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2007年3月22日
詩人の発想。
詩人の発想には、はっとさせられることがあります。「デザインの知」という本の建築家の論文のなかで、まさかぼくが好きな谷川俊太郎さんの言葉に出会うとは思いませんでした。以下、引用します(P.118)。
以前にも触れたことがあるが、ある書物を読んでいて、こんな話に出会ったことがある。詩人の谷川俊太郎が、外国のテレビのインタビューのなかで、「日本の教育と創造性」について、「あなたにとって創造性とは何ですか」と質問された時、「ものごとに飽きる力」と即答したという。次に「学びとは何ですか」と質問されて、すかさず「模倣」と答えて、「真似ぶ」という大和言葉の意味を説明したといわれる。それに対して「模倣と創造とは対局ではないか」と反問されると、谷川は「素晴らしいものは何度模倣したって飽きないでしょう。モーツァルトは数え切れないほど演奏されてきたけれど、いまだに飽きないじゃないですか」と言い切ったことが紹介されていた。
少しわかりにくいのだけれど、こういうことだと思います。
どんなに新しいことであっても、飽きてしまうから次の新しいことを考える。それが創造性であり、逆説的に、究極の創造物は何度繰り返されても飽きないものである、ということです。永遠に飽きないものを夢想して、ぼくらは何かを創りつづける。時代を超えて、何度も何度も繰り返し聴くことができる音楽。それが理想形としての音楽なのかもしれません。
学びは模倣である、ということも、なかなか示唆に富んでいます。うちの息子も、次男くんは長男くんの真似ばかりしている。けれども、真似ができるからこそ発達も早い。まずは素晴らしいもの、すぐれたもの、美しいものを真似するところから学びはスタートすべきかもしれません。ところが最近は、真似しない方がよい大人や教師もいることが問題なのですが。
真似をしようと思っても、他者は他者であり、厳密にいえば同一のものになることはありません。どうしても真似できないもどかしさから浮かび上がってくるものは、要するに他者との差異によって浮き彫りに去れた「自分」ではないかと思います。真似をすることによって何を知るかというと自分を知る。誰かといっしょになろうと重ね合わせるたびに、自分が見えてくるものです。
次の世代の誰かが真似をしたくなるような大人になりたいものですね。反面教師ではなくて。そしてどうせ真似をするのであれば、中途半端な真似はかっこ悪い。徹底的に真似をするのが、かっこいい。
いろいろなことを学んでいこうと考えているのですが、既に確立された自我のようなものに邪魔されることもあります。「水は方円の器に従う(Water takes the shape of the vessel containing it.)」という言葉にあるように、しなやかな思考を持ちたいものです。
投稿者 birdwing : 2007年3月22日 00:00
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