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2006年2月20日

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感情という情報。

ビジネスに感情論は持ち込むべきではない、ということも言われますが、高度な意思決定には感情が必要である、ということが述べられているのが、いま読んでいる「EQマネージャー」という本です。

日常生活でも、ときに感情は非常に厄介なものとなります。猛獣にも変化します。抑えつけるとますます凶暴になるかもしれないし、かといって野放しにもできない。しかしながら、さまざまな創作活動やブログを書くことなどにおいては、感情をうまく取り入れることが大切です。感情には特効薬というかスパイス的な効果があって、一滴垂らすだけで、化学反応を起こして全体を一気に変えてしまうこともある。

そんなわけで、ぼくのなかにいる猛獣を落ち着かせる方法(ライオンのような猛獣をせめて柴犬ぐらいにおとなしくしたい)と、創作における特効薬の探し方を考えるために、心理学関連でよい本がないか探していました。同時にビジネス面で感情を管理するノウハウというものにも関心があった。そこで「EQマネージャー」という本を選んだわけです。EQというのは、IQ(知能指数)に対する造語であり、感情面での知能という意味のようです。

全体的な印象としては、非常にぼんやりとして輪郭のつかみにくい本なのですが、時々はっとするような表現が埋もれています。というよりも、ぼく自身がずーっと問題にしていること、テーマとして考えつづけている部分がクローズアップしてくるような感じです。いま、第12章を読んでいるところで、もうすぐ読み終わりそうなのですが、遡ると第4章の次の言葉は興味深いものがありました。

気分は思考に直接影響する。われわれの気分が変化するように、われわれの思考も変化する。気分を利用し思考を変えることができる人は、世の中を複眼的に見ることができ、創造的な思考ができる傾向にある。

数行後には、以下のように「仮想」というキーワードが出てきます。

自分の気分を変えることのできる人は、いつでもどこへでも「仮想の休暇」を取ることができるのだ。そういう人たちの思考や物の見方は常に変化するため、世の中を新しい視点から見る方法を生み出すことができるのだ。

なるほど。そうありたいものです。仮想の休暇であれば、いつでもどこでも取ることができる。費用も要らないし、時間の制約もありません。引用した上記2つは特にビジネスではなくても通用することなのですが、さらに数行後には意思決定について触れられています。

意思決定は論理だけでなく感情からも成り立っている。未来の、つまりこれから起こりうる出来事に対して感情を引き起こすことができれば、自分をその世界に運んで多角的に検討することができる。

論理だけでなく感情も含めて、仮想の未来に自分を置いてシミュレーションをする、ということでしょうか。スポーツ選手のイメージトレーニングに近い感じもしますが、なかなか大事だと思いました。ぼくの場合、企画を練るときには、どうしてもアイディアを一方的に信じがちなのですが、そのプランが実現した状況に自分を置いてみる。そして、その状況で何を感じたか。気まずさなのか、楽しさなのか、なんとなくおかしいぞ、これって馬鹿みたい、なのか。仮想の世界で感じた直感を得ることが、企画の精度を上げるような気もします。それがパソコンを越える人間の力という気もします。

この本のなかで繰り返し書かれているポイントは、「感情は情報である」ということです。

つまり、もしマネージャーが感情に翻弄されていたら、感情という情報を客観的に分析できない。ひとを動かすためには、感情を管理する必要があります。他人の感情を見抜いて理解し、一方で自分の感情を把握し、その情報を判断した上で直感を含めた能力を最大限に活用して、最適なオプション(選択肢)を決定する。じゃあ具体的にどうするのか、という部分は非常にあいまいなのですが、その考え方自体はとても関心のあることでした。

また、感情には時間的な推移があるということも書かれていました。もやもやとした気分が蓄積されると別の感情に変化する。漠然としたイライラが長く続いて怒りに爆発するようなものです。この、もやもやとした状態を察知できる人間がマネージャーとしてEQが高い人間であり、放任するのがマネージャーとしてはEQが低い。あいつは何で怒っちゃったんだろう、などと言うマネージャーはEQが低いことになります。怒りに到達する前に察知して、その感情を解体するマネジメントが必要になります。確かに会社を辞めていってしまう人間には、事前になんらかのシグナルを発していることが多いものです。パーテーションやパソコンに隠れて、見ないようにしている上司もいるのかもしれませんが。

