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2007年4月 2日
ヴァージン・スーサイズ
▼Cinema011:行き場のない想いと木漏れ日のような輝きと儚さ。
ヴァージン・スーサイズ ジェームズ・ウッズ, キャスリーン・ターナー, キルステン・ダンスト, ジョシュ・ハートネット, ソフィア・コッポラ 東北新社 2001-02-02 by G-Tools |
まず、映画とは関係のないプライベートなことを。日曜日、もうすぐ90歳になるおばあさんの体調が思わしくなく、息子たちを連れて奥さんは実家(の母親の実家)に帰っていました。久し振りの独身生活ということで羽を伸ばしてしまったのですが、夜、お酒を飲みながら映画でも観るかーという感じで観はじめたのが「ヴァージン・スーサイズ」でした。
これがもう泣ける泣ける。ぼろぼろです。そこで、がんがんアルコールを煽ってしまい、酩酊して沈没。で、昨日はブログを書けませんでした(苦笑)。おまけに風邪もひいてしまって今日は声はがらがらだし。
というぐらい泣けた映画です(どういう映画だ・・・)。何よりもテーマ音楽がいい。もちろん映像もいいのですが。
いま酔いが醒めて考えてみると、ぼろぼろ泣くような映画ではないんじゃないの、と冷静な自分がいます。ロッキーならまだしも、ソフィア・コッポラの作品を観て泣いてる男ってどうだ?とも思う。けれども映画や音楽や小説には、観どき、聴きどき、読みどき、というものがあると思います。生活のなかのさまざまな文脈が絡んでくるときもある。たぶん複雑な状況下にあって、昨日はこの映画がめちゃめちゃツボにはまったのではないでしょうか。
前置きはこれぐらいにして、本題です。
「ヴァージン・スーサイズ」は10代の美しい4人姉妹をめぐる物語です。彼女たちは微妙な年頃ということもあって、異性や音楽など、さまざまなものに関心を持ちながら、一方では現実に対する漠然とした閉塞感も感じている。母親の厳しさのために、ますます行き場のない想いを募らせていきます。そして彼女たちは...。
物語的には少々うすっぺらな感じもしますが、どこか映像詩のようで、青春時代のきらきら感と儚さを感じました。
特にきらきら感と儚さを感じたのは、パーティーのシーンですね。ソフィア・コッポラ監督といえば、「ロスト・イン・トランスレーション」も観たことがあるのですが、あの映画でも、全体のなかでは異様に長すぎるカラオケのシーンがよかった。酔っ払って、はめを外して、世界がなんだかとてもきれいにみえて、楽しいのだけれど永遠につづくものではなく、目が覚めて現実に引き戻されると自己嫌悪に陥ったりもする。ソフィア・コッポラ監督は、そんな祭りの後に訪れるような儚さ、切なさを描くのがうまい監督ではないでしょうか。そもそも酔っ払ってどんちゃん騒ぎをして反省を繰り返すような儚い時代が青春ともいえるわけで。
彼女たちがボーイフレンドに電話をかけて、音楽で会話するところもよかったですね。あやふやな記憶を辿ると、トッド・ラングレンとかキャロル・キングとか、レコードをお互いにかけあって音楽で(歌詞を引用して)自分たちの気持ちを表現していたと思います。両親に知られないための暗号なのですが、これってかなり音楽を聞き込んでいないとできません。直接、言葉を交わすわけではないのだけれど、それでもお互いに通じている。その間接的に想いを伝える遠さがいいですね。音楽でコミュニケーションできている。いいなあ(しみじみ)。
けれどもそのレコードも、母親に燃やされてしまいます。エアロスミスは勘弁して、などと泣きながら懇願するのだけれど、大切にしていた音楽を暖炉にくべられたら、ぼくも暴れると思う。痛みが伝わってくる場面でした。
残念ながら最近のソフィア・コッポラ監督の「マリー・アントワネット」は観ていないのですが、これも泣けるかもしれない。いつか観ようと思います。時期が熟したときに。というか、DVDになったときってことか?4月1日観賞。
*年間映画50本プロジェクト(11/50本)
投稿者 birdwing : 2007年4月 2日 00:00
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