラインプロセッサ的な構造の把握も可能であり、かと思うとアニメーションが付けられるので、タイムラインに合わせてアニメーションを構成していくとFlashライクな動画もできたりします。ムービーに合わせてテロップを変えていく、なんてこともできる。結婚式の最後に使うスタッフロールのようなものもできてしまうわけです。

ほとんど家庭で使っているひとはいないと思うのですが、ぼくは数年前まで年賀状の版下(って言わないか、もはや)づくりにはPowerPointを活用していました。また、長男くんの夏休みの課題などにも活用しています。

そもそも家で仕事をするためにわざわざ自腹を切ってソフトを購入したので、使い倒さなきゃという気持ちがあったのですが、使っているうちにいろんな用途で使えるようになりました。確か海外では、PowerPointによるアートコンテストというものもあったような気がします。

ちなみにPowerPointの文書をPDFはもちろんFlashのファイルに変換するツールもあります。Macromedia Flash Paperというソフトもそのひとつですが、PowerPointで作った文書をFlashにして、紙飛行機の作り方をブログで公開したこともありました。以下のエントリーです。

■折り紙ヒコーキを作ろう(1)
http://birdwing.sakura.ne.jp/blog/2007/09/post_37.html

うわー、しまった。これ(1)で終わってるじゃないですか(苦笑)。時間があれば(2)を書くことしましょう(って、エントリーのなかでも言ってる気がする)。

かなりいろいろなことができるPowerPointなのですが、ぼくの見解では、あまり優れた使い方の本がないような気がします。企画関連の本であっても、添付されているテンプレートがいまいちセンスがなかったり、どちらかというとマニュアルライクで、なんとなく満足できない。図解がブームになった頃には図解に焦点を当てた本もありましたが、いまひとつ。ぼくが書いてみたい気がするんですけど、PowerPointの解説本。

などと妄想を広げつつ、ライフハック的にプレゼンテーションツールの使い方が紹介されているページがないかなと探していると、ITmediaにいろいろと面白そうな記事がありました。特になるほどなあ、と思ったのは、以下の記事でした。

■3分LifeHacking:ほかの人が作ったプレゼン資料をオンラインで閲覧する
http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/0801/15/news068.html

何かを作ろうとするとき、いちばん手っ取り早いのが既に誰かが作った素晴らしい作品を真似る(=コピーする)ことで、模倣というのはあらゆる創造性の登竜門のような気がするのですが、ここで紹介されているのは、YouTubeライクにプレゼン資料を公開・閲覧できるサイトです。以下のふたつのサイトが紹介されています。

■SlideShare
http://www.slideshare.net/
080116_slideshare_400.jpg

■handsOut
http://handsout.jp/
080116_handsout_400.jpg

なかなか面白いじゃないですか。写真公開→動画公開という仕組みと同じですが、非常にニッチ(笑)。活用するひとは限られてくると思うけれど、それでこそネットのサービスという気もします。

公開プレゼンとか、企業からお題を出して企画を一般公募するとか、そんなコンテスト形式で使われると面白そう。それこそ知のオープンソースという感じがしますね(この言葉はなんだかステレオタイプで抵抗がありますが)。個人が自分の資料を公開するという図書館的な活用方法も便利ですが、たとえば就活で自分をプレゼンして売り込むとか、そんな活用方法もあるような気がします。

そもそもオンラインでプレゼンツールが使えるのであれば、ファイルをアップロードする必要もなく、ネットで作ってそのままプレゼンというスタイルも定着化しそうな気がします。印刷した企画書を配る時代も終わってしまうのかも。

そういえば、徹夜で分厚い企画書を作ってプレゼン直前にプリントアウトをするのですが、そういうときに限ってプリンターが故障してパニックになることも多くありました。何度それでひやひやしたことか(遠い目)。そんな時代も過去になってしまうのかもしれません。