とはいえ、ポジティブな感情だけが大事ではなく、ネガティブな感情にも意味がある、と書かれているところに注目しました。非常に緻密な仕事、たとえば文字校正やデータのチェックなどをやるときには、浮かれた能天気な気分よりも、ちょっとかなしい気持ちの方が正確で誤りをみつけやすいとのこと。一方、ポジティブな気持ちのときは創造的なことに向くようです。ブログを書くときには、楽しい気持ちで一通り書いてみて、その後、かなしいことを思い出しながら文字をチェックするといいってことでしょうか。

そんなに瞬間で気分を変えることは難しいのですが、ブログを書く上でもセルフコントロール(自己管理)が必要かもしれません。あるいは、セルフプロデュースも必要だと思います。

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2006年1月27日

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バケツの穴を塞がなければ。

会社の話になりますが、ひとり優秀なベテランの社員が辞めるというお知らせがありました。もちろん、新しいひとも入社してはいるのですが、現在のスタッフがきちんとモチベーションを維持して働くことができる環境だろうか、まずそれが第一じゃないのか、と疑問を感じています。どんなに水を汲んだとしても、バケツの底に大きな穴が空いていれば、水は抜けていくばかりです。単純にひとの問題だけではなく、そのひとが蓄積したノウハウも零れていってしまうことになる。これでいいのでしょうか。そして、残されたぼくらに何ができるんだろう。

その辞めていく女性社員の方とは、ある新しいクライアントに提案して企画を立ち上げるときにいっしょに仕事をしたことがありました。非常に優秀でした。メールマガジンの編集を担当していたこともあり、匿名で書いていたにも関わらず彼女のファンができるほどです。その編集能力を生かして、今後はフリーで活躍していくとのこと。そのこと自体は、ものすごくいいことだと思います。困難だったとしても、成長できない環境でくさってしまうよりも、自分の力を発揮できる場所で仕事をするのがいちばんいい。会社に残るのは、勇気も実力も決断力もなく不満ばかりを抱えたぼくのような人間ばかりなのかもしれないのですが、優秀な人間を辞めさせないで活用できるような職場にできないものだろうか、と思います。もちろん優秀ではないけれども、生活していかなければならない自分も含めて。

以前、会社の数字について理解を深めるために、経営と財務管理についての本を読んだことがあるのですが(何という本か失念)、どんぶり経営はやめなさい、ということが書かれていて、人材採用は大事だが現状の売上げでそんなに採用が必要なのかどうか、まず人材を採らないで、いま所属しているスタッフでなんとかすることを考えなさい、ということが書かれていました。確かにその通りだと思います。売上があってこそ人材計画もできるわけで、売上が上がらないのに過剰に採用すれば、固定費によって利益が圧迫される。いま予算計画というのがはっきりみえないので、その辺りが非常にグレイです。

それに、もちろん新しいひとによって新風が吹き込まれることもあるけれど、逆にドクを注入されておかしくなることもある。新しいひとに過剰な期待をすることもどうかと思います。ぼくも転職を何度か繰り返しましたが、隣の芝生は青くみえるものです。新しいひとも、何かすごいことをやってくれるんじゃないだろうか、という期待があるのですが、そんなスーパーマンはあんまりいない。だいたい転職を考える人間は、そもそも不満が多かったりもするので(もちろん向上心から新しい境地をめざすひともいますが)、やっぱり同じように転職先の職場でも不満を持つようになります。現在の職場で実現できないことは他の職場に移っても難しいものであり、現在の人材を活かしきれていない会社は新しい人材を投入してもくさらせてしまう可能性があります。過去や未来をどうこう言う前に、このどうしようもない現在をなんとかしなければならない。

根拠なく永遠に人材募集を繰り返すこと(それも採ってどうするんだろう、という疑問が生まれるようなひとが募集されたりする)、事業としてどこを目指そうとしているのか、そのためにいま会社に残っている人材をどのように教育していくか(それも不透明)ということがわからないと、なぜ新しい人材にばかりこだわるのか、まったく意味がわかりません。

