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2007年3月22日

「恋愛脳」黒川伊保子

▼book07-010:脳の構造を超えた理解のために。

4101279519恋愛脳―男心と女心は、なぜこうもすれ違うのか (新潮文庫)
黒川 伊保子
新潮社 2006-02

by G-Tools

妄想の話なのですが、ぼくは現実に出会わなくてよかったと思う女性作家がふたりいます(そもそも出会うわけがないのだけれど)。

ひとりは川上弘美さん、そしてもうひとりは黒川伊保子さんです。黒川さんに関しては、作家と呼ぶのがふさわしいかどうかわからないのですが、このふたりに共通するのは、男性のぼくからみて女性として魅力的な文章を書くということです。

もちろん文章=作家ではないだろうし、実際にお会いしたことがないので、あくまでも文章から想像する作家像でしかありません。それでもぼくはおふたりが書く文章を読んでいると、なんだかいたたまれなくなる。たぶん、こんな雰囲気を醸し出す女性に現実世界で出会ってしまったら、ぼろぼろな恋愛に堕ちてしまう気がします。ぼくは安易に惚れやすいタイプではないのだけれど、川上弘美さん的もしくは黒川伊保子さん的女性に会ってしまったら、気持ちを自制する自信がありません。きっとバランスを崩してしまう。

妄想の話は置いておいて(苦笑)、「恋愛脳」はとても魅力的な本でした。そして知的な刺激があります。この情緒と知性が共存している感じがたまりません。

そもそも男性脳と女性脳の違いは、脳梁の太さにあります。脳梁の細い男性脳は、左右の違いを立体的に把握できる脳であり、一方で脳梁の太い女性脳は平面的な把握にすぐれている。これは必ずしも男性=男性脳、女性=女性脳というわけではないのですが、脳の構造の違いがさまざまなすれ違いを生むそうです。

黒川さんはAI(人工知能)の技術者だったそうですが、仕事が忙しいとき、地下鉄の銀座線の車内で息子におっぱいをあげたという大胆なことまで書いてありました。読んでいてくらくらしたのですが、この大胆さは母性本能はもちろんのこと、女性脳の特長に負うところが大きいのではないでしょうか。つまり平面的な認識によって、いま目の前にいる子供以外には見えなくなるから、そんな大胆なこともできる。逆にいえば男性脳の機能である立体的な視点によって車内の様子をキャッチできていない。

ちなみに自分のエピソードですが、まだ次男が2歳ぐらいの頃、家族4人で公園にお花見に行ったことがありました。ところが途中で次男がむずむずし始めた。そこで奥さんは服をめくりあげようとしたのですが、(ちょ、ちょっと待った、こんなところで出すなって)(だって、泣くからしょうがないでしょっ)(いや、でも、みんな見てるでしょうが)(見ちゃいないわよ)と口論になり、結局頭にきたぼくは「もう帰るぞっ」と、もぐもぐ静かにお団子を食べている長男を立たせて、お花見中止にして帰ったことがありました。

泣いてるからしょうがないでしょ、体裁ばっかり気にしてなんだろうねこのひとは、という冷たい目で見られてしまったのですが、夫として弁明すると、多数の男たちがいる公園という公共の場では勘弁してほしかった。もちろんそんな説明はできないので黙っていたのですが、考えてみると男性脳と女性脳の違いかもしれません。

どんなときも空間的な把握をしてしまう男性脳としては、右35度にいる学生の集団とか、左48度にいるおじさんとか、そうしたものを把握してしまう。みてないわよ、と言われたらそれまでなのですが、家であればともかく、この公共の空間でぽろりんはないだろう、社会的な常識を考えてほしい(泣)というのが(一般の正常な)男性脳をもつぼくの見解なのです。違いますかね?ぼくだけなのかな。

・・・話が脇道に逸れました。黒川さんは完璧な女性脳の持ち主であると思う。そこで、どうやら80%ぐらいの男性脳であるぼくが読んでいると、その女性脳的な視点に読んでいてはっと気付かされることが多い。情緒の専門家であるとご自身についても語られているのですが、その言葉は感情を揺さぶります。

息子に対する愛情に溢れた文章にも打たれました。まずぼくが"!"と思ったのは次の表現です(P.48)。


息子には言わなかったが、彼の男性脳は、今のところとても出来がいいと思う。いきなり「結」を語って、人をほのぼのとした気に包み込んでしまう。これは、とびきりいい男にしかできないことだ。たぶん、生まれつきの才だと思う。事業家に不可欠の要素でもある。

がーん。そうか。起承転結のように、論理的にくどくど語っていちゃダメなんですね。

いい男は「結」しか言わない。そういえば欧米型のプレゼンテーションも「結」から述べる気がします。つまり、空間をすぽんと飛ばしていきなり結論を述べる発想が男性脳的で、時系列の詳細を重視すると女性的になる。言い換えると、物語は女性的ということになります。黒川さんも書いているのですが、ぽーんと飛躍する男性脳的な言葉を刺繍のように織ってつないで、物語を紡ぐのが女性脳になる。男性のやんちゃな発想を物語として再構成できることが、いい女の条件になるそうです。