登録してみようかなあ、handsOutとか。紙飛行機の折り方をアップしたいんですけど。しかし、利用するのも楽しいのですが、こういう新しいサービスを作るのも楽しそうですね。

投稿者: birdwing 日時: 23:58 | | トラックバック (0)

2007年11月 8日

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クラッシュという究極の整理術。

ずいぶん前から挙動不審だった会社のパソコンですが、あまりにも動作が鈍いのでデフラグをかけていたところ動きが止まり、再起動したところ起ち上がらなくなりました。やれやれ。

奢れるものは久しからず(奢ってないけど)。命あるものには必ず最期があるものです。ありゃりゃーという感じでその最期を見守っていたのですが、脳内しあわせ状態なぼくはぜんぜん落ち込みもせず、ま、いっか、まっさらな状態からやり直せば!などと超・楽観主義で構えていたのでした。

企画書なんて、毎回ゼロベースで考えた方がいい、とぼくは思います。とかなんとか言うと、QCとか効率化とか無駄なことが大好きなひとたちは、いやいや、フォーマットを決めてだな、構造化して、ワークハックが・・・うんぬんなどと始めるのですが、そのフォーマット志向が思考を型にはめると思う。

破壊のないところにクリエティブなし、というか、何度ぶっ壊しても立ち上げてやる、ぐらいの勢いが必要だと思いますね。冷めたクールな思考よりも熱血的な勢いがあればなんとかなっちゃうはず。

と、そんな風に楽観的に考えているときに限ってうまくいくもので、3つぐらいのファイルを除いてすべて復旧いたしました。さすがシステム課。すごい。どうもありがとう。

先週の土曜日に「佐藤可士和の超整理術」という本を読み終わったのですが、佐藤さんは帰るときにデスクトップをきれいにするとか、未読メールがないようにするとか、そんなことを書かれていました。しかしながら、ぼくが考えたのは究極の整理術は

ハードディスクをクラッシュさせること

ではないか、と(笑)ぜーんぶ消えてしまうと、きれいに整理される。すっきり。

そんなわけですっきりしたデスクトップを眺めながら、ちょっと壁紙でも代えてみようか、という気持ちになってさくっと検索したところ、以下、deviantARTというサイトにある壁紙が素敵だと思いました。

071108_deviantART.JPG

画面キャプチャーをクリックすると、deviantARTのサイトに遷移します。

071107_aquaraven.jpgアーティストのギャラリーのサイトのようですね(よくわかりませんが)。ストリートアートのような写真もあって、結構楽しめる。さまざまなアーティストのなかで、ぼくが気に入ったのはaquaravenというひとの壁紙です。深海をモチーフにした壁紙を作っているようで、深い青色がとても落ち着く。

そもそも、aquaravenさんのロゴには青い鳥が使われていて、そんなところも、おお!という感じでした。

ぼくもブログのトップにある鳥は自分で書いたのですが(なんとPowerPointの図形描画を使用。Illusuratorとか持っていないので)、こんな風にかっこいい鳥を書きたいものだ。しかし、シンプルだけれどかっこいいデザインというのがなかなかできないものです。どうしてもごちゃごちゃ書き込みたくなったり、シンプルなんだけど物足りなかったり。

aquaravenさんの壁紙で気に入ったものをピックアップしてみます。Galleryのページに結構素敵なものが多く、特に3ページ目お気に入り。ぼくは、どうやらアブストラクト(抽象的)なものやミニマルなものを好むようです。

ブログパーツにもなっていて、以下はmyspace用のもののようですが貼り付けてしまいます。ちょっとこのブログのトップページはFlashばかりで重くなりそうですが。

