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2006年6月 1日
もやっとをカタチにする。
暑い一日でした。スーツを着込むとしんどい季節がやってきました。でも、熱くても涼しい顔でスーツを着込むのが男の美学だと思っていたりします。虎ノ門のあたりをうろうろしていたのですが、打ち合わせの時間までに余裕がありすぎたので、コンビニで涼んで出たところ、方向感覚を失ってしまった。きっと暑さのせいでしょう。あるいは、恐竜のしっぽのように長く伸びた後ろ髪のせいかもしれない。時間がなくて美容院に行くことができずに伸ばし放題なので、週末にはすっきりさせたいものです。
会社に戻ってデザイナーさんのお仕事を手伝っていると、求人広告の取材らしく社内の撮影をしていました。ピースしたらどうですか、と言われて、ピースしてしまった。きっと使われないと思うのですが、ぼさぼさの長髪でピースしている疲れたおじさんの求人広告があったら、それはひょっとするとぼくかもしれません。ぼくじゃないかもしれない。まあ、どうでもいいことですが。
仕事のことについて最近あまり書いていないのですが、たまには書いてみることにしましょうか。ぼくは企画やマーケティング関連の仕事をしています。企画というと、おちまさとさんのような華やかなプランナーを想像する学生さんも多いようですが、そんな仕事は、ほんのわずかな才能のある人間だけに限られています。そのほかのプランナーといえば、地味にこつこつと仕事をしているひとが多いのではないでしょうか。最近は、なんとなく華のある企画の仕事もあったのですが、ぼくの仕事の大半は非常に地味な仕事です。
では、どういう仕事かというと、ひとことで言ってしまうと「もやっとをカタチにする」仕事ではないかと考えました。奇抜なアイディアが企画だろうと考えているひともいるかもしれませんが、それはプロの仕事とはいえない。アイディアと企画は同じようで大きく異なります。アイディアを企画だと勘違いしている学生さんは、出直してきてほしい。ぼくにとっての企画とは、お客様のなかにある、なんとなく感じているのだけど言葉や図解にできない何かを、具体的なアウトプットとして企画書に表現するという仕事です。その範囲は、具体的なプロモーションのこともあるし、もっと全体的な経営にも近い戦略立案のこともある。けれども突拍子もない発想が必要となるかというとそんなことはなくて、通常はオリエンテーションなり打ち合わせでお話をうかがうときに、なんとなく答えがあるものです。したがって、お客様の頭脳のなかにあることを、掘り出してあげる仕事かもしれない。仏像を彫るのではなく、木のなかに埋まっている仏を掘り出してあげるような印象です。まったくそこにないものを持ってくるわけではない。多くの企画は、なんとなくお客様として感じていたけれどカタチになっていなかったことを、言葉やビジュアルでカタチにする仕事です。
IT関連でいうソリューションも同様ではないでしょうか。技術主導の場合、とにかく技術に基づいたソリューションを売りに行くスタイルが主体です。ブログがいける!ということであれば、なんでもかんでもブログの時代だ、ということでブログを提案する。けれども、ぼくはそういう姿勢に疑問を感じていて、もし目的がコミュニケーションであれば、手法のひとつとしてブログもあるかもしれないけれども、ブログではなくてもいい。もしかしたらセミナーのようなフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションの方が効果的なこともあるだろうし、ひょっとしたらレガシーな紙のDMの方が効果的かもしれない。テクノロジーにコンシャスになって、ブログが旬だからブログを売りまくれ、次はRSSだ、Web2,0だ、という根拠のないブームに踊らされているような状況には首を傾げるところがあります。
そんなぼくは営業には向いていないかもしれないのですが、だからこそお客さんに最も効果がある「正解」を、誠実に、地道に、ともに考えつづけていきたい。それがプランナーあるいはマーケッターとしてのぼくのモラルです。もちろん会社的にどうかという問題もあるだろうし、一般的にそんな甘い考え方では通用しないかもしれない。それでもぼくは何でも売りまくれ、数字を挙げればOKだ、という方針には同意しにくい気がします。そんなことをつづけていても、長期的には意味をなさないのではないかと思う。場合によっては、その課題にはうちではなくて他社のサービスが最適ですよ、というようなことを言ってしまうかもしれません。けれども、そのことで信頼を得た百貨店などの話も有名です。
なんだか熱く語ってしまいました。閑話休題。
まったく話は変わるのですが、会社の帰りに喫茶店でハイネケンを飲みながらひとりしばし読書タイムを楽しんだのですが、その喫茶店にはコインでインターネットができるスペースがあり、こちら向きにディスプレイが並んでいました。そんなわけで(別に盗みみようと思っていたわけではないのですが)みなさんがどんなサイトをみているのかすっかりわかってしまう。そのなかで、ちょっと個人的にタイプな女性がmixiをやっていました。どうやらHotmailと切り替えながら、メッセージのやりとりもしているらしい。と、その隣に座っているサラリーマンの画面をみると、彼もmixiをやっている。さすがにmixi人口も増えているようで、こんな風景も当たり前になりました。
そこでぼくは妄想を広げてしまったのですが、サラリーマン君は「あれっ?あなたもmixiやっているんですね」と、話しかければいいのに、と思いました。チャンスじゃないか、と思ったわけです。プライベートに踏み込むようなので抵抗はあるかと思うのですが、もし女性が嫌悪感をあらわにしたら、「あっ失礼しました。楽しいですよね(にこっ)。じゃあ」という具合にあっさりと引き下がればいい。でも、ひょっとしたら好意的に、「そうなんですよ。あなたもやってるんですね」という風に、そこから交際がはじまるかもしれない。「これも何かのご縁なので、マイミクしましょう」という物語がスタートすることもあるでしょう。
谷川俊太郎さんの「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」という詩の一節にあるように、どうして声をかけちまわないんだ、と外野のぼくは読書よりもそちらに関心があって、やきもきしてしまったのですが、なかなか声もかけづらいですよね。でもオンラインとオフラインをシャッフルしたような、そんな出会いもあってよいような気がします。というか、既にあるのかもしれません。
ビールを飲み終えて店を出たのですが、いろいろと考えをめぐらせていたせいか本を店に置いてきてしまいました。しばらく歩いて店に戻るはめになりました。もやっとぐらいならいいのですが、もやもやは注意散漫になるので気をつけたいものです。
投稿者 birdwing : 2006年6月 1日 00:00
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