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2006年10月22日

いつか読書する日

▽Cinema06-065:哀しい大人の恋、生きる強さ。

B000E0VPM8いつか読書する日 [DVD]
青木研次
アミューズソフトエンタテインメント 2006-02-24

by G-Tools

主人公・大場美奈子が中学時代に作文を書くシーンからはじまります。鉛筆と原稿用紙のアップに、なんだか懐かしいものを感じました。いまはほとんどパソコンで文章を書きますが、アナログの原稿用紙もいいものです。

物語は、大場美奈子(田中裕子さん)が50歳に近い年齢になった頃のことで、彼女はまだ独身で、牛乳配達とスーパーのレジのパートで暮らしている。一方で彼女が想いを寄せている高梨塊多(岸部一徳さん)は、病床の妻を看病しながら市役所の児童課に勤めています。美奈子と塊多はともにお互いのことを想っているのだけれど、塊多の父と美奈子の母が不倫しているときに自動車にはねられて亡くなってしまったため、お互いの気持ちを封印して生きているわけです。しかし、病床の妻は塊多の気持ちに気付き、自分が亡くなったら、塊多と美奈子はいっしょになるように、と諭す。

淡々と進行していって、どこか小津安二郎さん的な世界も感じたのですが、視覚表現としての文字の使い方に面白いものがありました。痴呆症になっている大場美奈子の母の知人の夫が文字を思い出せなくて悩むシーンや、「私には大切な人がいます。でも私の気持ちは絶対に知られてはならないのです」という縦書きの文章が画面にオーヴァーラップするところなど。また、さびしく50歳までひとりで生きてきた美奈子の部屋には本がたくさん並んでいるのですが、そんな演出に、製作者の文学に対する思い入れのようなものを感じました。

塊多が、市役所にクレームをつけにきた老人に「50歳から80歳までって長いですか」と訊くと、「なげーぞー」と答えるシーンが印象的でした。また、いつも静かな塊多が、児童保護をしなければならない、いい加減な親に対して激しく怒り、そのあと号泣するシーンもよかった。

ところで、50歳の恋愛というものがどういうものなのか、ぼくには想像できないのだけど、そういう恋愛というのもあるだろうと思うし、もし自分たちの気持ちを長い間封印してきたのであれば、激しくて短い恋愛よりも醸成されて思いは深まるのではないかとも考えました。

最後のシーンでは、え?そういう風になっちゃうのか、と哀しくなった。でも、淡々としたストーリーのなかで、この展開はうまい。すとん、と落ちる感じがある。哀しい出来事の後の力強さにも、すがすがしいものがありました。派手な名作ではないと思うのですが、ドラマとしては染みるものがありました。10月22日観賞。

公式サイト
http://www.eiga-dokusho.com/

*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(71/100冊+65/100本)

投稿者 birdwing : 2006年10月22日 00:00

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