まず最初は、Wisps of Light。一閃、という感じでしょうかね。


Wisps of Light by ~aquaraven on deviantART

つづいて、深い海の底を思わせるDepths。


Depths by ~aquaraven on deviantART

かっこいい壁紙にしただけで、気分的にクリエイティブになる。創造的なこころがそそられます。セレンディピティな感じ(求めているものが得られなくて、関係のないものが得られる、という)もしますが、ハードディスクがクラッシュしたおかげで、かっこいい壁紙を探すこともできて、ちょっとうれしかったりしたのでした。

と、あまりにも気分がよかったので、SNSやブログなど、その他のいくつかのサービスを退会。これもまた未練も何もなく、すっきりという印象でした。読みにいくことのなくなったブログのRSSなどもさっぱり消えてしまったので爽快だ。これから、まっさらな気持ちで新しいブロガーと出会えばいいし。

あとは仕事を頑張るのみ(笑)。11月後半に向けてハードになっていく予定ですが、なんとか壁紙パワーで乗り切りますか。

クラッシュは自発的ではなく突然のままならない出来事であったのですが、究極の整理術は、ぼくの気分を軽く、そして前向きに変えてくれたようです。

投稿者: birdwing 日時: 23:30 | | トラックバック (0)

2007年10月 4日

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仕事のテツガク。

10月1日に内定式を行った会社も多く、2009年度の新卒採用もはじまるとのこと。街を歩いているとリクルートスーツ姿の学生さんをみかける機会が多くなりました。ひょんなことから、仕事である企業の採用向けコンテンツ制作を手がけているので、最近の就活について考えたり、そもそも仕事とは何だ?など青くさいことを考えたりしています。

仕事を含めて人生とは何だ?と考えさせられた書籍といえば、ロバート・ハリスさんの「ワイルド・アット・ハート」ですが、昨晩読み終わりました。こちらはいずれ感想を書くことにしましょう。そして、BRUTUS最新号「言葉の力」特集といっしょに購入したのが、次の2冊でした。

4887595654働く理由 99の名言に学ぶシゴト論。
戸田 智弘
ディスカヴァー・トゥエンティワン 2007-07-12

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453216592Xカンブリア宮殿 村上龍×経済人
テレビ東京報道局
日本経済新聞出版社 2007-05-26

by G-Tools

最初の「働く理由」から読みはじめているのですが、2冊目の「カンブリア宮殿」は作家の村上龍さんと経済人の対談集です。テレビで放映されていたものをまとめたらしいのだけれど、最近、ほとんどテレビを観ない自分としては、へえ、こんなのあったんだという感じです。活字を読んでも十分に面白いと思うのですが、お話を聞くのも面白そうです。説得されそう。テレビで観ておけばよかった。

「働く理由」は4分の1ほど読み終わるところですが(現在、P.68)、面白いと思った点がふたつあり、ひとつは「好きと相性は違う」ということと、「やってみなければわからない」ということです。

どんなに好きな仕事であっても、自分の性格や能力や過ごしてきた背景から相性の悪い仕事もある。好きな仕事、やりたい仕事にこだわると非常にピンポイントになりますが、相性のよい仕事であればかなりゆるい範囲で仕事を選択することができます。なるほど。

「好き」と「相性」について語られた次の部分は、非常に納得しました。

好きと相性って何が違うのだろうか? それは「好き」や「嫌い」は頭で考えることであるのに対して、「自分に合う」「合わない」は肌で感じることという点だ。

頭で好きだと思っていても、身体が拒んでいる状態では相性が悪い。そのぎくしゃくした状態が長く続くと、どこかが壊れていくような気がします。好きだという拘りを捨てて、自分に合っているものを選択したほうがよい場合もある。

この相性という観点は自分が中心の発想ですが、自分がやりたいことではなく、お客様がやってほしいことをやることが重要だったりします。株式会社ジョイコンサルティングの木村志義さんの言葉を以下に引用します(P.45)。

自分のやりたいことをやるために起業する、
という話をたまに聞く。あまりぴんとこない。
なぜなら、お客様は、
自分のやりたいことに対してお金を払うのではなく、
お客様のやってほしいことに対して、
お金を払うからだ。

