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2005年12月10日

球体のなかから。

健康がいちばん大事である、ということをあたらめて感じています。肉体的にも現在いっぱいいっぱいなので、どうしても思考も狭まりがちです。飛躍した考え方ができません。以前にも書きましたが、やはり身体と文体には何か関連性があるのかもしれない。とにかく自分の周囲3メートル以上には思考が広がっていかない感じです。その周囲3メートルの球体のなかに閉じこもっているわけですが、これは擬似的には卵の状態なわけで、そこから翼の生えた何かが生まれてくれるといいんだけど、と期待もしています。と、こういう抽象的な表現自体が、具合の悪い証拠です。やれやれ。

球体に閉じこもりながら、偏差値教育の弊害というか、どうしても加点にしても減点にしても得点を気にしたり、相対評価が気になるのですが、よのなかにおける位置を確認したところで、それでしあわせなのかな?という根本的な疑問をぼんやりと感じました。他人と比べてたとえば優れていたとしても、自分の心のなかで納得がいかなければ不幸せですよね。ということを書いていたら、村上春樹さんの「東京奇譚集」の最後の作品「品川猿」を思い出したのですが、床にまで広がっている自室の本の山から、その一冊を探し出す気力がありません。猿が名前を奪うことによって自分の名を喪失してしまう主人公のお話ですが、そのきっかけとなったのは主人公が学生の頃に暮らしていた寮のものすごくきれいな友達だったような気がします。その友達は見るからに誰よりも優れているようなのに、嫉妬心がある。そういう状態は見かけにかかわらず不幸だと思います。というのも、たえず誰かと自分を比較して心の均衡を崩しているからです。

知識などに関しても、それ自身を楽しむ純粋な気持ちで蓄積していけばいいのですが、他人に披露*1してやろう、アクセス数を稼いでやろう、ちょっと儲けたりもしたい、というヨコシマな気持ちが入ると途端に不幸になることもある。無心であることがいちばんです。

数日前、ココログでブログを展開している眞鍋かをりさんの「眞鍋かをりのココだけの話」を買ってしまいました。ココログブックスです。ブログをみてりゃいいじゃないか、ということもあるかもしれませんが、やはり本となってまとまって読めるのはうれしい。眞鍋さんの文章はほんとうに面白い。読んでいてしあわせな気持ちになります。それは出しすぎというぐらい素を出していることもありますが、ネガティブな発想がないことと、自分が面白いと思う世界をとことん追求しいているからでしょう。巻末には「読まれるための10ヶ条」があり、これもなかなか頷けるものです。

さて。退院した次男はしきりに画用紙に○を書いていました。○が重なるとアンパンマンの顔にもなる。もちろんぎざぎざな図形も描くのだけれど、どちらかというと今日の彼は○な気分だったようです。

尖っていたい、と思っていたこともあるのですが、三角錐や立方体な気持ちでいると、融通が利かないことも多くあります。四角四面なスクウェアな感情では、角が立つわけです。まあるく生きてみるのもいいかもしれない。

球体というキーワードでは、小沢健二さんの「球体の奏でる音楽」というアルバムがあったことを思い出しました。とりとめがありませんが。

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■「球体の奏でる音楽」のジャケットは、思いっきりベン・ワット(EBTG:Everything But The Girlのギター弾いているひと)の「ノースマリン・ドライブ」っぽいですね。あらためて。

4103534184東京奇譚集
新潮社 2005-09-15

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4901873512眞鍋かをりのココだけの話 (ココログブックス)
インフォバーン 2005-08-27

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B00005GLT9球体の奏でる音楽
小沢健二
EMIミュージック・ジャパン 1996-10-16

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*1:この披露という言葉、書いたときには疲労となっていました。お疲れさまです、自分。

投稿者 birdwing : 2005年12月10日 00:00

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