出来がいい男性脳を持つ息子さんが書いた「結」から切り込んでくる作文を添削するシーンでは、思わずじーんとしました(P.45)。


そこで、「ママがあなたの作文を添削というより添加してあげよう」と、くだんの作文を再び手に取った。ママは、どんなテーマでも、何十枚も作文が書けたんだからね、といばってみせる。
――ぼくはジャングルジムが好きです。何度、頭を打っても好きです。ぼくは、いつもボーっとしているので、ジャングルジムの一番上にすわっていると二十分休みがすぐにすぎていってしまいます。ぼくは、ジャングルジムにはいつまでものこっていてほしいです。
私は、もう一度大笑いしながら読んで、不覚にも泣いてしまった。


わかる。これはぼくにもわかる。子供の作文にはときとして、起承転結のような物語の軸を超えた力があります。それは理屈を超えた「愛着」のようなもので、これをいきなり「結」の部分から突きつけられると、もう何もいえなくなる。ぼくも息子の作文の宿題をみてあげるのですが、作文の苦手な彼であっても、黒川さんのように降参したくなる言葉に出会うことがあります。

ほかにも息子さんにべったりな愛情を注ぐ文章には惹かれましたが、一方で「私の大好きなひと」についての言及も多く、最初のうちはいったい誰なんだ?と心が揺らぐのですが、中盤あたりからそれが旦那さんだということがわかる。のろけ具合はかなりのレベルですが、どこか許せてしまう感じです。というよりも微笑ましいものがありました。

かと思えば、本音のレベルで具体的な理想の男性像を述べているところもあり、これは男性として参考になりました。そうか!と思った。男性諸君のために抜粋してみましょう。黒川さんによる理想の男性像はこんな感じです。


時空を貫くような一途さで女を愛し、基本的には女を自由にさせ、女の知性を敬愛し、女の母性を畏敬し、こちらが寂しいときには少女のように甘やかしてくれ、こちらに余裕があるときは少年のように慕ってくれて、日常の面倒は一切かけない、永遠に美しい、セックスの上手な恋人。

うーむ(苦笑)。そんなの無理だ!と思った男性が多いのでは。しかし、無理だと思うからこそ挑戦したいと思いませんか?この要求はかなりハードルが高いのですが、確かにこの姿勢を貫けば、いい男になりそうです。ちなみにこの究極の理想像として黒川さんが思い描いたのは、光源氏である、とのこと。

一方で、黒川さんはいい女の在り方についても書いています。歳を重ねてから「終始、穏やかな光が当たっている」ような存在になるためには、以下のような準備をすべきであると書かれています(P.182)

歳を重ねながら、準備することはある。 まずは、見たもの、感じたものすべてを、自分の心の鏡に映すようにすることだ。他人のそれじゃなく。誰かに認められたくて、誰かに羨ましがられたくて、誰かに褒められたくて、誰かに勝ちたくて、誰かに見捨てられないように、誰かに嫌われないように・・・・・・そういう価値観はいっさい捨てる。 自分が気持ちいい、自分が納得できる、自分が清々しい・・・・・・そういうものだけ傍らに置く。そして、その外側に「そうはいっても自分の大切なひとたちが不快でないこと」というフィルターを付ける。
この言葉は男性にとっても重要ではないでしょうか。加えて、経済的に気張っても気品を追求すること、誰かに大切にされるようなクセをつけることが大事であると書かれています。 思わず背筋が伸びる感じです。こういう素晴らしい女性に出会うと、男性としては若干びびるのですが、横内健介さんのあとがきにも、食事にお誘いしたのですがセレブな黒川さんをどこへお連れすればいいか分からなくなった、という苦悩が書かれています。次のようにつづきます(P.200)。
そんなことをあれこれ悩むうち、だんだん怖くなってきた。そして思ったのだ。 伊保子さんを迎えに行くのは、もっと偉大なオレになってからだ。その時には運転手付きの高級車で伊保子さんの会社の前に乗り付けて、花束を抱えてお迎えに行くのだ、と。 ともかく手柄を立てねばならぬ。女王陛下、その時まで待ってて下され!

ははは(笑)。でも、ものすごくわかります。男性は単純で馬鹿だから、素敵な女性がいるだけで、頑張れたり自分を向上させたりできるんですよね。ぼくもそうです。

さて、このほかにもさまざまな興味深い視点があるのですが、長くなるので割愛しましょう。そして、ぼくが最も注目したキーワードは「時空を貫く」想いでした。

というのは最近、シークエンス(連続)、時系列、歴史などを考えていたからでもあるのですが、典型的な男性脳を持つぼくとしては、空間的な把握は得意であっても、時間のなかで持続していく何かは苦手です。だからブログも、えーい消しちゃえ、と思ったら消しちゃったりする。積み重ねが重要だとか書いておきながら、あまり積み重ねに対する執着もなかったりするわけです。そもそも忘れっぽいし(苦笑)。