そりゃそうだ。この自分中心の意識を、どれだけ他者からの視点に変えられるか、ということが社会人としては重要かもしれません。大人と子供の認識の違いは、他者の視点に立って自分の利益を捨てられるかどうか、ということにあるような気もしました。子供は、これぼくのだ!と拘る。大人は、しょうがないな、と大切なものを譲ってあげることもできる。

このマッチングは、結婚にもなぞらえることができます。高橋俊介さんの言葉で引用されています(P.32)。

結婚を考えてみるといい。好きな異性のタイプと、
幸せな結婚生活を送るのにふさわしいパートナーのタイプは、
必ずしも一致しないということに、多くの読者はうなづいてくれると思う。
好きというのは単なる好みの問題だが、結婚というのは具体的な日常生活だ。
そして生活とは、好きという気持ちや憧れだけで
すべてがうまくいくわけではない。

仕事選びは恋愛や結婚に似ている、のかも。

ただ、この流れで考えてしまうと、仕事は仕事、趣味は趣味と分離するような気がするのですが、やりたいこと、好きなことは最初からあるのではなく、何かをはじめるとそこから生まれる、ということが語られていました。イギリスの音楽評論家、アーネスト・ニューマンの言葉を引用(P.54)。

偉大な作曲家達は、意欲が湧いたから作曲に取り組んだのではなく、取り組んだから意欲が湧いたのだ。
ベートーベン、バッハ、モーツァルトは、毎日毎日、来る日も来る日も、作曲中の作品に取り組んだ。彼らはインスピレーションが沸くまで待って、時間を無駄にするようなことはしなかった。

これもわかる。いやだなあ、と思っていることも、とりあえず集中していると面白くなってきたりするんですよね。恋愛や結婚においても、いっしょに暮らしていくなかで、なんとなくふたりでいる空気感に癒されたり落ち着いたりする。だからそれほど熱愛ではなくても、いっしょにいる時間が心地よかったりする。

ところで、やりたいことなんて探さなくてもいい、という言葉を聞くと、なんだかほっとしませんか?ぼくはもっと早くにこの言葉を理解しておけばよかった。

自分探しとか、人生の意義とか、そういうことを過剰に求めすぎると、逆に楽しいはずの人生も楽しくなくなってしまうことがあるような気がしました。これがやりたいっ!という情熱なんかなくても、とりあえず何か仕事をはじめてみる。その仕事のなかに埋もれた原石のようなものを発見する。

待つチカラ」というエントリーでも書いたことがあるのですが、やみくもに血眼になって探すのではなく、のほほ~んと待ち続ける戦略だってある。果報は寝て待て、という戦略でしょうか。

ところで採用の話に戻るのですが、現在はひとりの内定社員を採用するために、100万円ぐらいのお金がかかっているそうです。つまり人材募集の広告であるとか、会社説明会であるとか、そのためのコストがかかる。10人内定者を予定するのであれば、100万円×10人=1000万円がかかる。内定を辞退されてしまうと100万円の損失、といえるかもしれません。企業によるとも思いますが、内定者を逃さないための努力も大変らしい。

いまの就活はほとんどネットによる情報収集が中心のようで、メインとなるのは「みんなの就職活動日記」「リクナビ」とか。最近の採用サイトは写真がふんだんに掲載され、オフィス写真の撮影サンプルまで媒体資料には掲載されています。えー学生さんにとっては夢を崩すようですけどね。

とはいえ、ぼくの場合は就職情報のなかで何が面白いかというと、人のインタビューですね。いろいろと採用サイトを巡回していて面白いな、と思ったのが、以下のKizasiを開発した方のお話です。

http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=000997

なんとなく転職したくなって困った(苦笑)。さすがライターさんの力量です。というよりも、そもそもKizasi開発者の稲垣陽一さんが、かっこよすぎです。

投稿者: birdwing 日時: 23:31 | | トラックバック (0)

