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2006年10月22日

アートなものに対する憧憬。

雨のせいか、徹夜の反動か、今日はとてもぼんやりとしています。思考もうまく回転しない。そんなわけで、抽象的な印象について語ろうと思います。

芸術の反対語って何でしょう。通俗でしょうか。ぼくは趣味でDTMによる音楽創りをしているのですがポップスを志向しています。ポップスはわかりやすくあるべきだとはいえ、あまりにもべたべたな楽曲は陳腐な印象があります。シンプルであることはわかりやすいのですが、ステレオタイプの陳腐化にもなりやすい。そして楽曲が陳腐化すると、その曲の持つ広がりがなくなります。

もう2年ぐらい前になるかと思うのですが、最初にMUZIEで公開した曲を、とある方に聴いていただいたところ、「期待感のあるイントロなのに、その後の展開がありきたりでがっかり」というような厳しい感想をいただきました。かなりへこんだのですが、その感想は非常にありがたいもので、いまでもぼくが課題として考えていることです。わかりやすいんだけど、アートっぽくなれない。

アマチュアさんの作品であっても、どこか抜けている作品は、ポップでありながらもアートな何かを持っています。これはセンスの問題かもしれないのですが、背景にもっている音楽経験の違いかもしれません。

文学でも映画でも音楽でもいいのですが、通俗的な陳腐さを脱却してアートなものとは、どこか複雑、多様、難解な何かを包含している。もちろん、わかりやすくてアートなものもあるのかもしれませんが(谷川俊太郎さんの詩とか)、音楽でいえば、複雑なコード、不協和音、転調、変拍子などを駆使するとアートっぽい。

そしてアートっぽくあろうとすると、それは一朝一夕にはできないものです。表面的な技術で繕ったとしても、どこか付け焼刃の感じがする。まず思考と知識をアート化しなければならないし、ひよっとしたら服装や持ち物などのアイテム、食べる物なども変えなきゃならないかもしれない。と、まあ、これは大袈裟なのかもしれないのですが、あながち間違いともいえないことで、というのは音楽のムーブメントでは、その周辺にあるものを巻き込んで進展してきた気がします。

芸術の秋まっさかりの休日。いまいちアートっぽくなれないぼくは、まず部屋を片づけてみることにしました。で、鍵盤楽器(MIDIコントローラー)を出してみたら、なんとなく気分的にオルゴール職人からミュージシャンっぽくなってきたような気がする。気分ではなく、何を創るかということが大事なのですが、まあそれは追々考えていこうということで。

趣味であるとはいえ、音楽の創作気分を盛り上げるために、イメージ映像をコラージュしてみます。

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部屋のなかにある音楽ツール的なものをスナップしてみました。上段左から、フェンダージャパンのテレキャスターとヘフナーのバイオリンベース(どちらも弦が緩みっぱなし)、SONAR 5を起動したVAIOノートの画面(これでDTM制作)、使っていないけど出してみたらなんとなく気分がのってきたMIDIコントローラ。下段左から、失敗したパイニアのヘッドフォン(ソニーのやつにしておけばよかったー)、ケンウッド製のコンポ(赤いオニみたいなものは、長男が幼稚園のとき作成したウサギ)、すっかり使っていないハードディスクレコーダーVS-880です。

上記の半分はインテリア化しているのが、かなしい。そろそろギターとベースの弦を張ってみようと思います。

投稿者 birdwing : 2006年10月22日 00:00

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