« もやっとをカタチにする。 | メイン | 未来の種子たち。 »

2006年6月 2日

楽器のある生活。

めちゃめちゃうれしかったのですが、お仕事関連で撮影に利用して不要になったキーボード(MIDIコントローラー)を譲ってもらいました!!これです。

PCR-M1.jpg

EDIROLの薄型MIDIコントローラーです。ほしかったんですよね、これ。何度も店頭でどうしようか眺めていました。2万円ぐらいの価格で、買おうと思えば買えないこともない。微妙な価格です。けれども他にほしいものはたくさんあって、断念していました。とはいえ、タダでいただけちゃうとは!!いろいろと気を遣っていただいたのかもしれませんが、ほんとうにうれしい。こういうときは、ひねくれないで素直に喜ぼうと思います。余談ですが、いくつか仕事がよい方向に向いつつあり、自分を必要としていただいている方から声をかけてもらったりしています。もちろん過大な評価をいただいていることもあるのですが、つらい日々のあとにはこんなうれしいことも待っているわけで、頑張ろうと思っています。

MIDIコントローラの話に戻りますが、25鍵しかないとはいえ、打ち込み主体のぼくには十分です。これが買えないあまりに、ピアノロールにマウスでちくちく音を置いていく「点描画ミュージシャン」を無理やり標榜したりしていたのですが、今日で点描画は廃業するかもしれません(まだ、PCに接続していないので何ともいえず、実はやっぱり点描画だ、ということになるかもしれないのですが)。

点描画ミュージシャンを宣言したのだから最後まで初志を貫徹しなさい、というご指摘もあるかもしれませんが、いいんです。ぼくは最近、朝令暮改をよしとするというか、フレキシブルな対応こそすべて、と感じています。ぜったいこうあらねばいけない、という強い意思は大事であるし、頼もしいと思うのですが、環境の変化が激しい時代には、ぽきっと折れてしまいかねないものです。むしろ、あんなことを言ってたけどやっぱりこっち、というフレキシブルなしなやかさのほうがよい。プライドなどがあると、なかなか宣言したことは曲げられないものですが、プライドなんてちゃちなものは捨ててもいいんじゃないか、と考えています。

ハイ・コンセプト」という本にも「チーズはどこへ消えた?」という本が引用されていたのですが、あの寓話にあるように、変わってしまったものに対して怒ったり批判するよりも、変わってしまったものは置いて新しいものを探しに行けばいい。また、いま読み進めている(178ページを読書中)村上龍さんと伊藤穣一さんの「「個」を見つめるダイアローグ」という本にも、日本人は決められたルールを守ることに集中し過ぎることによって、逆に全体を見失うことがある危険性が書かれていました。JR福知山線の事故を例に、伊藤穣一さんは「無謀なルールにがんじがらめになって、人命という、もっともっと大事なものを失ってしまった。」と述べられています(P.82)。ルールという細部にこだわって「全体思考」ができなかった、といえるかもしれません。

つまりぼくらは全体をみることができれば、瑣末な何かから解放されて、自由に生きることができるようになるのではないでしょうか。けれども瑣末な何かを捨てることは、全体としての自分を損なうことではない。たとえばブログを書きつづけると、書きつづけること自体が目的になって、現実との本末転倒が起きることもあります。強迫観念的に書いてしまうことがあったり、アクセスを求めたりすることになる。しかしながら、書くことを止めてもぼくという全体は存在しているわけで、その存在は汚されるわけではない。あるいは、ぼくは自主的に年間本100冊と映画100本を観るという課題を自分に課しているわけですが、達成できなくても途中で辞めたとしても、それでぼくが損なわれるわけではない。もっと大事なものに注力したいと考えたとしたら、そのほかのことは投げ打ってもかまわないと考えています。

日本人は、どちらかというと「運用主体の民族」という気がしました。新しいことを生み出すよりも、一度生み出されたルールを律儀に守っていくほうが得意です。農耕型だから、繰り返して運用する社会の在り方に安心もするし、そのスタイルを守っているのかもしれません。けれども、これからの社会においては、運用だけでは厳しい世のなかが訪れるかもしれない。ダニエル・ピンクさんの本にかぶれている偏向も感じますが、新しいことを生み出すクリエイティブな能力が求められていることは確かじゃないか、とも思います。

さて、6月になってしまったのですが、趣味のDTMで10年前の曲をセルフカバーする試みはまだつづいています。そしてこれも焦って発表するのではなく、納得のいくところまで作り込もうと思っています。RealGuitarというソフトウェアがなかなかのくせもので、もうちょっとのところでリアルにならない。

そんな風に仕事と同時に打ち込み三昧の毎日ですが、あらためて感じたのは、キーボードがある部屋っていいものだなあ、ということでした。ぼくの部屋にはいまギター(フェンダージャパンのテレキャスター)、ベース(ビートルズのポール・マッカートニーも使っていたへフナーのバイオリンベース)が立てかけてあるのですが、そこにキーボードが加わってかなりいい感じになりました。ほんとうは弾かなきゃいけないのですが、そこにあるだけで何か存在感がある。薄型MIDIコントローラーにはソフトケースも付いているので、パソコンとキーボードを抱えてスタジオに入る、なんてこともできそうです。

ぼくは打ち込みをある程度究めたところで、また楽器を自分で弾くというところにも戻りたいと思っているのですが、どんなに朝令暮改でフレキシブルにスタイルを変えたとしても、音楽のある生活だけは守りたいものだ、楽器のある部屋はいいなあ、とあらためて思いました。

投稿者 birdwing : 2006年6月 2日 00:00

« もやっとをカタチにする。 | メイン | 未来の種子たち。 »


トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://birdwing.sakura.ne.jp/mt/mt-tb.cgi/656