そんなぼくも、心にぽっかりと空いた穴を塞ぎつつ、頑張りたい。目にみえる穴であれば手で塞ぐこともできるけれど、みえない穴を塞ぐのは大変です。

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2006年1月24日

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夢にも設計図がある。

いい天気です。雲の流れがはやいなあと空を眺めていたら、ヘリコプターがばらばらばらと飛んでいきました。低空で飛んでいるせいか、意外にでかい。ビルのあいだを飛ぶヘリコプターが印象的でした。

さて、今日は東京国際フォーラムで、TOYフォーラムというイベントに行ってきました。セガトイズ、エポック社、コナミ、タカラなどの玩具メーカーの流通向け展示会なのですが、ちょっと企画のお手伝いをしたこともあり、時間にも余裕ができたことから、ざっと視察してきました。一般向けではなくて流通向けなので、何か玩具をもらえるというわけではありません(ちょっと残念)。しかしながら、商品コンセプトや、プロモーション展開などのボードが掲示されていて、店頭でどんな風にアピールしたらいいかなども書かれていたりするので、なかなか興味深いものがありました。

IT系の展示会にもよく行くのですが、今年の7月に発売、参考出品、などというものをみることができるのが嬉しい。たぶんぼくは新しもの好きなんだと思います。しかしながら、新しいものをすぐに購入するかというとそうでもないので、マーケティング用語的にはイノベーター(革新的採用者)ではないかもしれない。アーリーアダプター(初期採用者)あるいはアーリーマジョリティ(初期多数採用者)という感じでしょうか。

子供たちがいるので、恐竜キングだとか、デュエル・モンスターズなどのトレーディングカードは馴染みの深いものでしたが、対戦できる恐竜キングのベーゴマだとか、既存のキャラクターも新しい展開を考えている。もしかしたら、今後、爆発的に流行るかもしれないし、そうでもないかもしれない。うちは男の子ばかりなのですが、ラブ&ベリーという女の子版のムシキング(もしくは恐竜キング)みたいなものも流行しているようで、ミニコスプレというか、衣装みたいなものも展示されていて、これを着てどうやら写真などを撮るらしい。女の子だったら好きそうだなあ、と思いました。うちもふたりの息子のうち、ひとりは女の子だとよかったのですが。

びっくりしたのが、子供向け携帯音楽プレイヤーなどもあったこと。確かにiPodは大人気なのですが、子供は使うのだろうか。たぶん中学生以上になったら、本物のiPodを欲しがるような気がします。ということは小学校中級以上ということになるのですが、たまごっちのようなものは欲しがったとしても、音楽を聴きたがるかなあ、とちょっと疑問でした。しかしながら、そんなぼくの考えの方が時代から遅れていて、いまの子は、がんがん音楽を聴きまくるのかもしれません。

リラックマの防犯グッズみたいなものもあって、最近のぶっそうな事情を考えると必需品といえるかもしれません。とはいえ、癒し系なのか危険なのか、キケンなのか癒しなのか、なんだかびみょうな感じです。ゲームもできる液晶の画面に、ぷいっと横を向いたリラックマがすねたように表示されていました。

昔からあるチョロQなども進化しているようで、スピードの速いもの、遅いもの、途中から加速するものなど新しいエンジンが搭載されるようです。ついでに、ぼくがいいなあと思ったのはイヌ(あるいはネコ)型のチョロQで、耳がぴこぴこ動いたりする。まるっこくてかわいいので、2歳の息子に買って帰りたいと思いました。ローティーンの女の子がターゲットのようですが、別の層に受けるような気もします。

とはいえ、子供たちの玩具というよりも、大人向けのものも多いようでした。プラネタリウムとか、自動演奏するミニチュアのピアノとか。いま玩具の最大の購買層は、子供というよりも子供のいる大人なのかもしれません。小遣いにも余裕ができて、幼かった頃に購入できなかったものを買う。子供に過去の自分のイメージを重ねて、「買ってあげるよ」と言いつつ、満足しているのは大人たちということもあるかもしれません。

しかしながら、これから子供たちに流行るものを設計しているのも大人たちです。子供の頃には、突如として現れたかのようにみえたヒーローも、マーケティングや商品企画によって生み出されたものだった、ということにあらためて気づかされます。ほわほわした夢の世界にも、きちんと設計図があったわけです。なんだかサンタクロースが誰か、ということをわかってしまったときの気持ちに近いものも感じますが、それでも玩具を前にしたわくわく感は、大人であっても子供であっても、変わらないものではないかと思います。大人向けの玩具というのも、いいものです。大人だからこそ楽しめる世界もある。大人の玩具、と言ってしまうとジョイトイっぽくて変ですけどね。