ところが、この本のなかでも書かれていたのですが、女性は、ひとつの大切な言葉があれば、いつでもどんなときでも(ユビキタスで)時空を超えてずっと言葉をあたためることができるらしい。会えない時間があっても、その言葉を飴玉のように転がしながら、過ごすことができる、などということが書かれていました。男性脳のぼくには、よくわかりません(苦笑)。言葉は永遠に残すべきではなく衰退させるべきだ、なんてことをブログのエントリーに書いていたぐらいなので。まだまだ理解が足りません。

ちなみに、今日は茨木のり子さんの「歳月」という詩集を購入。これは夫である三浦安信さんが亡くなったあとに、夫の記憶を辿りながら綴る詩で構成されています。泣ける。詩集のタイトルにもなっていますが、「歳月」という詩の最後5行を抜粋してみます。

けれど
歳月だけではないでしょう
たった一日っきりの
稲妻のような真実を
抱きしめて生き抜いている人もいますもの

時空を貫いて、想ってみますか。3月16日読了。

※年間本100冊プロジェクト(10/100冊)

投稿者 birdwing : 2007年3月22日 00:00

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4 Comments

胡瓜 2007-03-24T18:33

お花見エピソードですが・・・
これって、birdwingさんが奥様を「女性」として見てるって事で
ある意味、非常に素敵なことでは?
「体裁ばっかり気にしてなんだろうねこのひとは?」ってな冷ややかな
視線は仕方ないとして・・・(笑)

子供を生んだ妻を「女」として見れない男性が多い中、非常に喜ばしい事じゃあーりませんか!!!

birdwing_tn 2007-03-24T22:59

好意的なフォローをどもありがとうございます。ちょっと照れちゃいましたが、うれしいです。

せっかく素敵な言葉をいただいたのですが、正直に白状してしまうと(笑)、やっぱりどちらかというと体裁を気にしていたほうが強いと思いました。ただ、独占欲が強いほうだと思うので、そんな気持ちも働いていたかもしれません。もっとも、いまは息子たちふたりに独占されていて、ぼくの独占欲が入り込む余地はありませんが。

これもまた正直に書いてしまうと(あまり正直なことばかり書きすぎるとヒンシュクかもしれませんが)、多くの男性がそうかもしれないのだけれども、理屈ではわかっていても、母となった自分のパートナーをひとりの女性としてみるのは、なかなか難しいです。決して愛情がなくなったわけではないのですが、愛情が進化して、ものすごく淡い家族愛のようなものに変わってしまっているので。

けれども、女性としてはいつまでも「女」としてみていてほしいものですよね。ということを理解するのが大事だと思いました。そんな風にいままでの考え方をわずかに変えてみることが、プチ・ライフスタイル・イノベーションなのかもしれません。最近、学ぶことが多いです。でも、難しい哲学よりも、こういうことを学ぶことのほうが社会では大事だったりして(笑)。

ところで、胡瓜さんの書かれる文章は(ものすごーくやわらかいものから、いろいろとバリエーションも多いのですが 笑)、さばさばしていて気持ちよいです。でも、その背景に気品があっていいと思います。その気品に、貴婦人というか、大人の女性らしさを感じていますよー。

コメントありがとうございました!!!

胡瓜 2007-03-26T00:48

ありゃ!!外れちゃいましたかっ?(笑)

でも、実はあたしもヒンシュク覚悟で言っちゃうと。。。
人前でのおっぱいは苦手だったなぁ。
birdwingさんと一緒で体裁気にしちゃって無理だったわぁ。
かと言って、堂々とそこらでおっぱいあげるお母さんを「何?この人?」って思う事も無かったけど、あたしにゃ出来ねぇなぁと(笑)
でもそこに「私を女として見て」ってな気持ちは無くて、単に自分自身の問題で、「いくら母親だからって、ぽろぽろ出すと周囲が困るんじゃない?」ってな感覚。

今のあたしは、性的に「女」として見られるのは何か苦手で(笑)
かといって、おっさん扱いされるのも何だかなぁ?って感じです。
なので、たまに見せる女性ならではの気配りなんかで、「女」と言うよりも女性特有の「柔らかさ」や「たおやかさ」なんかを感じ取って頂ければ、いつでも「女」に戻れるのでは?と思う今日この頃です(笑)

birdwing_tn 2007-03-26T12:41

ははは。豪快なイメージできましたか。でも、そんな感じですね、胡瓜さんは(一面として、ですけれども)。いろんな女性がいていいんじゃないでしょうか。確かに、ぽろぽろ出されるとぼくは困惑するので(笑)。

たぶん胡瓜さんは、どちらかというと男脳的なのかもしれないですね。脳梁が細かったりして。スパイダーマンを使った造形なんかも得意だったと思います。時間的というよりも空間的な把握が得意なのではないでしょうか。

柔らかさやたおやかさは、大事だと思いました。男性も、余計な力が入りすぎちゃうとぽきぽき折れやすくなるので、柔らかくあることが必要な気がします。ところで、たおやかさっていい言葉ですね。英語も大事だけど、日本語も深いです。

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