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2006年3月 5日

掌編#02:あおぞら冷蔵庫。

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ブログ掌編小説シリーズ#02:あおぞら冷蔵庫。================================================================

玄関のチャイムが鳴ったとき、私はちょうど2歳の息子のおむつを替えていた。すぐに出ることはできないので、ちいさな息子の両方の足首を持ち上げてウェットティッシュでおしりを拭いながら、そのままじっと身構えた。宅配便か、あるいは新聞の勧誘といったところか。出なくてもいいだろう。できることならば通り過ぎてほしい。息子はおしりを私に任せながら、自分の手を組み替えて静かに遊んでいる。天井に向って影絵を演じているようだ。

けれどもしばらく時間を置いたあとで、チャイムはまた鳴った。私は息子にしっかりとおむつを履かせると、コリン・ブランストーンの「一年間」というCDを消した。甘ったるいソフトロックだけれど、最近、このCDをかけていると息子が暴れないでおむつを替えさせてくれる。私は息子をカーペットの上に転がしておいたまま、玄関まで行くと、チェーンキーを外してドアを開けた。

ああ、いらっしゃいましたか。よかった。

スーツ姿で細いインテリ風のめがねをかけた男性が立っていた。あと1回だけチャイムを鳴らしたら帰ろう、と思っていたようだった。なにか?私が腕を組んで聞くと、彼は言った。おやすみのところ、誠に失礼いたします。わたくし、株式会社あおぞら冷蔵庫のカミジョーと申します。ご主人さまでございますか?そうだけど。私は腕をほどかずに言う。奥さまはいらっしゃいますでしょうか。いまはいない。ぶっきらぼうに応えた。お買い物ですか、いつお戻りでしょうか。わからない。私が応えると、カミジョーさんは困ったような顔をした。

いつ戻るかわからないんだ。戻そうと思えば戻るんだけど。で、なにか?私が訊くと、カミジョーさんは一瞬戸惑ったが、マニュアル通りにセールスを進めようと考えたようだ。鞄のなかからカタログを取り出すと、付箋の付いたページを広げながら説明をはじめた。

では、旦那さまにお話をさせていただきたいのですが、わたくしどもはあおぞら冷蔵庫と申しまして、白物家電として冷蔵庫がご家庭に普及をはじめた時代から、お客さまの生活における保存という大切なソリューションを提供するために、さまざまな冷蔵庫の開発と販売に携わってまいりました。ひとくちに冷蔵庫と申しましても、最近はお客さまのニーズに従いまして、さまざまな機能が求められております。ひとり暮らしの寂しさを紛らわすために音声合成コミュニケーション機能つきの冷蔵庫ですとか、人工知能による冷蔵庫ですとか。

うちは必要ないから。

私は途中でカミジョーさんの話を打ち切ろうとした。じゃあね。ドアを閉めようとすると、あ、ちょっと待ってください、もちょっとだけ。と、彼はぐいと私の方に近づいてドアを閉めるのを阻止した。香水の甘ったるい匂いがした。あの、今回ですね、わたくしどもはついにミッションでもある最終的に目標としていた製品、つまりまったく画期的な冷蔵庫を開発したんです。それが、これ、青空冷蔵庫です。付箋をたぐってそのページを開いた。

わたくしどもは会社名にも掲げておりますように、青空を冷蔵庫で保存することを最終的な企業の目標として努力しております。そして長年の研究開発の上、ついに完成しました。こちらが製品になります。BSF-1068β、やっとみなさまにお届けすることができました。そこでこうして、みなさまのお宅を訪問してご紹介しているわけです。パンフレットには、ネイビーブルーの冷蔵庫の写真があった。扉はひとつしかなくて、前面には取ってのようなものが付いている。シンプルなデザインだ。冷蔵庫の横に笑顔のモデルが立っていた。青空を保存するには小型すぎる気がする。小型だけれど、機能的には従来のものを上回るのだろう。それにしても、だ。

青空なんて冷凍してもしょうがないだろう。

私が言うと、みなさんそうおっしゃいます。と、カミジョーさんは、その応えを待っていたんです風の顔をした。けれどもですね、青空をいつでも保存して解凍できるということは、われわれの生活を根本的に変えてくれます。まったく新しいライフスタイルをご提案できるわけです。たとえばですね、これから梅雨の季節になりますが・・・あ、おぼっちゃんですか?いつの間にか私の後ろに息子がやってきていて、ズボンの裾をつかんでいた。かわいいですね。ありがとう。私は腕をほどいて、息子のやわらかい頭を撫でた。

申し訳ないんだけど、こいつのご飯を作らなければならないので、もういいかな。私が言うと、あ、どうも失礼いたしました、貴重なお時間をありがとうございます、ではカタログだけでも置かせてください。カミジョーさんは、カラーできれいに印刷されたカタログを私の方に手渡すと丁寧にお辞儀をした。私は玄関のドアを閉めた。セールスマンだけれど、押し付けがましいところはなくて、さわやかな印象がある。

青空冷蔵庫ね。テーブルの上にカタログを放り投げた。なんとなく疲れてしまって、もう一度繰り返した。青空冷蔵庫か。そんなもの売れるわけがないだろう。でも、売らなきゃいけないんだろうな。彼はセールスマンだから。大変な仕事だ。どれくらい売れたんだろうか。

息子が私のところまで歩いてきて、こちらをじっと見ている。左右の人差し指を合わせて三角形のような図形を作っている。

ちょっと待ってな、いい子だから。私はまた息子のやわらかい頭に手を置いた。そろそろうちの奥さんに戻ってもらった方がいい頃だ。私は台所で冷蔵庫の扉をあけた。妻を解凍するために。

(ブログ掌編小説シリーズ#02/了)

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投稿者 birdwing : 2006年3月 5日 00:00

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