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補足ですが、販促会議の2006年2月号、シリーズ業界別販売促進として「玩具のプロモーション戦略」が掲載されていました。業界としては厳しいようですが、少子化によって、子供たちにかけるお金は増えている。確かに、うちもそんな傾向にあります。玩具が多すぎ。それこそテレビや店頭など、メディアミックスが重要となる市場ですが、面白かったのは「女の子は、男の子と違って、欲しくても我慢する傾向がありますから、いかに商品に手を出させるかが難しい。」というバンダイ山崎氏のコメントです。そうか、女の子は我慢するんだ。一概に玩具といっていますが、確かに男の子向けと女の子向けは、まったく違うもののような気もします。そんな気持ちをつかむのも大事なのかもしれません(1月26日追記)。

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2006年1月21日

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成果をあげるには。

ユキですね。なんだか徹夜の疲れがいまごろになって、どーんと身体に重くのしかかってきました。犬はよろこび庭かけめぐる、という歌詞があったかと思うのですが、2歳の息子は家のなかを走り回っています。ユキなので。

さて、どうしても成果があがらない営業がいるとします。そんな営業はやめちまえ、と言いたくなるのですが、そんな営業にも生活はある。だから頑張ってほしいのですが、成果のあがらない営業には、あがらない法則があるようです。なんとなくわかってきました。そこで3つの法則を書いてみることにします。ぼくもそんな法則に当てはまっていないかな、と省みつつ。

ひとつ。「いい加減なこと」。

子供の宿題をみているときに、ぼくは息子を叱ることがあります。彼は、はやく終わらせてゲームをやろうと思うがために、漢字書き取りの書き順がめちゃめちゃだったり、棒が一本抜けてたり、名前を書いていなかったりする。そこで、「そんないい加減なことやってちゃだめだ。ひとつひとつを丁寧にやりなさい。丁寧にやったあとで早く仕上げなさい」と叱る。

同様に、ただ仕事を終わらせればいいやと思っている営業がいる。いくら概算だといっても見積りを作るときには、ちいさな根拠やロジックにあわせてひとつひとつの数字を積み上げて作るべきだと思うんですよね。とても地味な作業だと思います。こつこつ積み上げていく仕事です。ところが成果のあがらない営業は、感覚的に、こんなもんだろう、と適当に仕上げる。数万円の見積りも億単位の見積りも、同様です。きちんと数字の根拠を組み立てられない営業は、ぼくは信用できない。億単位の見積りが10行ぐらいで終わるのって、いい加減すぎますね。概算すぎです。もちろん時間がないから切り捨てなければならないこともたくさんあるのですが、ちいさな積み上げが大事だと思います。人生って、ちいさな積み上げで成り立っているものです。

ふたつ。「自分にはやさしいが、他人には厳しいこと」。

あるいは「自分では何もできないが、他人のやることには我慢ができないこと」でしょうか。どういうわけか自分で何でもできると思っている。そんなわけで仕事を抱え込むのだけど、そもそも「いい加減」だから、集中力も続かない。たいしたものができない。勉強もしない(というかできない)。実はそれをコンプレックスにも感じているので、他人がうまくやったものには頭にくる(うまくできなくても頭にくる。結局のところ不満ばかり)。いつまでも自分の担当した仕事は完成しないくせに、他人の部分にはケチをつけることになります。

昨日も書きましたが、だから創造的な対話ができないんですよね。他の誰かが、ちょっと面白いアイディアを出すと、いいねーこういうのはどう?と便乗して新しいアイディアを出すのではなくて、むっかーちっきしょーそいつ潰してやる!とアンチテーゼを引っ張り出すことにやっきになる。でも、たいしたアイディアは出てこないわけです。そこで、他のスタッフがかわいそうに思って、その営業が出した案をリメイクしてあげたとしても、他人がうまくやったということだけでそれが気に入らない。要するに根っこがネガティブなわけです。他人のやることは、いちいち気に入らない。どうしてそんなに不満なんでしょうね。というか、ぼくにはその理由がわかります。コンプレックスのかたまりなんです。