2007年9月22日

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リーダーシップについて考えること。

やわらかい話題が多かったので、たまには真面目に仕事の辛口な話を(笑)。

休日にも仕事のことを考えているのかおまえは、という視点もあるかもしれませんが、休日だからこそ仕事について語るのだ、と。なぜなら、仕事をしている最中には目下の進行に夢中であって、全体がみえない。ほっと一息ついた休日に、仕事の全体がみえると思うんですよね。

現在、ぼくは休日出勤や残業に次ぐ残業でかなりハードな状況にあります。趣味の曲作りやブログで夜更かしもしているので(それはプライベートの問題かー)、目のふちにクマができてクマったものです(笑)。でも、自分自身としてはかつてないぐらいに仕事が楽しい。トラブルや難問すらも楽しめている。

いちばんの要因としては、お客様にしてもいっしょに仕事をするパートナーにしても、“仕事を楽しめるひと”とめぐり合い、組むことができたからではないか、と思っています。その素晴らしい偶然のめぐり合わせに感謝したい。そうして苦労ですら楽しめるようないまの仕事を通じて思うことは、やはり

仕事をするのは“ひと”である

ということです。システムではない。理論でもない。もちろん会社組織や技術もあるかもしれないけれど、血の通っていない体制や先端技術からよい仕事は生まれないのではないか。

では、どんなひとがよい仕事をするのかといえば、やはり前向きに考えられるひとでしょう。

別にやたら元気じゃなくてもいいと思うんですよね。物静かで穏やかに笑っているひとでもいい。けれども決して弱音を吐かない。たまには愚痴も言うけれども、次の日にはあっさりと忘れている。誰かに責任転嫁したり、姑息な小技や社内政治に長けていたりしない。失敗もするし、欠点もあるけれども、そんなでこぼこな人格であってもなぜか許せる。職場のちいさな変化にも気付き、声をかけることができ、困っているスタッフを見逃さない。他者の痛みに共感できる。そうして自分から率先してことに当たることができるひと。

ライフハックだとかワークハックだとか、知的な武装はもちろん情報機器のガジェットでがしゃがしゃ武装していたり、あるいは発想論や効率化の手法にやたらこだわったり、取得した意味不明な資格で履歴書を飾ったりしなくても、背筋がすっと伸びていて前を向ける人間であれば、よい仕事ができるのではないか。というよりも、よい人生を送れそうな気がします。たとえ社会的な地位がともなわなくてもね。

ある時期、ソニーなどを中心に学歴無用論という考え方が提示されたこともありましたが、究極の採用の要諦としては人間を測ることができることではないか、と思います。未来も含めてその人材の価値(バリュー)を見抜くことが重要ではないでしょうか。武装されたがしゃがしゃした装飾に目を奪われているようでは、そのひとの本質を見抜いていない。

ということを考えながら、リーダーシップという言葉を最近、仕事のなかで聞き、あらためてその言葉について思索しつつあります。

どうもリーダーシップというと、誰かを支配したり指示したり、管理することがリーダーシップのように考えているひとが多いようです。たいした仕事でもないのに権力を誇示するようなこと、無駄な管理ばかりに時間をさけるひと、(メイワク極まりない存在だと思われていたとしても)誰かの上に立つことがリーダーシップである、というように考える。

でも、ぼくの考えとしては、リーダーシップは個が発揮するものではないか、ということです。孤高のリーダーシップというものを思い浮かべているのですが、人を従わせるのではなく、おのずと人が従いたくなるもの。それがぼくの考える理想としてのリーダーシップです。つまり、そのためには、自分を磨かなければならない。自分を磨く努力を怠る人間に、ひとはついていかない。実力のある個であってこそ、はじめて、ひとはついてくる。

