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2007年4月27日
時間の分断、詩と小説。
仕事で外出することが多くなりました。さまざまな場所に赴き、ひとと会って話をする。いまのところこの活動が時間を忘れるぐらい楽しい。プライベートでは少しばかり思考回路が壊れかけて、得体の知れない不安に覆われていたとしても、お話をしていると紛れるものです。
最近はデスクワークが多かったのでデスクワーク向きの人間だと思っていたのですが、実はそうではなかったりして。ひょっとしたら外へ出ていくほうが向いているのかもしれません。あまり自分を規定せずに、ときには自分らしくないことをやってみるのも大切です。いままでとは違うほんとうの自分をみつけることもできる。
過去から未来へ、継続したリニア(線的)な時間軸のなかにいると、どうしても過去のしがらみを引き摺ってしまうものです。過去が自分を解放しない。けれども、あえて分断された時間のなかに身を置いてみると、そうではない自分というものも浮き上がってきます。浮き上がるのだけれど、やはり自分は自分であって、過去の資産は残っている。べったりと現実に生活していると過去が重みになることも感じますが、距離を置くことができれば過去もいとおしい。
ところで、このところ楽器屋によく立ち寄っています。購入しているのは楽器関連の何かというよりも本です。今日はサウンド&レコーディング・マガジンとDTMマガジンを手に入れました。
サウンド&レコーディング・マガジンの5月号の表紙は、坂本龍一さん。おお、かっこいいな。
とあるファンの方が、あのいやらしそうな顔がいい、と言っていたことを思い出しました。なんとなくそれを聞いて嫉妬しました(ぼくは嫉妬深い?)。ちぇっ、ぼくもいやらしい顔になってやる、とか思ったものでした(苦笑。なれませんが)。坂本龍一さんに嫉妬したりライバル意識を燃やすのは身のほど知らずというか子供じみていて、勝ち目がまったくありません。とはいえ、そんな子供じみた想いがクリエイティブな原動力になることもあるんですよね。たとえ趣味の音楽制作だったとしても。
特集では、まず山口情報芸術センターにおける高谷史郎さんとのコラボレーションが紹介されています。水槽のなかに霧を発生させ、プロジェクターで映像を投影する。そして、各水槽ごとにペアのスピーカーが配置されて、不思議な音響感のある空間を演出する。面白そうです。
解説の言葉にある次のコンセプトにまず惹かれました。
fluid=流動するもの、invisible=見えないもの、inaudible=聴こえないもの、と付けられた副題のように、まさしく体験するものの視覚や聴覚に対して静かに、しかし強烈な揺さぶりをかける作品である。
これは空間的な広がりなのだけれど、ぼくが注目したのは坂本龍一さんの「時間軸」についての発言でした。後に掲載されているフェネスについてのインタビューにおいても同様に、時間軸の考察がされていて興味深いものがあります。
坂本龍一さんは「リニアな時間の呪縛から離れたかった」と語ります。
「オペラだけでなく普通の音楽というものには、始まりがあって終りがあるということになっているけれど、随分前からそれが引っかかっていた。始まったら終われないのはなぜだと。・・・(後略)」
勝手に解釈するのですが、物語的なアプローチと詩的なアプローチの違いのように感じました。つまり物語は、始まりがあって終りがなければいけない。けれども詩は始まりも終りもなく、永遠に浮遊させることもできる。つまり、時間軸の推移を重視した音楽は物語的だけれど、音は空間的に広がるので、その広がりは詩的であるともいえる。
そこで坂本龍一さんのアプローチは、アーカイブされていた音を素材をカテゴリー分けすることだったそうです。打つとか擦るとか、30種類のカテゴリーにわけていく。それらに足りないものを加えて、映像を対応させていく。そして「ランダムであってカオスではない」音の空間を作り上げる。
その作り方は、カールステン・ニコライとのコラボレーションに近いものがあるかもしれません。けれどもクリスチャン・フェネスとの制作はそうではなかったようです。次の部分が非常に興味深いものがありました。
「カールステンとの場合は、僕が弾いたピアノを送ってそれを彼が料理するというやり方なのですが、フェネスとの場合は彼が先に3〜4分のパッド的な部分を送ってきます。僕はそれを2〜3回ループさせて、その上でピアノを即興演奏する。彼が僕のピアノをいじることはありませんでした。カールステンにはちぎることを前提とした素材を送っているので音楽の時間が切れている。そういう意味では非伝統的な時間の流れになっているのに対し、フェネスが作ったパッドの上で僕がピアノを弾いているのは、場所は違っていてもリニアな時間。その点では伝統的な音楽に近いですね。」
うーん、この部分ちょっと鳥肌でした(まあ、BirdWingなので鳥なわけだが)。
つまり坂本龍一さんの音をカールステンが分断するとき、それはデジタルな処理になる。持続的な坂本龍一さんの演奏を細かく刻んで再構成するアナログ(連続)→デジタル(分断)という処理です。ところが、フェネスが作ったパッドのループ上で演奏するクリエイティブは、デジタル(分断)→アナログ(連続)という流れになる。だからその結果生まれた作品はまったく異なる。
優劣をつけるのは不毛な話だけれど、なぜフェネスの音楽がノイズを多用しながらあたたかいかというと、それは坂本龍一さんのピアノの身体感覚(ぬくもり?)が残っているからではないか。つまり分断された音を身体的に統合するデジタルからアナログへの試みとしての演奏であったわけです。それはテクノロジーを身体で統合していく。一方でカールステンの場合は音を切り刻み、無機質な空間を構築していく。身体を詩的な空間に分断する非常に洗練された未来的なアーキテクチャーとなる。
やっぱり凄いな、坂本龍一さん。音楽は当然のことながら、アーティストに合わせて生成変化すること、そして創作の背景となる考え方に打たれます。勝てないな(当たり前か)。
投稿者 birdwing : 2007年4月27日 00:00
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