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2007年1月13日

リバティーン

▼Cinema07-002:ぼろぼろな放蕩者の壮絶な人生。

B000IB11UYリバティーン
ジョニー・デップ サマンサ・モートン ジョン・マルコヴィッチ
アミューズソフトエンタテインメント 2006-11-24

by G-Tools

「物語が進むにつれてどんどん私を嫌いになる。・・・どうか私を好きにならないでおくれ。」というような独白からはじまる詩人であり貴族の壮絶な生涯の物語です。1660年代、王政復古のイギリスで、ロチェスター伯爵(ジョニー・デップ)は酒と女性の放蕩な生活を送っていました。知識人であって才能があるのだけれど、王政のような体制が大嫌いで、世のなかを斜に構えてみている。そんな彼は、芝居のなかにだけ喜びを見出して、ひとりの女性を愛人として愛するようにもなる。けれども、王からチャンスを与えられたのにもかかわらず、フランス大使を招いた大事な歓迎式の芝居で、とんでもないお下品な脚本を演じようとして王に追われる身になり、次第に荒廃していって・・・。

体制に反発するのはわかるけれど、外交的に重要な場面で下品は芝居を演じるのは、ほんとうに思考が幼いとしかいいようがないなあ、と思いました。それは芸術を取り違えていると思うし、落ちぶれた彼に対して友人から、きみには才能がなかった、と厳しい言葉を突きつけられるのですが、それも当然であると思いました。突拍子もないことをするのが芸術ではないですよね。ただ、そんな世間を知らない(ある意味)純粋さが詩人には必要なのかもしれません。

最後には片目は失明し、鼻は欠けて、肌はぼろぼろで歩くことさえままならないロチェスター伯爵なのですが、妻だけはしっかりと寄り添っている。このシーンで思い出したのは、ダン・ローズの「コンスエラ―七つの愛の狂気 」でした。あの物語では夫婦が逆なのですが、ほんとうに愛されているのだろうか、という疑問から、妻はどんどん醜くなっていく。ロチェスター伯爵が放蕩し、酒に溺れ、娼婦を買うのは、結局のところそれでも自分を愛してくれるひとがいるのか、という感情があったのでしょう。それを甘えととるか、芸術家の奔放さととるか、とらえかたは自由ですが、そういう人生もあります。

それにしてもジョニー・デップかっこいい。放蕩の果てに33歳で歩くこともできないほど落ちぶれた姿も演じているのですが、その壮絶さはすごい。大半はお下品きわまりない物語ではあるのですが、彼の涼しげな表情と、そのかっこよさと対比された後半の凄まじさが印象に残りました。1月13日観賞。

*年間映画50本プロジェクト(2/50本)

投稿者 birdwing : 2007年1月13日 00:00

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