自分の専門性=プロフェッショナルな部分がないのに、組織化して何かをやろうとするひとは、結局のところリーダーというより“手配師”でしかないでしょう。

代理店の営業にはそんな他人の威を借りるタヌキおやじがたまにいて、スタッフの努力があって挙げている実績や数字であったりするのに、何にもしていない自分の手柄のように語ったりする。おまえらに指示しているのはオレだ、オレがいちばん偉いのだ、と胸を張っていたりする。でもスタッフが去ったときのタヌキに何が残るかというと、接待上手でお客様のご機嫌をとる技術、つまりひとを化かす技術ぐらいしかなかったりする(苦笑)。

先日、A+Bという提案の仕事があって、仕事の趣旨からBは不要であるとぼくは判断しました。そこでとある営業から言われたことは「Aって大変じゃないの?」ということです。

何を言っているんだこのひとは、と思ったのですが、どうやらAが大変だからという言い訳のもとにBの損失をAで埋めようと考えたらしい。それって不誠実じゃないですか。お客様に要らないものを押し付けても仕方ないし、大変でもない仕事を水増しして請求するのはどうかと思う。であれば、Cというまったく新しい提案をするか、困難だけれど新規開拓に注力したほうがいい。

そんなことやってるから、あんた売り上げさっぱりなんだろ、とぼくは思った。重ねて訊いてくるので「ぜんぜん大変じゃありません(きっぱり)」と答えておきました。えーと、大変だったんですけどね、多少は・・・。でも、他の部分で提案の余地があるお客様だと思う。そんなところで、ちまちまお金をとっても仕方ないでしょう。努力すべき場所が違う。

リーダーシップとは、自分から率先して何かをやることだ、そしてそこには徳があるべきだ、と究めて当たり前のことをいまぼくはあらためて胸に刻もうと思っています。やはり、ひとあってこその仕事です。

たとえばヨゴレた仕事を率先してやるのは立派なリーダーではないでしょうか。トイレ掃除を自らやるとか、社内の問題から逃げるのではなく誰から言われたのではなくても自分で着手するとか。売り上げが厳しいのであれば、部下におまえらがきちんと働かないからこんな数字なんだと叱咤するのではなく、自らが最も困難なクライアントに営業をかけるとか。

率先してやるひとのパワーには、ひとは従わざるを得ない、と思います。気の流れに引っ張られて、思わずついていってしまう。バイタリティなのかもしれないけれど、体力的なものだけでなく、精神力の若さともいえます。そして、なんとなくそのひとがいるだけで場が明るくなるとか、和むとか、癒されるとか、そんなひともきっとリーダーシップを発揮している。

そんなひとになりたい、とぼくは思っています。なれるかな?思い続けていれば、いつかなれるかも。諦めたら終りですが、諦めなければそれはまだ“成功への途上”であると考えることもできそうです。

投稿者: birdwing 日時: 06:16 | | トラックバック (0)

2007年8月20日

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視点の切り替え。

仕事が一気に押し寄せてくると、プチ・パニック状態になりませんか?クールに鼻歌混じりで仕事をさばきたいものですが、そうもいかなくて、うきーっというおさるさん状態で取り乱すことも少なくありません。

とかなんとか、冷静に書いている現在がまさにそんな状況で(苦笑)、こういうときには全体を見渡すことも大切だけれど、全体を見渡したばかりに、プレッシャーに圧倒されて眩暈がしたり不安におののくことがあるものです。やらなきゃらならいことはたくさんあるのに、不安がどよ~んと胸を塞いでしまって手が付かない。そんな局面によく出くわします。

そんなとき、逆に全体をみないで、直近のできる仕事に集中した方がいい場合もありますね。

意識的に不安材料をシャットアウトするわけです。場合によりますが、このことによって精神的に随分楽になることもある。ただ、楽になったのをいいことに能天気に構えていると、痛い目をみることもありますけどね。視野の外に追いやったものがある、ということを忘れずにいたほうがいい。