みっつ。「政治的なことばかりに注力すること」。

政治的なことは大事です。しかし、そこに注力する前に、まず基本的に「よい提案をすること」「きちんとした見積りを作ること」「全体をしっかり管理すること」が重要ではないでしょうか。日本の企業の営業さんは、政治的なことが大好きです。一見、ひとあたりがよくて気を配っているようにもみえますが、実は「自分の成果のため」やっていることがみえみえなので、なんだかみえすいた嘘を聞いているようで、気持ちよく仕事ができません。上司に気を配ったり、お客様のところでごまをすったり、そういうことには長けている。外資系的な考え方かもしれませんが、ぼくは「まずよい仕事をすること」が第一だと思いますけどね。政治的なあれこれに手をつけるのは、それができてからです。

一方で、ほんとうに心からスタッフを労ってくれる営業もいます。自分の仕事は終わっているのに、まだ企画の詰めに奮闘しているぼくのために残っていてくれて、「今日はクルマで来ているから、途中まで送っていきますよ」と声をかけてくれる。どこが違うか、というとなかなか難しいのですが、人間性でしょうか。気配りはとても大事なのですが、その根っこがどこにあるか、ということのようです。

ところで、この3つのポイントをすべて裏がしてしまえば、よい営業の条件になります。「きちんと論理と根拠のもとに予算を積み上げて、お客様の信頼を築くこと」「自分には厳しく、他人にはやさしいこと」「まず何が重要であるかを考えて、余計な周辺に注力するのではなく与えられたミッションをこなすことに集中すること」。

どんなに頭がよくても、オレサマ的な自画自賛ばかりで能力向上を怠ったり、ひとのせいにして自分を甘やかしたり、ネガティブなドクにどっぷりと浸かっていたなら、数年後にはもう使いものにならなくなる。不満にまみれた産業廃棄物になるような気がします。ぼくも気をつけなければ。

数字を扱っているせいでしょうか、営業には奢り高ぶったひとが多いようです。クリエイティブな部門に対して、おまえらを食わせているのはオレだ、どうだまいったか、という感じがある。だから勉強もしないし、誰かに何か言うのはいいとしても、言われるのは頭にくるらしい。おまえに指図されたくないんだよ、指図するのはオレだ、と。自慢話は大好きだけど、ひとの話は聞こうとしない。でも、ほんとうに営業ってそんなに偉いものでしょうか?そんなにすごいのかな?

謙虚にいきたいものです。成長には謙虚が大事です。

ぼくは前職で代理店さんの下で働いていたことがあるのですが、営業はとにかくそんな高飛車なひとばかりでした。虫けらのようにぼくらをみていた(たぶんお客さんの前では、ものすごく腰が低いんだろう)。しかし、マーケティングの部署は、まったく違いました。ものすごく紳士的で、言葉遣いも丁寧で、しかも仕事がめちゃめちゃできる。徹夜してもまったく平気な顔で、じゃあこれからプレゼンなので行ってきます、なんてことをさらりと言う。前向きで明るいんです。さらにものすごく誠実でほがらかで、いま思うといまひとつな仕事をしていたぼくらのような虫けらに対しても、敬語を使って話かけてくれました。そのときからぼくには代理店の営業に対する反感と、マーケティングに対する憧れが生まれました。紺のスーツを着て、あのかっこいいマーケッターにいつかぼくもなるのだ。そう思いました。

ほんとうに仕事ができるひとは、仕事ができることを自分で言ったりしません。仕事ができるひとは謙虚であり、寡黙であるような気がします。

人間はいくつになっても向上できるものだし、成長できる。もちろん環境は大事だけれど、会社が何もやってくれないからだめだ、という問題でもない。いろんな不祥事の渦中でもありますが、そもそも会社というものは、ぼくらを守ってくれるものとはいえないものになってきたのかもしれません。だとすると、会社に過度の期待をしても仕方がない。ぼくらはぼくら自身の生き方をみつけなければならない。自分で自分を守るべきです。そして自分の人生がしあわせで豊かなものであれば、それがいい。

