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2006年6月28日

さりげない技巧。

眠かった。眠い一日でした。たぶん疲労が溜まってきているのでしょう。そして疲労が解消されないまま、片付けなければならない仕事があるせいかもしれません。ところで、昨日40度近い熱を出していた息子(次男3歳)は、37度に下がったらやたらと元気になりました。回復力を見習いたい気がします。若いっていいですね。何しろ3歳だもんなあ。とはいえさすがに3歳児にも負荷はかかったらしく、なんだかぷくっとした瞼になっていました。お疲れさまです。

さて、影響を受けやすいぼくは、茂木健一郎さんの本を読めば大切なものはクオリアだと思うし、ダニエル・ピンクさんの本を読めばコンセプトの時代だと思ってデザインについて考えなければ、と鼻息が荒くなる。「ハイコンセプト」という本の影響からか、このところデザイン系の本を読み漁っていたのですが、やはり思考にいちばん影響を与えるのは視覚ではないか、メタファーに関しても視覚関連のメタファーが非常に多く、視覚による表現という分野を担っているデザイナーの方が書いている本は参考になるものだ、という思いを強めました。

特にプロダクトデザイナーの深澤直人さんの本には考えさせられることがたくさんあり、なかでもやはり「ふつう」であることについて書かれた部分が気に入りました。「意図を消す」という言葉も印象的なのですが、たとえば次のような言葉にも姿勢を正されます(P.147)。

デザイナーは語る必要はない。ものが語ればいい。

デザインをするのではなく、デザインしたことについて語ることの方が多くなったときはまずい、というようなことも書かれていました。よい仕事は自己弁護や解説は不要で、仕事がすべてを語る、というわけです。あるいは何ができたかよりも、これから自分は何ができるか、ということの方が大事かもしれません。過去の実績に安穏としているのではなく、これから行動を起こすことが大事であって、傍観者として語っている人物よりも、行動できる人物の方が絶対にえらいと思う。そんなに批判するならおまえやってみろよ、といいたくなるときがありますが、批判する人間ほど自分ではできないものです。もちろんできないことだからひとに頼んだり、自分ではやらないのかもしれませんが、そうであれば感謝が必要になる。できないのに偉そうなのはどうかと思う(自分も含めて、ですけどね)。

誰かのために、という大義もすばらしいものですが、ときとしてそれが言い訳にもなります。次のような言葉もありました(P.150)。

人間は、他人のためにやっているという感情をもってやると、
汚れてしまいますよ。

ほんとうに自分が好きなことに没頭する時間というのは、自分にとっても素敵なものだし、それがいつか企業や社会にも還元していく。無我の境地にあるときには、自分がいままで成しえたことを超えた仕事ができるのかもしれない。報われないことも多々ありますが、途中で諦めるのではなく、やがて夢がかなうという気持ちを強化していけば、大きな実を結ぶときがあるのではないでしょうか。

私はすごい、と自画自賛するひとに、すごいひとはあまりいないものです。忙しさを過剰にアピールするひともいますが、いや忙しいかもしれないけど、あなたのやっているのは雑用じゃないんですか?ということも多い。過剰に、組織のためだを振りかざすひともどうかと思うところがあり、組織を盾にして自分のポジションを獲得することに一生懸命な感じがする。ぼくは管理よりもビジョンを提示できるリーダーの方が何百倍もすごいと思います。もちろん管理も大切だし、必要なことではありますが。誰だって自分を主張したいものであり、自然体の範囲の自己主張であればかまわないのだけど、過剰な主張になっていないかどうか、ぼくも気をつけたい。たいてい疲れているときとか、あまり気分のよくないことがあったときには乱れるもので、いまもちょっと乱れ気味かもしれない。ただ、最近は乱れ気味だと感知できるだけ進歩したのかもしれません。ものすごくちっちゃい進歩ですけど。

武術などを究めたひとは、気配を消すことができるといいます。通常、術を究めたのであれば、全面的に術を出せばいいと思うのだけど、逆に術を出さないことが高度な術だったりする。

趣味のDTMもそうだと思うのですが、フランジャーなどのエフェクターを使い始めると、いかにもエフェクターかけましたっ!という意図的な音楽を創りがちです。でも、その道を究めたひとはきっと、機材を使っているかどうかわからないけれども実は使っていて、何度も聴き込むうちにわかってくるような印象的かつ存在感のある音創りができる。

文章もそうかもしれません。村上春樹さんの初期の作品はメタファーの宝庫だと思うのだけど、あまりにも技巧ばかりが目立ちすぎます。けれども最近書かれたものは、直接的な技巧は目立たないのだけれど、もっと深い高度なメタファーが駆使されている気がする。成熟というのはそういうことで、いかにもやりましたっ!的な技巧というのはわかりやすいけど青臭い。あまり主張していないんだけど、わかるひとがみればわかるような技巧がいい。

やわらかい言葉だけれど実は深い真理を突いていたり、すーっと読み進められるんだけど、なんだか心に重く残るとか、そんな言葉を使えるようになりたいものです。たとえばぼくにとっては谷川俊太郎さんの言葉がその理想形のひとつであり、究極の目標です。

投稿者 birdwing : 2006年6月28日 00:00

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