木を見て森を見ず(英語では、can't see the forest for the trees らしい。そのままだ)という慣用句がありますが、森を見て木を見ずということもまたあるものです。全体思考/部分思考という考え方かもしれませんが、先日読んだアフォーダンス理論に書かれていたゲシュタルトからとらえると、部分の集まりが全体ではなく、木が森になったときにそれはまったく別のものともいえる。

理想をいえば、木を見て森を見ながら/森を見て木も見る、という、全体と部分を行き来きする見方ができるといいなあ、と思いました。スケジュールでいえば、一日のスケジュールを確認しつつ、年間の計画も忘れない。組織でいえば、全体の統制を考えつつ、個人のモチベーションも無視しない、ということでしょうかね。どちらかはできるけれども、どっちも、というのはなかなか難しい。

思考の多くは「見る」情報によるところが多いらしく、比喩などの表現を思い浮かべても、聴覚(耳に痛い)や味覚(苦い思い出)の比喩よりも、視覚的な比喩(山を越える)が圧倒的に多い、ということをレトリック関連の何かの本で読んだ記憶があります。

と、考えてみると「見る」のは空間的な何かだけでなく、時間を「見る」こともありますね。ちょっと視点について整理してみます。

■時間の視点

  • 過去を振り返る
  • 現在を見る
  • 未来を見通す
  • 歴史(現在・過去・未来)を見渡す
  • 刹那を切り取る
  • スローモーションで見る
  • 逆回転で見る
  • コマ送りで見る

■空間の視点

  • 遠くを見る
  • 近くを見る
  • 上空から見下ろす
  • 地上から見上げる
  • 顕微鏡で拡大して見る
  • ナナメ右から見る
  • ナナメ左から見る
  • 対象以外(地)を見る

うーん、ちょっと当たり前すぎる気がしました。もっと別の視点がないだろうか。

しかしながら、たとえばひとりのひとを見るとき、時間と空間の視点を組み合わせてみると、いろんなものが見えてきそうです。

映画の手法に近くなるかもしれないのですが、彼女の指先の仕草を注視する、とか、雑踏のなかのたったひとりの人間を見つけ出す、とか。血縁関係の系統図において自分を遡るルーツを追いかける、とか、過ぎ去りし日の自分を現在の自分にオーヴァーラップさせる、とか。

想像力を働かせると、眼前にないものも見える。老人になって海辺で佇む彼を見る、とか、少年の頃に学校にいた彼を見る、とか。いまここにいないひとを見るのは結構楽しい。

仕事もそうですね。企画などをやっていて思うのですが、あるアイディアが飛び抜けてよかったりすると、別のアイディアが「見えなく」なることがあります。輝きに紛れて他のものが見えなくなる。しかし、その妄信が結構キケンだったりもする。

もっと別の何かが見えるんじゃないか、と追求していくことは、コンサルティング的にはオプション(選択肢)を考える発想かもしれません。たったひとつの素晴らしい案によりかかるよりも、ちょっと待てよ?と立ち止まって、可能な限りの選択肢を考察したほうがリスク回避にもなる。

光の影にぽっと別のアイディアが見えてくることもありますね。けれどもそれは急に現われたものではなく、ずっとそこにあったのに見えなかったものかもしれません。アイディアは案外そういうもので、突拍子もないものを探してくるのではなく、眠っている何かの目を覚ましてあげるものだったりする。

美点凝視、という言葉を、まだ入社して間もない頃の社員研修で教わりました。スタッフの欠点や失敗ばかりを見ているのではなく、よいところに注目しなさい、ということだったような気がします。まずいところばかりを見ていると、ネガティブループにはまって毒にやられる。

そんなに綺麗なところばかり見てられないよ、というのがホンネですが、視点を変えるだけで違った世界が見えてくることも多いものです。

投稿者: birdwing 日時: 23:23 | | トラックバック (0)