おこがましいかもしれませんが、かつてぼくが代理店のマーケッターに憧れたように、ぼくは誰かの憧れになっているだろうか、目標となるような仕事をしているだろうか、そんなことを厳しくチェックすることにしました。子供は親の背中をみて育ちます。少なくとも、ふたりの息子たちにとって、パパの背中はかっこいいなあ、と思われるようになりたいものです。実際は、徹夜で疲れてよれよれなんですけどね。とほほ。

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2006年1月20日

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共創感。

ひとは誰でも、自分の話をしたいものです。そして自分の話を聞いてもらいたいと思っている。もちろん、自己主張の少ないおとなしいひとだっていますが、それでも自分をわかってもらいたいという気持ちはある。まったく何も自分から話したくないというひとは、いないのではないでしょうか。無人島で生活しているのではなければ。いや、無人島で生活していても、いずれ島を訪れる誰かのために、文字で何かを記しておくかもしれません。そして自分のさびしさや、楽しかったことなどを残しておきたいと思う。

子供もそうです。うちの息子(長男)はとてもおとなしい性格で、参観日に学校に行くと、こいつ存在を消そうとしているな?忍者か?ニンニンと思うほどです。でも、彼もやっぱり自分の話を聞いてもらいたいと思っているし、話がしたい。学校では静かであっても家にいるときには、ぼくの部屋に何度もやってくるようなときには、どうした?というと堰を切ったように話しはじめることがある。もっと自分からどんどん話してくれるといいんですけどね。

昨日は大きなプレゼンがひとつあったのですが(企画書は100枚弱)、プレゼンというのはプレゼンテーターによって一方的に話をすることが多い。しかしながら、聞いているひとだって、話したい気持ちがむずむずしてくるものです。ぼくだって聞いている立場であれば、一方的に1時間も聞かされているのはつらい。ちょっと口を挟みたくもなる。プレゼンテーターとして一生懸命話していると、説明することでいっぱいいっぱいになって、聞き手の感情まで意識が回らないことが多いのですが、そんな聞き手の気持ちを配慮することも大事です。コミュニケーションというのは、聞き手があってのものなので。

プレゼンは一方的に説明をするもの、という固定観念を捨てると、対話も生まれてくる。そうして一方的な説明よりも、何らかのコメントをしたり、対話があるようなプレゼンは、いっしょに企画を創り上げたんだ、という協同意識が生まれる。共創感、みたいなものでしょうか(どこかのコンサルティング会社が使っているような言葉ですが)。アイディアはひとりで生み出せるものであっても、ビジネスとしての企画は、ひとりで創り上げるものではありません。たくさんのひとがアイディアを持ち寄って、それぞれの責任を果たしながら創り上げていくものです。

昨日のプレゼンでも、途中で「ちょっと余談ですが」といって、お客様にお話を投げかけてみました。戸惑われた感じもあったのですが、きちんと言葉を受け止めていただいて、お話をしてくれた方もいました。そして、そのお話を受けて、ぼくも思いついたことを話してみました。プレゼンテーターの一方的な説明を聞いていると、聞いている方は眠くなってしまうものです。食後であればなおさらです。話している方は気持ちがいいかもしれませんが、聞いている方は辛抱できないことだってある。一生懸命プレゼンしているぼくらとしては困ることですが、仕方がないことでもあります。そんなときに、ちょっと流れを変えるような気配りも必要になる。流れを変えるときだな、と、雰囲気を察知することも大切です。ついで付け加えると、あくまでも流れを変えることであり、話の腰を折ることではありません。

それから、社内はもちろん、外部の協力会社の方でも、ぽん、と投げた言葉に対して、ぽん、と投げ返してくれるひとたちがいる。ぽんぽんやり取りしているうちに、ものすごく創造的な対話ができるようになる。一方で、ぽん、と投げた言葉を、ちっきしょーどかーん、と受け取れないような言葉で投げ返されると、二度と投げたくなくなる。

創造的な対話というのは、気持ちのいいやりとりから生まれるものです。そして、そのためには、受け取る相手のことを考えることが大事なのかもしれません。彼女とデートするときだって、お互いに楽しい時間を過ごそうとする共創感があれば、すばらしい時間を過ごすことができます。仕事上でも、ライバル意識は必要だけど、あまりにとげとげしい競争感だけではうまくいかない。

難しいですけどね。

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