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2006年5月30日

ハルキは、ハルキ。

AERAのNo.27(6.5号)に「昔の「春樹」に会いたい」という特集がありました。

小森陽一先生の村上春樹論を読破してさまざまな考察を加えていたところであり、村上春樹さんのファンでもあったので、購入して読んでみました。

けれども、「海辺のカフカは処刑小説である」という過激な理論に接していたためか、どうもこの記事にはぼんやりとした印象しかない。純粋無垢なファンであれば、「最も好きな作品は?」というランキングに、うんうんと頷いていたかもしれないのですが、なんか当たり前だな、としか感じなかった(ちなみに1位は「ノルウェイの森」。当たり前でしょ)。もしかすると小森陽一的な思考のバイアスがかかっていたのかもしれません。力のある評論に接すると、こういうところが怖いものですが、ニュートラルに気持ちを落ち着けて読んでみると、春樹ファンにとってはしあわせな記事かもしれないな、と思ったりもしました。

このAERAの記事のなかで、ちょっと首を傾げたのは次のような部分でした。

近年の村上春樹は、『海辺のカフカ』などの話題作を発表する一方で、オウム真理教のサリン事件に取り組んだ『アンダーグラウンド』や阪神・淡路大震災の影響が色濃い『神の子供たちはみな踊る』などの異色作でファンを驚かせてきた。世界的な作家に成長し、ノーベル賞受賞も遠くないといわれる。しかし、新境地を開くほどに、かつて読んだ初期作品から離れていってしまうような寂しさを持つ人々も多い。
「オウム事件でハルキは変容してしまった」
「初期作品の『僕』をもう一度出してほしい」
「ビーチボーイズ、ビール、Tシャツと、若い頃の思い出が詰まっている」
アンケートなどからは、そんな声が聞こえてきた。

ほんとうのファンであれば、変わっていくことも容認できるのではないでしょうか。むしろ変わっていくことを応援したい。変わらない人間なんてありません。誰もが年を取っていく。

古い作品に若さであるとか、その時代でなければ書けない空気、懐かしさがあるのはわかります。でも、それを現在の春樹さんに求めるのはどうかと思う。古い作品が好きであれば、古い作品を何度も読めばいい。何度も繰り返し大好きな場面を読むことができるのも、読書の楽しさのひとつです。けれども新しい作品には新しい春樹さんの考えがある。創作というのは、どんどん読者を裏切る行為であると思うし、その裏切りにもついていけるのがファンだと思う。ベストセラーを出さなくなって、メディアに取り上げられなくなってしまって、ロングテールの先っぽに落ちてしまったとしても読みつづけたいのが、ほんとうのファンという気がします。

だから、もしファンであれば、どんな駄作を発表してもぼくは読むだろうし、その駄作を愛そうと思います。社会的に間違ったものを書いたとしても、その間違いごと受け止めるのがファンではないでしょうか。もちろん、あまりにもついていけないような世界に入り込んでしまうと困惑しますが、やれやれ、こうなっちゃたか、こまったなあと困惑しつつも見守っていたい。

関係ないのですが、かつてぼくはひそかに菊池桃子さんをいいなあと思っていた時期があり、しかしながら歌が下手だとか地味だとか周囲の評判は最悪だったので、心のファンにとどめておいたのですが、彼女が結婚したり子供が生まれたりしたことにちいさく傷付きつつも、皺が増えたりおばさんになってしまったかつての心のアイドルをみて、いまでもやはり素敵だなあと思います。オードリー・ヘプバーンも年老いてからメディアに登場したときに、夢が壊れると批判されたことがあったようですが、おばあちゃんである私をみてほしい、というようなことを言ったエピソードがあったような気がします。

あらゆるものは変わっていくものです。若い作家も年を取る。田舎の風景だって、少しずつ賑やかになっていく。

ヴォネガット的な「風の歌を聴け」の詩と小説が混在したような若々しい乾いた文体も好きだけれど、ぼくは「海辺のカフカ」のような成熟した文体の春樹さんも好きです。小説としての完成度は確実に上がっていると感じたし、だからこそ処刑小説のような光を当てることもできる。「アフターダーク」は正直なところ、いまいちだと思ったのですが、もしかしたら次の作品のための「創造的退行」なのかもしれない。

村上春樹さんは読者とのコミュニケーションも試みているようですが、そんなCGM的というかブログ的というか、双方向的なものがあるから、読者も言いたいことを言うようになってきたのかもしれません。対話はとても大切なものだと思うし、作家が一読者の感想に答えてくれるのはものすごくうれしいことです。けれども、「昔のスタイルで小説書いてくれ」というのは、どうでしょう。もちろんそこには願いも込められているとは思うのですが、読者のわがままという気もするし、ほんとうのファンなのか?という気がしました。

よいことも悪いことも含めて、いまある誰かの姿を、ありのままに視ること。その心のなかにある何かを感じとること。それが大切かもしれません。

みんな変わっていきます。昔のハルキは、いまのハルキとはまったく別人ともいえる。けれどもやはりハルキはハルキだと信じましょう。そうして変わらないものがあるとすれば、書かれた言葉だけかもしれません*1。

*1:養老孟司さんが本に書いていることですけどね。

投稿者 birdwing : 2006年5月30日 00:00

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